書きたいこと

 つらい境遇の中にいても、切り取り方次第では素敵な思い出として後世に語り継がれる。事実を編集することの大切さを私に教えてくれたのは、1000年前の女流作家清少納言をおいて他ならない。
 このところ大河ドラマでは、中宮定子サイドがどんどん宮中で追い込まれていく様が描かれているみたいだけれど、枕草子のどこを読んでもそんなことは書いていないのだった。傾く境遇の主を慕い続けて、楽しい思い出だけを書き残したのだから、素敵だ。
 清少納言は多くの媒体できつい性格で描かれることが多く、その竹を割ったような性格や、男性とも対等に渡り合おうとするところなどは、枕草子の随所にみられる。すがすがしいほどの「私ってすごいでしょ」感にはたびたび敬服。元祖インフルエンサー。日本最古のマウント女子。絶対的匂わせ女王。これらはすべて、彼女にささげる誉め言葉。私はあなたになりたい。
 彼女の書いた「ものづくし」が好きで、あれなんだったかなと思うと時々読み返したりしている。あれ、エッセイの画期的なフォーマットだと思うんだよな、と思うのだけど今の人でやっている人をあまり知らない。彼女が1000年前に網羅してしまったから、もう書くことがないのだろうか。
 心ときめきするもの。すさまじきもの。かわいらしいもの。現代の作家のもの尽くしを集めた短編集をもしご存じの方がいたなら教えてほしいし、まだならどこかの出版社が企画してくれないかなとひそかに思っている。待っているのも悔しいので、note では個人的に気が向いたらものづくしを書いてみる予定ではある。
心乱れるもの、愛情があふれるもの、ため息をつきたくなるもの、息を止めて見つめてしまうもの、深夜に見たいもの、見たくないのに見てしまうもの・・・いろいろありそうだよね?

 ものを書くのは楽しくて難しい。書くことにはとてもエネルギーも時間も必要。だから、勉強の傍らとか仕事をしながらなんて無理だなあ。と思っているうちに、言葉の世界は少しずつ私の手から離れていってしまった。
 仕方ないよね、ほかにやることがあるもんね。そんな言い訳をし続けて、もう7年くらいが経つ。もともと文章を書くのは大好きだったけれど、一度書き出すといくら時間があっても足りず、日常の様々なタスクに中断されてしまうのが惜しかった。そう思っているうちに、どんどん筆不精になってくるから、いけない。私は書くのをやめてはいけなかった。
 淡々と遅滞なく進行していく日常の中で、書きたいことなどたかが知れている。うまくいったこと、いかなかったこと、好きな音楽のこと、好きな人たちのこと。
 私には訴えたいことがあるわけでもないし、共感してもらいたいことがあるわけでもないのだが、伝えずにはいられなかったことをゆっくり書いていこうと思っている。断片的で、「だから何?」と言いたくなるような。

 最近、毎週ひとつ窓際に植木鉢が増える。
初夏は植物がよく育つ。私は青く輝く新芽というものが大好き。こんなにつやっぽい、たっぷりと濡れた葉っぱが出てくることをいつも不思議に思う。
この葉っぱはうまいぞ、と思う。5月はなぜか芋虫の気持ちになりたくなる。新芽が本当においしいのかは知らないけど。

 伸びすぎた多肉植物のわき目を切って、小さな植木鉢に植えることを繰り返していくと、植木鉢は際限なく増えていった。育て始めたころは3つしかなかったのが今は8個もある。いったいどうして…
 どうせすぐに枯れてしまうのではないかとあまり期待していなかった「月兎耳」が、そのぽてっとかわいいフォルムの均衡を乱して急成長している。月兎耳は、肉厚の葉にびっしりと細かい毛が生えている、ふわふわの可愛い多肉植物だ。我が家の月兎耳は、ひょろりひょろりと頼りなく新芽が伸びてはいるが、これ、ちゃんとふわふわに育つんだろうか。なんかまだ、つやっと濡れたような緑で生っぽくて、ちょっとエロい。ほんの少しだけ。
 先日、そのわき目を切って100均の植木鉢に植え替えた。時々、死ぬほど多い植木鉢を並べている庭先などを見かけることがあるけど、きっとこんな風に増えていくんだろうなと思う。慣れている人や、腕に絶対的な自信のある人は間引くんだろうけど、私のように優柔不断な人間は、際限なく植木鉢を増やす運命にある。
 今はリビングで、か弱い室内犬のようにかわいがられて育っているそれも、いずれ人間の生活を脅かすほどの面積を占めるようになれば、庭へと追い出されてしまうのだろうか。ああ、なんて勝手なんだろう。
 5月、五月晴れの日の光が降り注ぐ窓辺で、自然のエネルギーは、人間の事情などお構いなしだ。
私が書きたいのはそういう日常の出来事なのだ。






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