秋野夏人

イマドキの若いもん、と言われがちな社会人です。

秋野夏人

イマドキの若いもん、と言われがちな社会人です。

最近の記事

右か左か

 シンプルなものは美しいし、分かりやすい。単純であった方が柔軟に考えられるし、そちらの方がなんだかいいもののような気がする。  でも、世の中はそういうことになっていることは少ない。大体の制度やルールは複雑で、消費税は10%だけど、例外としての8%も存在するし、そもそも消費税がかからないものもある。全部10%なら話が早いのに。  大体の問題といわれるものの解決策や妥協策と言われるものも同じだ。賛成か反対か二元論に落ち着くことはなく、大概総論では一致していて、各論で議論が紛糾する

    • それでも続くよどこまでも

       感動的な瞬間や歴史的な1日、絶望するタイミングは誰にでもある。  ただ、そこでは決して終わらない。映画なら、そこでは幕を閉じても、子供が生まれたなら、次はオムツや食事の問題と向き合う必要があるし、人を殺してしまったのなら、捕まったり、裁判の瞬間にスポットがあたるけれど以降、罪を償い、その事実と向き合い続けるほかない訳だ。  例えは極端だけど、卒業式でどんなにドラマチックに悲しく泣いたって、次の日からは卒業している事実には抗えないし、小学生は必然的に中学生へとならざるを得ない

      • 「分かったこと」は分かるのか

         「分かりました?」と聞くことは多いし、聞かれることはもっと多い。自分自身が相手に対して、きちんと伝えられているのかという確認するために聞いていたし、バイトで家庭教師をしていたなんかは、しょっちゅう聞いていた気がする。一方で、聞かれることも当然あった。お互い、なにか伝えたいことがあって、それを相手に思うように伝わったかどうか知りたい、という意図だと思うけれど、散々聞いてきたくせに、自分のこのこととなると、「分かっていない」状態から「分かった」状態になったことは何を以って判断す

        • 残る物語と残らない物語と

           むかしむかし、あるところに、おじいさんとおばあさんがいました。おじいさんは・・・なんて続いていくのはよくあるやつで、ああアレね、と聞いている側には分かる。桃が流れてきて、鬼を倒しに行くやつだ。誰もが知っているはずだけど、どうしてこの話はみんなが知っているんだろう。  いや、むしろ、「むかしむかし」から、今に至るまで、数えきれないほどの物語が人々の中で語り続けられてきて、本屋に限らず、ネットを探せば、到底、読み切れないほどの物語が存在する。極端な話、誰の目にも留まらない、埋

        右か左か

          「誤解を恐れずに」を添えるとき

           誤解を恐れずにいうと、というフレーズがあるけれど、すごく迂遠な言い回しだ。誤解を恐れていないのであれば、そもそもつける必要はないし、誤解を恐れているのであれば、発言しないほうが良い。  でも、全く意味のない言い回しなのかというと、別にそうでもない。「誰もが正しく理解してくれるとは思えないけれど、一定程度の人にはきちんと伝わるはずだと感じている。だから、今から私が発言することをよく考えてほしい」という微妙なニュアンスを付け加えることになる。  そう考えると、あながち、悪い

          「誤解を恐れずに」を添えるとき