それでも続くよどこまでも


 感動的な瞬間や歴史的な1日、絶望するタイミングは誰にでもある。
 ただ、そこでは決して終わらない。映画なら、そこでは幕を閉じても、子供が生まれたなら、次はオムツや食事の問題と向き合う必要があるし、人を殺してしまったのなら、捕まったり、裁判の瞬間にスポットがあたるけれど以降、罪を償い、その事実と向き合い続けるほかない訳だ。
 例えは極端だけど、卒業式でどんなにドラマチックに悲しく泣いたって、次の日からは卒業している事実には抗えないし、小学生は必然的に中学生へとならざるを得ない。
 個人的にはこの連続性みたいなものが苦手だ。延々と今までの行いが後ろから付いてきて、評価してくるように、あれやこれやの失敗が追いかけてきて、枷を負わせてくるような気がする。このタイミングで勉強していれば苦労しなかったのに、あの時こういう選択肢を取っていれば、こうはならなかったのに。そんなことが目について、全部リセットしてしまいたくなる。
 小学校のことは小学生までに。1日の話題は1日で終わり。次の日からは全く別人、0からまたスタートしたい。あれこれ上手くいかなかった今日の仕事をリセットされて、明日には、そんな仕事自体がなかったことにならないものか。
 ああだこうだと妄想にふけったところで、結局朝起きれば、上手くいかなかった今日の仕事は厳然として目の前に明日もそびえ立つ。その仕事を片付けたとしても、またそんなことを心配する日々が続く自体に、また絶望するのだ。
 それでも続くよどこまでも。

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