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母さん指を切りました、さて、丸く収まるか?

切り干し大根、かぼちゃの煮付け、ブリと蓮子の照り焼き、それにお味噌汁を作ろうと思ってサツマイモを切ろうとしたら、先っぽの方でつるりと滑って左手の中指にグサっと包丁を指してしまった。

子持ちが一番忙しい夕方18時半。夫と長男はお風呂に入っている、娘は台所の柵の前でつかまり立ちして喃語で何か不満を訴えていた。中指から血がダラダラ流れてきたので、とりあえずキッチンペーパーで指を巻いて右手で強く中指を握って止血した。痛いが、痛いと言って聞いてくれる人もそばにおらず、お風呂場まで行くか悩む。わざわざ風呂にいる夫に痛いと言いに行くのもなんだか子供みたいだが、結構痛いので台所の柵を開けてお風呂場に向かう。9か月の娘もハイハイでついてきた。お風呂のドアをノックすると頭を洗っていた夫が顔を出してどうした?と聞いた。指を切ってかなり痛いと話すと、緊急性を感じ取ったのかすぐに出ると言ってドアを閉めた。長男は湯船に浸かりペットボトルにお湯を入れて遊んでいる。夫が本当にすぐ出てきてくれ、バスタオルで身体をふきながら私の指を見て「うわーっ」と言った。

私は極度の怖がりで、しかも傷口を見ると多分動揺するから代わりに見てもらった。「これは病院だね」と夫が断言し、私は「縫うのかな?」と聞くと「縫うね。」とまた断言するので「それは嫌だ、本当に病院に行かなくてはいけない怪我なの?」と聞くと「縫うかはお医者さんと相談して。」と言われ、まだお風呂で遊ぶと聞かない長男を浴室から出して拭いてからスマホで救急病院を調べてくれた。

世間はコロナの流行で荒れている。不要不急の外出は自粛中、新型コロナウイルスが感染拡大しているこんな時に病院には行きたくない。間抜けなタイミングで指を切った自分にため息をつきながら脱衣所の段差に座って指を握っていた私に、裸で目をキラキラさせた2歳の長男が「救急車くる?」と聞いた。多分来ないかな、と言うと私の血まみれの指を見て「母さん痛いの?〇〇も足の指痛いの。」と足の親指の爪のささくれを見せてくれた。

病院が決まり、電話先の看護師さんの指示で夫が中指をガーゼで巻き直してくれた。夫に簡単に離乳食と夕飯の説明をし、包丁には血が付いてるからよく洗って欲しいと伝えて、東京無線で呼んだタクシーに乗りこんだ。

左手を心臓より高く上げていたので、おかしいかな?と思ってタクシーの運転手さんに「包丁で指をぐさっとやっちゃって」と話した。運転手さんは、それより今はコロナが怖いねえと私の事情には興味がなく、ひとしきり消毒液が無いとかマスクも無いとか、タクシー会社から貰った消毒液はなんか違うとか、Amazonで消毒液を買おうとしたら送料が6000円もしてありゃあぼったくりだとか話した。消毒液は酒を煮て濾過すれば作れると運転手さんは力説し、うちの消毒液も残り少なかったのでやってみようと思ったが「子供が2人いてはまず難しいですね。」と話した。「自治体で時間のある人が一気に作って配布してくれたらいいですね」と提案すると、運転手さんは「それはいいアイデアだねえ」と同意してくれた。支払い時に障害者手帳を見せて1割引してもらい「お大事に」とか気遣いはなく病院前でタクシーを降りた。

病院には電話を入れていたので総合受付で名前を言うと、プラスチックで出来た研究所とかで使ってる様なすごいマスクをした男の人が対応してくれた。その後ろから髪の乱れた高齢男性の受付の方がもう一人出てきて、受付の前にあった青い椅子に腰掛けるよう勧めてくれた。左手をずっと上げていて疲れていたので、椅子に手をかけ座ろうとすると、プラスチックのマスクの男性の方が強い口調で「そこはダメだよ!」と髪の乱れた受付の人を嗜めた。後ろのベンチにどうぞと言われ、時間外だから駄目だったのかしら、と思いながらベンチに腰掛けた。髪の乱れた方の人が持ってきてくれた問診票など記入してしばらくして、プラスチックのマスクの人が近寄ってきて、実は先ほどコロナの疑いがある方がそこに来て座っておりました。と言ったので動揺して「マジ?その椅子触っちゃったよ!!」と変な喋り方になり、しかも大声を出してしまった。青い椅子を触った方の右手を2人がかりで泡のアルコールで消毒して貰い、とりあえず大丈夫なはずだと自分を落ち着かせた。髪の乱れた方が「保険証をお返しします」と持ってきてくれたが、保険証をテッシュでつまんで私に触れないように渡した。あんたが青い椅子を勧めたから私が危険に晒されたんだよ、とイライラしたが、私も彼の立場なら知らない患者に嫌われようが感染しないよう気をつける他ない。当たり前だわな、と思うようにした。

外科に通されて診察室の前のベンチに座っていると、プラスチックマスクの受付の方が通りかかった。「さっきのコロナの人、このベンチは座ってませんよね?」と確認したら「救急車で運ばれてきたのでこちらには入っておりません、ご安心ください」と言われた。さっきコロナの危険に晒されたばかりなんだから、座らないで立っていたら良かったのだが、つい座ってしまった。まだまだ危機感が足りないのかもしれない。

左手を頑張って上げて待っていると、身長の小さな眼鏡女子の看護師さんがやってきた。手を上げていることやガーゼが家にあったことなどが偉いとか、ひとしきり褒めてくれる人あたりの良い方で安心した。傷を確認してもらい「縫いますかね?実は私、縫うのが怖くてたまりません。出来たら縫いたくないのですが」と話すと、この切れ方なら縫わなくても大丈夫かも、と言ってくれた。「今はいいテープがあって、縫わなくてもそれで留めるだけで大丈夫な時もあるのよ。とりあえずお医者さんは綺麗に治るから縫いたいんだけどね、縫った方が医療の点数も高いしね。」と教えてくれた。とにかく縫いたくないと主張して、とも。病院の人なのに、利益より私の怖がりのことをわかってアドバイスをくれた、本物の白衣の天使だ。彼女も最近ピーラーでやってしまい、そのテープを使い自分で処置したそう。

診察室に通されると、白髪の清潔な感じのお医者さんに「あなたは縫いたくないのね?」と言われ、話が通っていた。まあまあ、とりあえず傷を見ましょうと確認すると「これならテープでいけるね。」と言われ、縫わないのが確定した。

胸に詰まっていた不安がすとんと落ちて、そういえば髪はバサバサ、慌てて服を着たら上下カーキ色で変な組み合わせだなと気づいた。どんなに変な格好をしていても、何かに集中していたら自分が変だから人の目を見られないとかそういう気持ちは出てこないんだなと不思議に思った。先生はガーゼを取って傷を確認しているが、私は「見たら動揺するので見ませんね」と横を向いていた。先生が「まあ大丈夫だよ、一度見てみたら?」と言うので、恐る恐るコットンで消毒されている指を見た。先生が「ここは痛い?これは血のりだね」などと話しながら見たが、思ったより浅い傷で安心した。「夫が絶対縫うって断言するからずっと怖かったんですよ」と愚痴を言った。天使みたいな看護師さんにしっかりと感謝を伝えて病院を後にした。コロナ中じゃなかったら優しくしてもらって感激して握手していただろう。

病院の前の、夜までやっている薬局で軟膏や痛み止めを貰った。待合室をぐるりと見渡すと、20代くらいの目つきの鋭い女性が私と同じように人差し指をぐるぐるに巻かれて座っていた。

駅に向かって歩きながら夫に電話した。子供たちは私が出かけてから大暴れの飽和状態で大変だったが、テレビをつけたら『魔女の宅急便』がちょうど始まって、急に静かになり2人ともいい子で夕飯を食べて落ち着いていると言っていた。夫はジブリ映画をちゃんと見ていないのにも関わらず元々アンチジブリだが、子育てを通じてジブリの魅力に気付きつつあるらしい。子育てをすると、苦手だったものが途端に得意科目に変わったりするのでミラクルだ。私の場合は、どうも苦手だった絵本が、読み聞かせで声に出すことで繰り返し読む短文の魅力にハマり、絵本が大好きになった。また、ママ友に褒められ朗読は得意分野なのだと知った。小学生〜中学生の頃にいっとき劇団に入っていたので、腹式呼吸が出来るのだ。周りがキラキラしすぎていて、私は身体も硬いし、地味で裏方向きだと諦めた演劇だったが人生に無駄はない。

夫は帰りに駅前のブックオフに寄って帰ってきてもいいくらいだよ、と言っていたが、コロナは怖いし疲れたのでそのままバスに乗った。慌てていた割にリュックの中に漫画を一冊入れていたので、読んで帰ろうとバスの中で漫画を開いた。友人から貰った「儚いくん」という漫画だった。タイトルから想像するより刺激的な内容、ちょっと精神的にくるような表情などがあったからか、急に心臓がドキドキしてきた。内容的に何か自分のトラウマに引っかかったかな、と思ったがそんなことはなさそう。とりあえず本を閉じて、周りの人に息が苦しいことを悟られないように静かに息を吸って吐いてを繰り返した。バスを降りたら落ち着いたので、乗り物酔いかな?くらいの軽い気持ちで帰った。

まだ『魔女の宅急便』に間に合うかな、と早足で家まで歩く。自分も小さな頃に金曜ロードショーで母と見て楽しかった思い出があったので、子供らと一緒に見たかったのだ。マンションの前あたりで「寝かしつけ始めています」と夫からLINEが入った。夫が仕事で遅い時などバタバタ入ってきて何度も寝かしつけを失敗したので、私がよく夫にLINEを送っている内容だ。音がしないようにゆっくり鍵を回すと、まだ絵本を読んでいる声がしたので、リビングには行かず静かに手を消毒してから他の部屋のベッドの上で待機した。病院に行ったのでジャケットや服を全て洗った方が安全かな、と思ったが疲れてそのままの格好で横になってしまった。

しばらくして、子ら2人の寝かしつけに成功した夫が暗いまま待っていた部屋まで迎えに来てくれた。傷が塞がるまで水仕事はしない方がいいってと伝えると、明日は休みだし土日は僕が家事をするよと言ってくれた。そして電気を小さくしたリビングに移動して、夕飯の残りを温めて出してくれた。せっかく子らも早く寝たことだし、録り溜めていた『恋は続くよどこまでも』の続きを見ようという事になった。私はソファで夕飯を食べながら、夫はパズルマットに寝転んで、キスシーンとか恥ずかしい(きゅんきゅんすると言われている)シーンで身悶えたり、佐藤健のセリフのモノマネをし合いながらくつろいでいた。

すると、さっきバスで起こったような息苦しさがあり、それでも平静を装って夕飯を食べていたら心臓がドキドキしてきた。ソファに横になっても治らない「なんかおかしい」と夫に言うと「血が沢山出たから食事したことで血を生産し出したんじゃない?」と言った。息がかなり苦しくなってきて、ちょっとヤバそうと伝え、背中をさすって貰った。そうすると更に苦しくなってきてしまい、さするのをやめて貰った。夫は「ドラマを見てドキドキしてるのもあるかも」と的外れなことを言ってテレビを消し、さっき行った病院に電話してくれた。

先生は「血が出てパニックになってるんだろう、ゆっくり大きく息をするのを1時間くらい続けたら治る。あと温かいものをゆっくり飲ませて」という指示をくれた。横になりながら大きく息をして、夫が手を握ってそばに居てくれたら、30分位でおさまり喋れるようになった。いつも色々不満をぶつけているが、こんな時に彼が近くに居てくれて本当に良かったと何度も言葉にして感謝した。

土日は本当に夫が料理をしてくれたので、私はビニール手袋をして離乳食だけちゃちゃっと作れば良く、楽だった。夫が3人分3食を調理している時間、久しぶりに息子とゆっくり遊べた。イヤイヤ期で難しい時なのに、要領の悪い私は授乳や離乳食とご飯作りに時間がかかりすぎて息子との時間が充分に取れていなかったと分かった。コロナで外食したり気分転換も出来ず、しっかり出汁を取って作ったお味噌汁を飲まずにぶちまける息子と上手くいっていなかった。前回書いたように家出までした。息子とダラダラくっついて、眠いときには重くても座って抱っこしたりしてあげただけで、息子はすぐ母さん母さんと言ってくれるようになった。これぞ怪我の巧名だ。

しかし、これを書いている私はまたも家出をしている。土曜日の夕方、子らが同時に寝てくれたので、その隙に夫に文句を言って近くのカフェに逃げてきたのだ。今朝、コロナ対策の為に日課にしている4人全員での検温をしていたら私だけ37.3°cあった。あちゃー、先週の救急病院で貰ってきてしまったか。コロナだったらどうしようと青くなっていると「だって平熱高いんでしょ?」と夫が言い放った。自分は少しでも熱があると気分でふらふらするクセに、私の心配はしないのね。コロナがこんだけ流行ってるけど、妻に熱があっても心配しないのかとげんなりしてしまった。そういえばまだ長男が産まれたばかりの頃、夫は熱が出たとふらふらになっていた。産褥期だったが、健康な夫が弱っているので心配し、別部屋に掃除機をかけて布団を運び、食事も作って運んだ。しかし熱とは37.1°cだったことがあった。その後、授乳中に私が38.6°cの熱を出したが心配する様子は無かった。

育児放棄の父から心配されないで育ったので、若い頃は彼氏から心配されないとキレてビンタして眼鏡を壊してきた私だった。私の心身の調子が悪いのに心配しないで無視したという感覚が辛くて、その状況になると、とてもナイーブになってしまうのだ。両親が離婚し、離れて暮らしていた父に生活費をちゃんと払って欲しいと掛け合ってばかりの幼少期で、シングルマザーで金銭的に綱渡りの生活だった私のせびりは大学まで続いた。大学を3年で中退しなくてはならない程追い込まれた時に、父にメールした。「生活費や学費をくれないなら、やっていけないので風俗でバイトします。」返信はなかった。私は勢いで、大学のあった田舎の駅前にあるチュッパチャップスというピンサロの面接に行き、その日お試しで働くことになった。ペラペラの制服をノーブラで素肌に着てお客さんと個室に入ったら怖くなってしまい、泣いて謝って辞めた。黒服の妙に優しい男性が泣いてる私を車で一人暮らしのぼろぼろのアパートまで送ってくれた。その後、父に精神的苦痛で慰謝料を取れないかと弁護士さんに相談に行き、19歳までならなんとか取れるかもと言われた。しかし、裁判資料を作っているうちに精神的に追い込まれて体調を壊して、それから長い付き合いになるうつ病を発症した。

いつ何時も私を心配していて欲しいという私の心は歪んでいるし、夫にあれもこれも求めすぎているのも知っている。私がうつ持ちで虚弱で、彼は普通の旦那さんの何倍も家事をやってくれるし、文句も言わない。それでも、心配されないと不安になる私のトラウマの部分を理解してくれないと不満が溜まる。そこだけは投薬やカウンセリングなどしてきたけどなかなか変えられない部分だ。心配されないことについて特にナイーブだから分かって欲しいと再三伝えているのだ。夫のトラウマ、ナイーブな部分は私なりに理解しているつもりだから、世間に照らして彼がどうもおかしいと思う部分があっても指摘しないし、彼がまたひとりぼっちにならないように絶対受け入れてきた。同じようにしろというのは我儘なのかもしれないが、私たち夫婦の一緒に生きる意味はそのあたりにあるはずだ。

私の痛みを無視し、しかも文句を言うと萎れたように私より落ち込んでしまう、どうしようもない夫を置いて出てきた。せめて失敗したなら陰気に落ち込まずに、逆転楽しい気持ちに引っ張ってくれたらどんなに良いだろう。自分のトラウマ関係で揉めてパニックになっていたとしても、夫婦や家族の風通しをしたり週末の楽しい企画をしたり、そういうエネルギーを自分から発揮しないと家がどんよりしてしまう。家族4人の生活の明るさを保つには、産後うつの私一人では力が足りない。

一番近くのカフェでマサラティーを飲みながら考えをスマホで文字に変換していると、腱鞘炎の右手がついに動かなくなった。仕方ないのでスマホをテーブルの上に置いて、テーピングしている中指を避けながら人差し指で一文字ずつゆっくり押しながらの作業になった。普通右手がアウトになったら書くのは諦めるだろうな、書き終わらないと途中で終わりに出来ない性格も病的なんだろうなと思った。

夫から「子供が起きてオムツ漏れをしたので布団を洗濯しています、今日一日つまらない日にしてごめん」とLINEが入った。カフェで来店時3つしかなかったケーキを2つ取り置きしてもらっていたので、箱に詰めてもらった。まだテーピングしている中指のある方にケーキの入ったビニール袋を下げて、暗くなった道を家に向かって帰った。

夕飯は簡単にパスタにした。夫は再びごめんと謝ってきたが、子供たちが寝ていた2時間の間に夕飯を作ってくれていた様子は無かった。私は仲直りしようと買ってきたケーキを渡して「私はまだ指を怪我してるからビニール手袋をつけて料理をしてるし、腱鞘炎で朝から手首に湿布を貼ってるの知ってるよね。怒って出て行ったんだから、せめて挽回する為に夕飯くらい作ってもいいと思うんだけど。」と嫌味を言った。やはり彼から問題を解決する気はないらしい。

夫と話さないと、長男とその分よく喋れる。普段いかに大人同士ばかり喋っているのかよく分かる。寂しい思いをさせていたかも知れない。夕飯中も私がずっと息子の話だけに付き合えるので、息子は上機嫌だ。今夜は、泣いていた娘を抱っこしながら炒めて作った(ちょい焦がした)ほうれん草とコーンと鱈のクリームパスタと、刻んで冷凍してあった人参と春キャベツの玉子スープ。野菜を食べないイヤイヤ期の息子仕様のクリームパスタには、玉ねぎとブロッコリーの芯とインゲンが細かく刻まれて隠されている。普段は目ざとく見つけて除ける息子も、よく喋る母に気を取られてパクパク食べる。スープも苦手な息子だが、スプーンで具を口に入れるときに野菜の気持ちになって「いたたたた〜!」と痛がると食べてくれた。もしかして、私が息子だけに注目していればイヤイヤしないのかも知れない。

娘を授乳で寝かしつけてから、ぶどうとちょぼちょぼというクッキーのようなものをデザートに出してあげると、息子は満面の笑み。夫の歯磨で泣いた後「母さん、だいすちして寝る〜」と息子。抱っこしてから私は布団に仰向けになり、息子は私の上にベターっと抱きついている。成長曲線の上からはみ出すくらい身長が大きめの息子は、90cmを超えている。身長小さめの私に抱きつくと、彼の頭は私の顎にガンガンぶつかってくるくらいだ。かなり眠そうな様子なので「今日絵本なしでねむいねむいする?」と聞くと「そうするー」と言うので、電気を消して抱っこしたまま『ねむいねむいの本』を暗唱した。最後のページまできて「おやすみなさい、またあした」と締めようとすると「母さん携帯の音するねえ」と言いだした。これはまずい、寝ないパターンか?と思ったが、携帯は震えていない。おかしいと思ったら、息子は私の左胸に耳を当てて寝ている。「それは携帯の音じゃなくて、母さんの心臓の音だよ。」と伝えると抱きついて頭に大量の汗をかいたまま、すやすや眠ってしまった。

下ろして横に眠って貰おうかと思ったが、お喋り上手でシャイな息子がこんなに甘えてくることは珍しい。きっと私の体の上に乗ったまま眠ることなんて、あと数える程しかないだろう。重いし苦しいし暑いけど、このまま寝かせておくことにした。息子もさぞ暑いだろうと思い、掛布団を半分下げると、眠りながら「お布団かけるの」と言うので、布団を引っ張り上げて肩まですっぽり包まれると私も暑くて汗をかいてきた。今日の都内のコロナ感染者は118人。30代の死亡率はそう高くないが、体が弱めの私はコロナウイルスで死なないとは言い切れない。もしかして近日中に死ぬかもしれない、そう思うと汗だくでくっついてくれている息子が愛おしい。人生が80年あったとしても、息子とくっついて寝られる今は繰り返し思い出す黄金のような日々に違いない。息子が自分から降りるまでは頑張って抱っこして、今夜は2人汗まみれなまま寝ることにした。

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