見出し画像

2023年春 ウズベキスタン・タジキスタン 旅の言語・その2

この記事は「その1」からのつづきです。
「その1」では、日本語(と英語)しかできない奴が、付け焼刃で一か月ほどウズベク語を学んだ結果、超絶カタコトのレベルにしか達しなかった、という話でした。

また、旅の概要は下記の「まとめ記事」をご覧ください。

では、本編です。
言語ネタに関する一瞬を切り取った「カケラ」を5つご紹介します。(普通の旅日記は後日投稿予定。「普通、順番逆ちゃうん?」と自分でも思ってます。すんません。)


で、どうなったの?

1. ブハラにて~「読める!読めるぞ!!」

ブハラのチャイハナ(喫茶店)のメニュー。キリル文字とローマ字が入り混じるカオス。
てか、なんで店名"Болои хавз чoйхонаси"はキリル文字なの?こだわり??[MAP]  (QCG5+V5)

まずは最初の町、ブハラでの一幕。
観光やらなんやらを終えて、おなかすいたので観光客とローカルの人が半々ぐらいのチャイハナ(喫茶店)でのこと。

ブハラは暑いところなので、一番下のColaやPepsiにも惹かれてしまいます。(これらはみなさんご存じのアレです。写真もがっつり載ってるし)ただ、リットル"L"を表す部分がキリル文字の”л”(小文字のエル)になってるのは、今記事を書いてて気づきました。ちなみに"Nestle suvi"は「ネスレの水」(要はPETボトル入りの水)。suvが「水」で、最後の"i"は複合語につく語尾、という教科書知識を確認出来て何より。

そんなことを思いつつ、やっぱり飲み物は温かいお茶Choy。そして食事はラグマンlag'man(うどん的なやつ)と迷ってオシosh(ピラフ)をお願いしました。その後もメニューを見てて色々気づきます。まず"Salatlar"。これは想像がつきやすいですが「サラダ」のコーナーです。Salat-larと別れますが、-larは複数形の語尾、と接尾辞だけを学習したポンコツでも「あぁ、これは"サラダたち(salads)"と書いてるんだなぁ」と理解できました。

次の"Yaxna ichimliklar"をみて気づくのは、複数形の-larです。そして記憶の片隅にあった「飲む」という動詞"ichimoq"を連想して、「2語目は"飲み物たち"という意味だな」と理解できて非常にうれしかったです。ポイントはこの連想が文字列を見た瞬間に浮かんできたことで、「ちゃんと読めてるなぁ」と勝手に自己満に浸ってました。でも前半の"yaxna”は意味がわからず。「良い」という意味の形容詞"yaxsi”に似てるけど…なんやろう。わからず。(googleさんによるとこの2語で"soft drink"の意味とのこと)

語学の醍醐味、「わかった!と思ったら、間髪入れずにわからん!が来る」を体験でき、ちょっとでも文法やってると類推が利くんだなぁと実感した瞬間でした。(約2秒)


2. ウズベキスタン山間の村にて~「この村、タジクだよ」

山間の村、セントブの集落にて。Extreme tourismってなんやねん、
と思いながらそちらの方へ進む。[MAP]

ところ変わって、ブハラから北東、アイダルキョル湖に近い山間の村「セントブ」に行きました。村に到着後、宿のテラスでお茶をいただきながらここでの一幕。

宿といってもホームステイに近く、お宅の客間に泊めていただいているような感じ。宿の方とはロシア語カタコトを混ぜつつ、上記のブハラでちょっと「いけるか」となっていたウズベク語をできる限り使ってお話していました。ひとしきり会話を終えた後にポツリ。「この村の人はタジクの人なんですよ。」

…ちょっと自分の行動を反省しました。ウズベキスタンという国は多民族国家で、言語もウズベク語を公用語としているものの、国内には別のoriginを持つ方々も多くいらっしゃいます。そもそも、この中央アジア地域の国境はソ連時代の産物で、国と言語・民族が必ずしも一対一対応していません。

なんだか、「ウズベキスタンだからウズベク語で!」と思ってた自分に良い冷や水を浴びせてもらえた瞬間でした。


3. サマルカンドにて~「本(で/から)勉強しました」

村から街に出てサマルカンド。サマルカンドは二回目で、名物観光地も見終わっていたので、休養と洗濯をメインにしていました。そんなサマルカンドからタジキスタン国境へ向かうタクシーでの一幕。

Uber的な配車アプリYandexで車を手配すると、推定5~60代の運転手の方が来られました。「え~っと、どこまで?(アプリで行き先を入れてるけど確認も込めて」「ペンジケント(タジキスタン)まで」「タジキスタンまでは行けないよ!!」「いやいや、国境まででOKですよ、ほら、アプリの場所」みたいな"業務"やり取りのあとのお話。

大体(日本でもそうでしょうけど)、外国からの観光客に話しかけるときには「どこからいらっしゃいましたか?」になるのはどこも同じ。というわけで、対面最初に"Qayerdan …"(カエルダ) や "ГДе…."(グジェー)―いずれも"where…?"―と聞こえたら「日本から」と答えればOKだと思ってました。(大概の場合、2文目に"Корея? Китай?” カレイヤ?キターイ?―韓国?中国?―と続きますが) 今回もそのパターンで「私は日本から来ました」だの「仕事は?」「エンジニアやってます」みたいな会話をしていました。
そのうち「ウズベク語、話すんやね。どこで勉強したの?」と訊かれました。こんなカタコトでも話すと言ってくれてうれしい限り。「本で勉強してます」と言いたくて

"kitobda  oq'iman"―(私は)本勉強している―

と言ったところ、わずかに間が開いて一言

"OH!… kitob, … kitobdan oq'iysiz"―(あなたは)本から勉強している―

と返ってきて「後置詞の選び方おもしろ!」と思いました。(ま、ただ私の文法ミスなのですが。)英語の場合"study by a book" vs "study from a book"の比較では微妙なニュアンスもなんとなくわからんでもない(byのほうが道具感強い?、fromだと習得済み感が出る感じがする??、個人的には)レベル。日本語で

本 (a.で /  b.から)勉強する

の助詞を選べと言われたら「で」かなぁ、と思います。ですが、私のnative方言である東山陰方言(鳥取市周辺の方言)では「から」が正解になりそう!とか思った次第です。(この方言では「から」の守備範囲が広く、「家から勉強する : study at home」という使い方します。)後置詞選び、こういう日本語の助詞選びっぽくって面白いなと気付いた瞬間でした。


4. タジキスタンにて~「全編ロシア語でお送りします」

ペンジケントの公園入口。タジク語もロシア語もキリル文字100%なのでローマ字表記は皆無。гуштはmeatの意味のタジク語らしいことは記事を書いてる段階で知った。[MAP] (FJW5+HW3)

国境を越えてタジキスタンに入ると、そこはキリル文字100%の世界。ウズベク語ローマ字表記は頭を使わずに読めるのに対し、キリル文字は読めるとはいえ、ぼけーっと眺めてて読めるわけではないので、なんにせよ疲れます。輪をかけて困るのはタジク語はペルシャ語系(イランなど)の言葉で、トゥルク系(トルコなど)のウズベク語と全然系統が違うので、文字列を発音で来たところで意味が分からず。

というわけで、文字を読むのは半ばあきらめて、口頭コミュニケーションに徹していたわけです。ですがブハラやサマルカンドとは異なり、タジキスタン国内(ペンジケント、フジャンド)では一言目から100%ロシア語で話しかけられました。ブハラやサマルカンドの場合は、一言目がウズベク語のケースも多かったのですが。

最初からロシア語モードなのでこちらもそのつもりでした。しかし前回<その1>でも書いた通り、私のロシア語には定型文と単語しかありません。ぴったりの場面になると文で話し出すのに、それ以外はひたすら単語の羅列、という状況。また文法を完全無視して勉強していたので「行きたい」「行かない」「行くつもり」「行きたくない」などが表現できない!! 文法を学ばないと定型文しか出せず、派生表現がゼロになってしまうという恐ろしさ(?)を体感しました。

また、こういうのって、語順が似てるウズベク語の場合は最初に語幹の部分を言ってから「行……かない」みたいに考えられるのに~!とか思いつつ、同じカタコトでもウズベク語の方が話すのラクだなーと思っていました。期せずして下記の記事の留学生の方と同じ感想を(レベルは全然違いますが)もちました。


5. タシケントにて~「ん、ウズベク語あんまり聞かなくない?」

地下鉄「赤い線」の終点、ブユク・イパク・イューリ駅近くにあるチャイハナ。
メニューはロシア語。でも広告はウズベク語。[MAP] (88FG+P77)

タシケントに戻って街歩き。泊まっていたのは市内北東部のおしゃれな雰囲気がどことなく漂ってくる住宅街ブユク・イパク・イューリ駅周辺。この辺は見事にロシア語ばかりで、ほとんどウズベク語を聞かない。そして見ない。チャイハナというかカフェに入ってメニューを見ても完全にロシア語の表記(わずかにオシoшのみはウズベク語)でビビる。

ほかの地域(例えば地下鉄「緑の線」のシャフリストン駅周辺のスーパーで買い物してるとウズベク語で話しかけられたり、例のブユク・イパク・イューリでも年配の方同志の会話からはウズベク語が聞こえてきたり、地域や年代で結構、言語模様はモザイクになってるんだろうなぁ、と感じました。


まとまってないけど、最後に

結局、2記事に亘って体験談を書き連ねてきました。ここから将来、ウズベキスタンやタジキスタンを旅行される方に実際役立つ情報が得られるとは考えづらいのですが、「雰囲気こんな感じでした」というのが伝われば幸いです。
ま、結局のところ、「付け焼刃で挑んだところ、ほぼ会話にならなかった」「うまく拾えたところだけを上記の記事にしたけど、取りこぼしは山のようにある」のが現状かと思います。職業柄、この後に結言めいたものを書きたくなってしまいますが、誘惑振り切ってここで終わりにします。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?