残る物語と残らない物語と

 むかしむかし、あるところに、おじいさんとおばあさんがいました。おじいさんは・・・なんて続いていくのはよくあるやつで、ああアレね、と聞いている側には分かる。桃が流れてきて、鬼を倒しに行くやつだ。誰もが知っているはずだけど、どうしてこの話はみんなが知っているんだろう。

 いや、むしろ、「むかしむかし」から、今に至るまで、数えきれないほどの物語が人々の中で語り続けられてきて、本屋に限らず、ネットを探せば、到底、読み切れないほどの物語が存在する。極端な話、誰の目にも留まらない、埋もれてしまうものが殆どな訳で、どうして、これは後世まで残ったんだろうか。残っているものと残らなかったものとの差は何なんだろう。

 まず、その物語が楽しむのに値するのかどうかが根本的に求められそうだ。小難しい文学的価値なんかはさておき、そもそも「読んでいて、聞いていて、面白いのか」が必要条件になる。その「面白さ」の基準が物語を受容する側の文化や社会に応じて変化していくんだろうけど。でも、それはあくまでその社会、グループにおいて、流行るか否かの基準でしかない。

 その上で、ずっと残るものは何なんだろう。何か普遍的な価値・テーマがその物語にはあるか否かが基準になりそうだ。「桃太郎」にそういったものを見出そうとすると、常人よりも強い力への憧れ、勧善懲悪や仲間と協力することの大切さ、みたいなものがそれにあたりそうだ。
 そう考えると物語は、ずっと昔から変わっていないし、「桃太郎」級に残る物語はもう出てこないのかもしれない。大げさに言えば、今の物語はどれもかしこも、主人公がいて、所期の目的を達成するという根本的な構造に対し、桃太郎の仲間に桃子が出てきて恋愛的な要素が加わるとか、鬼と桃太郎の職業や設定が少し変わっている程度の違いということなのかな。

 こう考えると、「残る」の言葉の定義をもう少し明確にしないと先に進めなくなってきたような気がするし、そもそもどれくらいのスパンで「残る」か否かを考えないと、要素も検討できなさそうだ。。
 といったところで、とりあえずおしまい。

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