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涙の内定通知。〜私が公認会計士になるまで#9〜

こんにちは。

公認会計士の大塚としひでです。

公認会計士になるまでをつづったお話、

全10回のうち第9回目となります。

前回のお話しはこちら。

7回目の挑戦で、やっと合格。

みなさんは、

7回も続けて何かにチャレンジした

ことってありますか?笑


まずはホッとした


あらためてその時の感情を思い出すと、

嬉しかったというよりは

「ホッとした」という感じでした。

もちろん嬉しさはじわじわ出てきましたが、

それ以上に、もう受験勉強をしなくて良い、

次のステージに行ける、

そして親のすねかじりを卒業して、

やっと社会人になれる、

そんな様々な感情が入り混じり、

はぁ〜〜〜、ほんとよかった〜、

って感じでした。

ちなみに、母親に結果を報告した時の反応。

「よかったわね〜、これでもうあんな大変な思いしなくて済むね」

という感じでした。

母も結果が出てひとまず安心した、

と思ったのでしょう。

今考えても親には感謝しかありません。

こんなにできの悪くて、

あきらめの悪い子供の、

やりたいというわがままを許し続けてくれたのは、本当にすごいことです。

今の私があるのは、あらためて両親のおかげです。

自分が息子に同じことをしてやれるかと言われると、

ちょっと自信ありません(笑)。


就職活動に苦戦する


さて、試験に合格はしたものの、

それだけではご飯は食べていけません。

働く場所が必要です。


当時の会計士試験は、

合格の瞬間から就職活動が始まります。

それが合格直後に、嬉しいはずなのにすぐに

喜べなかった原因です。

就職できるかどうかの不安が大いにありました。

例年会計士試験に合格した大半の合格者は、

大手4つの監査法人に就職していました。

特に面接官に響く志望動機などなくても、

会計士試験に合格さえすれば就職できた

時代でした。

そんな状況を知っていたから、

監査法人の志望動機なんて、

直前に適当に考えればいいや、

とか、

会計士になったらどんなことをしたいかなど、

面接で聞かれそうな(とても大切な)こと

についての準備はほぼしていませんでした。

いや、

そもそも会計士試験に合格することが目的になってしまっていて、

その先のことなんて聞かれて、もすぐには思い描いていなかった、

と言ったほうが正しかったかもしれません。

不運なことに監査法人の採用状況が変わり、

1年前の2003年の合格者は、

各監査法人が採用人数を減少させたことに

より、結構な数の合格者が就職できずに

苦しんでいました。

さらに年齢が高ければ高いほど就職には

不利で、私も合格者の平均年齢を上回って

いたので、就職に不利な状況だということ

は容易に想像できました。

就職活動は不安が的中、苦戦しました。

いや、
不安に思ってたから苦戦したのかもしれません。

大手のうち2社の面接を受けましたが、

いずれもその後数日、

内定の連絡は届きませんでした。

内定をもらえる人は、早ければ当日に連絡がきます。


数日経っても連絡が来ないということは

内定がもらえない、

ということに等しい状況でした。

特に第1希望の監査法人は、

以前1度論文試験に進んだときに、

合格を条件に内定通知を出してくれていた

ので、そこで働くことを楽しみにしていました。

そのせいか、

内定がすぐにもらえずショックでした。


しかしショックで落ち込んでいる場合ではありません。

せっかく合格したのに、

働けないのでは資格を取った意味がないと思いました

(やはり、崖ルートを登ってますね 笑)。


届いた内定通知


気持ちを切り替え、

中小監査法人の面接を受けようと、

エントリーシートを用意していた休日の夜のこと。


突然見知らぬ電話番号から電話が鳴りました。



なんと!

その電話は、第1志望であった監査法人からの電話でした。


「内定」


この時は、ただひたすら、本当に嬉しかった。

はじめて会計士試験に合格できた実感が湧きました。

親に報告したあと、

トイレにこもって泣きました(笑)。

(最終回へつづく)


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