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【ASD】のブランケット症候群 〜ブランケットが手放せない〜

効かない薬とぼろぼろブランケット

私は成人してもなお、ぼろぼろになったブランケットを手放す事が出来ません。

子供の頃は外出時もブランケット手放す事が出来ませんでしたが、親に
「無くしたり汚したら困るんじゃない? 」
と言われなんとか外出時は持ち出さなくなりましたが、その代償なのか今は近所以外の外出は体調不良や不安感から出来なくなりました。

不安障害という病気のせいかはたまた性格なのかわかりませんが、自宅にいる時も常に不安感があり、精神科で処方された抗不安薬や抗精神病薬を服薬していますが、あまり効果を感じられずぼろぼろのブランケットが私の精神安定を担っています。

不安になった時、手持ち無沙汰の時、暇な時、寝る時などはブランケットをそばに置いたり触ったりします。
そうすると嗅ぎ慣れた匂いや感触に安心して強い薬でも和らがなかった不安がすっと引いていき心が楽になります。

自分の心が変わってしまうのではないかという不安

幼い頃、私はブランケットを片手に母に涙ながらに訴えました。

「もし、おおきくなって “もうふさん” をすててしまったらどうしよう。」
と。

母は
「その時はその時だよ。今一緒にいたいならいればいいし、大人になっていらなくなったら捨てればいい。」
と穏やかに話してくれましたが、余計に『いらなくなった』時の事を考えてしまい涙がたくさん溢れました。

『いまは、もちろん いっしょにいたいけれど、おおきくなって もうふさん のこといらなくなって すてちゃったら もうふさんがかわいそう。
おおきくなって このきもちをわすれたり かわってしまったらどうしよう』

しばらくはブランケットを見るたびにそんな思いに駆られ不安になっていた幼少期でした。

物が死ぬとき

私にとってブランケットは辛い時も苦しい時も共に過ごしてきた人生の相棒です。

子供の頃から長い年月を共にしてきた相棒が糸はほつれ、毛は抜けて、裏地は破れぼろぼろになったのを見ていつか来る別れを意識し始めました。

丁寧に扱ってはいますが、衛生面から定期的な洗濯はかかせませんし何年も触り続けていれば傷んでくるのは仕方がない事ですが、日々、傷みがひどくなっていくブランケットの姿を見るのはとても切ないものでした。

生き物であれば「死」という明確な別れの基準がありますが、良くも悪くも物は死ぬことはありません。いつまで一緒にいるか私は悩み、「いっそのこと生き物のように死があれば気持ちにも折り合いが付けられるのに」と考えてしまう自分を嫌悪することもありました。

そして、この問題と向き合う時が来たのだと思い私は自問自答しました。

「このブランケットが崩れ落ちて糸だけになっても持ち続けるのか? 」

私の答えはNOでした。

幼い頃の私が恐れていた事が起きてしまったのかもしれません。

でも、今の私は大事にしてきた物が壊れたり、その役目を果たせなくなった時が『物が死ぬ時』だと考えるようになりました。

糸だけになった愛用のブランケットを見て、触れて、私の心は癒えるだろうか。

心地よい肌触りを失い痛々しい姿になったブランケットを見ても癒される事はなく、辛い気持ちを持ち続けるだけだと思い、その時が『ブランケットの死』だと考えるようになってからは別れの不安ときちんと向き合うことができるようになりました。

ブランケットとの残りの時間を大切に過ごそうと思います。

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