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【後日談】エッセイ『体重17㎏の私』で語り切れなかったこと「集団食中毒」が奪い去ったもの


先日上げたこちらの記事

8000字近い長文のエッセイにも関わらず多くの方に読んで頂き、嬉しい限りです。馴染みのフォロワーさんを始め、その他の方にもコメントを頂けて嬉しい限りです。

みなさん、ありがとうございました。
まだ、読んでいない方にはぜひ読んでもらえたら嬉しいです。

さて、今回は上記の話しの後日談。
上の記事では、さらっと終わってますけれど、当時は退院後、さくっと良くなっていったわけではなく上記記事で語り切れなかったストーリーがいろいろとあるのでした。

退院後の様子

【中学時代】体重増加と傷ついた言葉

退院後、数年間通院は続き、集団食中毒のトラウマに思春期だったことも相まってしばらくは安定しない精神状態が続きました。

ASDの特性がこのタイミングにて強く出たせいか、教室で授業を受けることができなくなり、中学校3年間別室から教室に通っていました。

教室よりも別室で過ごす時間の方が断然長かったです。

家での様子はと言うとやはり入浴や食事が怖いといった状態が続き、しばらくは日常生活を送ることに苦労していました。
退院直後は「頑張らないと食べられない」状態が持続していて、食べることに努力を要する状況だったのですが、退院後2年経ってやっと「頑張らなくても食べられる」状態へと進展しました。

「良かった」とほっとしてのも束の間、今度は過食へと転じて体重は退院後から2年間で30㎏ほど増加しました。
「食べたくても食べられない」状態から「食べても食べても満たされない」状態へと変わり、それはそれで苦痛だったことを覚えています。

上記で上げたことに加え、「どこで食事を切り上げたらいいか分からない」「また、食べられなくなるかもしれないことが怖い」という心境からどうしても過食傾向が改善されませんでした。

例えるなら、今まで重たいタイヤを括りつられ、付けられていない身軽な他の人と並走することを求められていたのに、急にタイヤを括る紐を「ブツッ」と切られて前のめりになる感覚。

「あれ、頑張らなくても食べられる・・・。」
そんな感覚に身体と心が戸惑っていたのだと思います。

精神科の先生からは「病気が治る過程で出る症状だから心配いらないよ。」と言われていましたが、当時はなかなか苦しんでいて、「どれだけ食べても満腹にならない」ことや急激な体重増加に伴う容姿の変化と周囲の反応に思い悩み傷ついていました。

痩せていて、身長も低かった時は、知らない先輩からすれ違い様に何度も体型をばかにする言葉を投げかけられ、太ったタイミングでは中学の先生から悪気なく「太ったね。」などと言われたこともあり、なかなか堪えるものがありました。

【高校時代】体重減少と友人との約束

その後高校に入って1、2年の間で今度は17㎏ほど減少しBMIは15でした。(18.5未満が低体重とされています。)
この15という数値は摂食障害において重度とされる数値です。

この時、精神科への通院をしていなかったことも相まってか、障害へのサポート体制がない学校に適応できなかったり、食中毒のトラウマから家以外の場所で食事が摂りづらい状態が続き、最終的には心身を壊し通信制高校への転校をする形になりました。

「一緒に卒業しようね。」
「こんなにも長い間、僕と友達でいられたのはよづきだけだよ。」

最初の高校にはそう言ってくれる大切な友達がいたのでぎりぎりまで頑張っていたのですが、どうしても身体が言うことを聞かなくなり、泣く泣く転校する決断をしました。

その後もなんとか関係性を保とうとしましたが、その友達が県外に住んでいたことと私の特性から会うことが難しく、結局は疎遠になってしまいました。

そして現在

「気持ちの切り替えが下手」というASDの特性からか、いまだに食中毒によるトラウマが現役で生きています。

そのせいで外食に苦手意識を持ったり、食べられるものが限定されたりといったことに加え、パニック発作だと思っていたものが「PTSDによるフラッシュバック」だったことが判明したりと今もやや生活に支障があります。

でも、トラウマの痛みも、障害によるしんどさも私の一部だと思えば愛せる気がしたのであまり悲観せず、やりたいことに目を向けて日々、前向きに過ごしていきたいです。


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