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センターポールのアスリートとの出会い 会社起ち上げ編 その②

前回の続きからです。
パラスポーツに関わる仕事をしているのですが、このタイミングを利用して過去の振り返りや会社起ち上げの経緯などを書いていきます。
しかし、起業するまでの事を書いていたら長くなってしまいました。
その②は今までやっていたスキーの事を書いています。
起業するのはもう少し先ですが、スポーツを通じて得た学びを書いていきます。

入学した大学は中央大学
高校生活を終えて、大学に進学です。
高校2年生の頃インターハイは、まぐれで入賞できたおかげで、大学でもスキーを続けることが出来ました。(スキーの場合は冬の競技なので高校2年生までの競技の結果で推薦などが決まりますので、高校三年生最後のシーズンに入る頃には大学が合格が決まった状態でした。)

高校2年生の時にまぐれの全国大会入賞でしたが、面白いもので私は自信が付いたのか、高校3年生はシーズンはタイトルレースでの活躍は無かったものの、一応高校生の上位グループで定着します。
少しだけ自信がつき、もっと頑張ろうと進学したのは系列の東海大学ではなくて、東京にある中央大学でした。

YOUは何しに雪のない東京へ、と思う方も多いかと思いますが、スポーツに力を置いている都内の大学が選手をスカウトしてインターカレッジ(通称インカレ)での総合優勝を狙うのは夏の種目に限った事ではないのです。
当時強かったのは日大、早稲田、明治、日体大、東海大、中央大、近畿大、東洋大、ここら辺が1部校で、中央大学は、インカレ優勝こそは無かったものの凄く勢いがありました。
その立役者は八木橋拓史さんという元全日本ナショナルチームの中大OBが指揮を取っていたのです。

八木橋さんの指導で、まだ無名だった選手がどんどん成長して大物喰いをして、インカレや全国大会で大活躍している印象が強く残っています。

私は一応大学にはスポーツ推薦で入学できたものの、同世代には選手が強い選手は少なくて、即戦力というより”育成枠”みたいな感じだったと思います。
しかし、中央大学に入学すれば自分が変わることが出来るんじゃないかと思って上京したのでした。


東京での生活に胸を躍らせて上京。
テレビで見ていた東京。TOKYOです。しかし、情報とはかけ離れた状況。
そう、中央大学は東京都八王子市。山の奥にそびえ立つ都会とは孤立した場所でした。
住まいは、南平寮。中央大学の体育部会の約400名が住んでいる(収容されている)、巨大な要塞です。雨の日だろうが台風だろうが常に洗濯物が干してあるスラム街の様な光景で、平和な住宅街の景色には異様な光景でした。

今まで、スキーの遠征で合宿には慣れていたもののこれから4年間24時間プライベートが無い空間で生活するのは実感がなかったですし、(他の大学や部会に比べたら中央のスキー部はかなり良いほうだったらしいですが、)大学はガチガチの上下関係で終始緊張して生活。ドアの開け閉めも〝カチャリ〟と絶対に音を立ててはいけなく、『忍者か!!』というツッコミを誰にも出来ず過ごした一年目です。

この衝撃的な寮は大人になって見た映画の”蟹工船”にしか見えなかった。
ベットには謎のグラフティが。『ここ大学の寮ですよね・・・?』
(今ではとっても綺麗になっているそうです。)
1年生の頃は結構しんどくて免疫もなかったので、寮が巨大な墓標にすらみえる程でした。

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大学はトレーニングするもしないも自由
寮での集団生活で決まり事も多く、下級生は制限も多かったのですがトレーニングに関しては自由でした。
スキーという種目が個人競技だということもあり、全体で練習するのは平日朝練で行うサッカー。月に一回の走力テスト。夏合宿の三つのみで、トレーニングしようがしまいが基本的には誰も何も言わないのです。
『大学生とは自由なんだな。でも練習はしっかりせねば。高校の時のメニューやろう。』と今までと同じ練習メニューをして、毎日眠りにつく。この生活をシーズンに入る迄、ひたすら繰り返して迎えたのでした。
先輩たちはというと、全然練習していない人も多かったです。

最悪のシーズン
いよいよ大学生のシーズンインを迎えたのですが、結果は散々。
アルペンスキーは自分のポイント順でスタートするのですが、基本滑り降りて自分のタイムを見ると最下位。ゼッケンバックは当たり前で、レースを終えて自分のリザルト見ると今まで負けたことない人にまで抜かれて下手したら高校1年生にも負けたりと目も当てられない状況。
ビデオで自分の滑りを見るのも嫌だったし、やさぐれていました。
この年もインカレで中央大学は総合優勝こそなかったものの大活躍。心のそこからチームの活躍を喜べなかったですし、夏の間あまり練習していなかった先輩が活躍しているのが不思議で仕方ありませんでした。

コーチからの種明かし
実は入学したときに八木橋コーチと大学シーズンに向けて個別でミーティングをしたときに言われたことがありました。
『頭固すぎ、今の自分の課題見つけて取り組まないとダメ。トレーニングは量じゃないから。そこに気が付かなかったら今シーズン悲惨だよ』と。
トレーニングの量はしてきた自信はあったし、分かったふりして聞き流していた結果が表れた大学一年生のシーズン。

シーズン終わった時には八木橋コーチに
『ほら、言ったでしょ練習は量じゃないから』
言われたときは十分自分でも自覚してたのですが「ワシが一番分かっとるがな!」と心の中だけで叫び1シーズン不意にしたことを反省。
結果が全てです。
ただ、八木橋コーチに付け加えて言ってもらったのは『1年消化したけど、来年どう過ごす?』
考え方、やり方変えないと駄目だと。
いくら頑張ったからとか、結果には関係なかったのです。

そして、あの夏の間何もしていなかったような先輩は、自分に足りない部分を理解してトレーニングしていたのでした。

成果を出すにはゴールを決め、自分の現在地を確認する事を怠っていた私。
つまり逆算して行動しなければいけないことを学んだのでした。

まだ大学生活は3年残っているので見直すことにしました。

つづく