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親のことばにまだ引っかかる、自分を見つめる夜に。


『眠れぬ夜に思う』

ホントは我慢してたのね

押し込めていた言葉たち
ホントはおまえに不要だと
知っていたのか知らいでか

最近我慢してたのね

いいたいことはいっぱいあれど
口に出すと不穏な空気
さらにわたしの返答で
怒り心頭喧嘩にもなる

言いたいことを言わないのは
愛なのかもしれないけれど
言いたいことを我慢する
ほんとの理由はなんだろね

言いたいことを飲み込んで
自分の気持ちを隠すのは
父も母もおそらく一緒
それを見てきたわたしも一緒


きょう放たれた言葉と思い
もう反感もしないけど
認めてなんて思わないけど
やっぱり胸に引っかかる
眠れぬ夜に思い出す

あぁやっぱり父は父
あぁやっぱり母は母
その人自身を受け止めて
違う道を歩いてく

だから私は少しずつ
我慢しないで伝えよう

親不孝だと言われても
自分の気持ち優先しよう

受け入れてなんて期待せず
ただこう思うと置いてこう




お盆で実家へ帰った時に感じたことを書き留めました。
(詩にチャレンジ!)

先日から読んだ本の記録にもちらっと書きましたが、私は実家の親と距離を取っています。


距離を取り始めてから数年。
前回行ったのは春だったかな?
今回はお盆なので仏壇へ手を合わせ、お茶をしに。
父はお昼に弟夫婦と会食した際に
好きなお酒を飲んだようで、久々に饒舌でした。

この前は口数少なく穏やかに見えていたのに、
飲むと日頃思っていることが口に出るのでしょうね。

他府県で暮らす私の子どものことを
ちゃんと把握しているのかと聞いてきました。
どういう将来設計をしているのか、
ちゃんと親として忠告やアドバイスをしてるのかと…。

孫は成人して仕事もしてるもう大人ですよぉ~(-_-;)
その親の私ももうオバチャンですよ~苦笑

私の父は完全にがむしゃらな親です。
いくつになっても私は子供。
だから私の親として、私がちゃんと親しているかが
気になるのでしょう。
そして母は父に逆らいたくない受け身な親です。
「お父さんの言うことを聞いとけばいい」ばかり。
(参照書籍:『親といるとなぜか苦しい』)


小さい頃から随分、
認められようと頑張ってきたなぁと思います(笑)
大人になってからも考え方が違うので
どこまでいっても平行線なのは分かっているのに、
分かってもらおう認めてもらおうと
頑張って伝えてきたりしていました。


でももう途中でやめました。
だから私は親と距離を置いてます。



夫も同じ感覚で、うちの親子のスタンスは、

「聞かれたらアドバイスはするけれど基本的に自分のことは自分で決める」

息子たちは早くから親に相談するよりも自分で決めて歩いて行っています。
失敗したりもするけれど、
それも自分で決断したことなら納得できます。
また違う方向を向きたければ向いたっていいと思う。
だから息子たちの未来に、
私たち親が口をはさむなんて考えもしません。

でも父にはそんな考え方は甘いのでしょう。
父には親としての正しい在り方があるのでしょう。
「お義父さんにはお義父さんの正義があるんだろう」と夫は言います。

子育てだけではなく人として全てにおいて
父にとっての正しさがあり、
それを教えることが親としての務めだと
かねてから思っていたのか、
小さい頃から出来ない私に
いつもダメだしばかりでした。



正義はひとの数だけある。
みんな違っていて、いい。

父の正義もそのひとつ。
それに合う子もいるだろうけれど、
でも私には合わないのです。

親子だからこそ難しい。
色眼鏡をかけ、
合わせるのが当たり前と思ったり、
合わないといけないことだと思ってしまう。

でも親子だからって、
無理して一緒にいる必要はないし、
親のために自分を偽る必要もない。

親の思いも自分の気持ちも尊重できたら。



いつもは数分で寝てしまう私も
その日はなかなか寝付けずに、
そんなことを考えていました。


「親とは考え方が違うんだから、もういいんだ。
悲しむ必要もない。分かり合えなくていい。
自分の思いはイチ意見として
きちんと伝えることにしよう」

数日経って感情を流して、
スッパリそう自分に思わせてくれたお盆の出来事。

一気に軽くなりました。

この先もずっと
練習なのでしょうけれど^^

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