トリックアート

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トリックアートの気まぐれ御朱印めぐり散歩の旅   その8

早いもので令和6年も6月が終わり、残り半年になりました。このブログ書いている7月1日は、京都最大のお祭り(日本4大祭りの一つ)八坂神社の「祇園祭り」が始まります。昨日午後の「水無月夏越大祓い神事」も終わり大茅ノ輪も収納され、3基の神興が神前に据えられ、朝の一番鉾の長刀鉾町会の参詣から約1月間の長い祭礼がスタートしました。メインイベントは16日の先祭り山鉾巡行です。鉾がこちらにあると勘違いで来られる観光の方もおられますが、鉾は10日前後から四条烏丸周辺の各鉾町で組み立てられ て

    • トリックアートのきまぐれ御朱印巡りの散歩旅 その6

       今回は左京区出町柳にある、下賀茂神社と妙音弁財天(清龍弁財天)社を訪ねます。 京阪電鉄の北の終点駅である出町柳駅を下車して前方のエスカレーターを上がると、正面には叡山電鉄出町駅があって、そこで叡山電鉄比叡山線に乗り換えると京都の奥座敷八瀬を経由して比叡山に行くことができます。また本線には京都のラーメン激戦地の一条寺駅、避暑地の岩倉駅等を経て、鞍馬寺のある鞍馬駅、山岳系神社の高パワースポット貴船神社や夏の納涼川床料理が楽しめる貴船口駅などちょっとした電車旅も楽しめます。 右手

      • トリックアートの気まぐれ御朱印散歩の旅その5「様々な御朱印」

        SNSなど見ますと、寺社の御朱印のほかに、最近は様々なものが紹介されております。有名なのは、お城の御朱印(御城印)があります。私も一枚だけですが、二条城の御朱印をもっております。他には戦国時代初期に扇谷上杉氏の家宰であった、「山吹の花」の故事で有名な太田道灌が築城して後に「天下普請」と呼ばれる大増築・改修を経て徳川将軍家の正式な住まいとなり、明治維新以降は今上天皇家の住まいである皇居になっている、「江戸城」をはじめ駿河今川氏の居城で後に徳川家康の隠居城となった「駿府城」、織田

        • トリックアートの気まぐれ御朱印巡り散歩旅 その4

          今回は北区紫野にある、今宮神社を訪れます。目的は令和6年4月14日に行われる「やすらい祭り」と神社東門すぐの「あぶり餅」です。創建(当初は疫神スサノオのみ祭祀)は平安遷都以前といわれており1200年以上前ですから、相当古いです。社殿は紀元1001年に整備され応仁の乱による一度の焼失と数度の改修整備により現在にいたっております。御祭神はオオナムチ、コトシロヌシ、クシイナダヒメと出雲系の神様達です。特に江戸5代将軍徳川綱吉の生母桂昌院(旧姓お玉・西陣の漬物屋の娘とされる・玉の腰に

        トリックアートの気まぐれ御朱印めぐり散歩の旅   その8

          トリックアートの気まぐれなつぶやき

          歴史を斜めに読み解く⑩「一夜限りの戦国夜話」 その5 信長「ザビエルと申さば、フロイスの師じゃそうじゃな?」 相馬「一応、イエズス会創始メンバーの一人ですね。日本に来た最初のポルトガル人でしょうな。」 秀吉「ところで宗麟、お主、誰ぞ連れてまいったのか?」 宗麟「はっ、それに控えておりますので、ぜひご謁見を。」 相馬「焼き鳥かじりながら、ハイボール飲んでる若者達が戯れておりますが・・。」 鈴木「天正少年遣欧使節団ですね。」 信長「筑前、三河守、お主達、いつの間にその様な使者達

          トリックアートの気まぐれなつぶやき

          トリックアートの歴史を斜めに読み解く番外編く⑩一夜限りの戦国夜話会〉その3

          トリックアートの歴史を斜めに読み解く番外編く⑩一夜限りの戦国夜話会〉その3

          トリックアートのきまぐれ御朱印巡りの散歩旅 その7

          今回は西大路四条の北東にある西院春日神社とその境外摂社を訪ねます。    西院春日神社東入口場所は西大路四条交差点から二筋西の佐井通りを200mほど北に行ったところにあります。市内中央部にしては広大で静やで、心が落ち着く好きな神社です。創建は平安初期ですから1200年前ですがそんなに古くは感じません。桓武天皇の第7皇子である淳和天皇の退位後の住まい淳和院離宮(西院のいわれ)の鎮守社として創建。その後淳和院の高女皇女である崇子内親ご再新瘡の際当社の春日大神の威光で改善治癒した

          トリックアートのきまぐれ御朱印巡りの散歩旅 その7

          トリックアートの気まぐれなつぶやき歴史を斜めに読み解く⑩一夜限りの戦国夜話会編 その2

          記事の続き・・・ 小休憩の後・・・ 鈴木:「さてっと、会場は、皆さん名々にバイキング料理を楽しんでおられるようです!なかなか豪華な料理ですねぇ~!」 相馬「今回は、ジャニータレント呼ばなくて済んだから、ギャラが相当浮いたお陰で、料理にうんと金かけて、特別ゲストまで呼べたからねぇ~。」 鈴木「シーッ!!次長!それ内輪の話ですよ!」 相馬「いかん、いかん。あまり大きな声では言えんな。すまん。」 鈴木「それでは、特別ゲストエリアから見ていきましょうか、まずは 天上界から」 信長・

          トリックアートの気まぐれなつぶやき歴史を斜めに読み解く⑩一夜限りの戦国夜話会編 その2

          トリックアートの歴史を斜めに読み解く番外編く⑩一夜限りの戦国夜話会〉その1

          さて今回は番外編として、4年に一度しか開催されない、特別番組の戦国夜話会を始めさせていただきます。場所は都内某国営放送局特設スタジオから 今回も定番のこの御三人様をゲストとしてお迎えしました! 「織田信長様・豊臣秀吉様・徳川家康様」の戦国三傑様です・・・! また今回は特別ゲストとして海外西洋と天上界の偉人方もお呼びしております。! どうぞお楽しみに・・・!申し遅れましたが私はメインMCをつとめさせていただく別名「朝の顔」のアナウンサーの鈴木でございます。どうぞよろしくお願いし

          トリックアートの歴史を斜めに読み解く番外編く⑩一夜限りの戦国夜話会〉その1

          トリックアートの気まぐれ御朱印巡り散歩旅 その2

          2回目は上京区の上御霊神社です。 地下鉄烏丸線の鞍馬口駅を下車して住宅街の中を東へ徒歩で数分行くと神社らしき森に行きつきます。 創建は平安創早期で1200年と少し・・・。これも歴史がありますね。 ご祭神は崇道天皇(早良親王)他戸親王、井上内親王etcでいわゆる 光仁天皇呪詛事件の連座責任を問われた方々でいずれも不幸・無念の最後を遂げられた貴人達です。その真相は冤罪と言われており真偽は不明です。その御霊(怨霊?)を鎮めるための創建でしょう。また中京区寺町通にある下御霊社とも対に

          トリックアートの気まぐれ御朱印巡り散歩旅 その2

          トリックアートの気まぐれ御朱印巡り散歩旅 その1

          歴0史ブログから引き続きお付き合いよろしくお願いします。 自分は宗教関係者ではありません。修学は理科系ですし、どちらかというと、無宗教に近いと思います。但し、見えない世界には多少興味があります。大自然・大宇宙への畏敬、気のようなものを何気に感じることもあります。基本、神仏には距離をとっての崇敬の念をもっております。そんな私が、ひょんなことで、御朱印に興味を持ち、折々に寺社を巡るようになったのは、極最近のことです。スタンスは、四国巡礼遍路旅のように、計画を立ててスケジュール通り

          トリックアートの気まぐれ御朱印巡り散歩旅 その1

          トリックアートの気まぐれ御朱印巡り散歩旅 その3 

          今回は西京区桂川西岸に鎮座する松尾大社です。読みはマツオではなくマツノオが正解です。市内四条通りの西のドンツキにあります。真反対のドンツキが八坂神社ということになります。市バス28・29系統で松尾大社前下車徒歩5分です。又は阪急嵐山線大社前下車5分です。桂川東岸とは全く違う清々しい雰囲気のある親しみの多い神社です。創建は飛鳥時代の700年早々ですので、1300年以上の京都最古の神社になります。右京区・西京区一帯に縁のある渡来人秦氏の氏神として創建されました。酒の神としても知ら

          トリックアートの気まぐれ御朱印巡り散歩旅 その3 

          トリックアートの斜めに歴史を読み解く番外編⑩一夜限りの戦国夜話 その4(正)

          信長「わしの永徳の絵はほとんど安土天守とともに、燃えてしまいよったのう・・・。惜しいことじゃ、そういえば、筑前、お主に遣わした、唐獅子の絵は、どこへやったのだ。?」 秀吉「はい、あの屏風絵は、備中撤退の折、完兵衛から輝元にくれてやりました。」 信長「何、あの毛利輝元にか!何故じゃ?」 秀吉「はっ、一刻も早く、上様の仇を打つために毛利と和睦して都に大返しをするためでございますよ。」 相馬「その唐獅子図は、明治維新後、毛利公爵が明治天皇へ関心を買うため、献上しておりまして、現在は

          トリックアートの斜めに歴史を読み解く番外編⑩一夜限りの戦国夜話 その4(正)

          トリック・アートの気まぐれなつぶやき~歴史を斜めに読み解く 其の⑦豊臣秀吉の本当の偉さとは?

          今回は戦国の三英傑の豊臣秀吉と徳川家康について2回に分けてみていきたいと思います。 さて、本能寺後の「山崎の戦い、賤ケ岳の戦い」でライバルを倒し、天下人としての地位を万全にした秀吉ですが、彼の偉さとしてトリックアートは以下のことを挙げたいと考えます。 ①「おね」→「北の万所」を正妻として娶っていたこと。女性の社会参加と地位向上の礎。 ②征夷大将軍への就任をあっさりあきらめて、天皇の臣下 順位第一位である関白職に就いたこと。一種のプロレリアート革命の先駆。 ③刀狩令に並行して

          トリック・アートの気まぐれなつぶやき~歴史を斜めに読み解く 其の⑦豊臣秀吉の本当の偉さとは?

          トリック・アートの歴史を斜めに読み解く 其の⑥将は将を知る~本当の将の器とは?編

          ここで、戦国時代を代表する最強の二人の武将・大名、織田信長と武田信玄の関係性から、本当の将の器とは何か?を読み解きたいと思います。 前にも申しましたように織田家と武田とは犬猿の間柄ではなく、むしろ信長は信玄を憧れをもって崇敬していたと思います。 軍兵の専門性を追求し鍛錬する(騎馬隊・槍隊・鉄砲隊etc専門部隊の創設)などいずれは軍兵としての専門職業創成=兵農分離に発展する新しい身分制度社会の改変へとつながる信玄の軍法の斬新な先見性など大いに参考・取り入れております。 そ

          トリック・アートの歴史を斜めに読み解く 其の⑥将は将を知る~本当の将の器とは?編

          トリック・アートの気まぐれなつぶやき~歴史を斜めに読み解く 其の⑤《本能寺の変その後》編

          ともかく光秀は本能寺で織田信長を、二条新御所で織田信忠を打ち取り織田政権の打倒に成功しました。 しかし、光秀には信長・信忠父子の殺害後の具体的な政権構想・指針は十分に描けていなかったと思われます。 つまり具体的な政治行動(EX.明智幕府を作る、全国の諸大名に招集・動員命令をかける等等・・・)を一切とっておりません。 いや、実際にはとりたくとも、とれない想定外の深刻な事情が次々と彼の前に突きつけられて行きます。 その最大の誤算とは・・・。 ①信長・信忠父子の遺骸が変後数日

          トリック・アートの気まぐれなつぶやき~歴史を斜めに読み解く 其の⑤《本能寺の変その後》編