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【初バイト奮闘記②】お酒が飲めない人間のお酒提供

小柳とかげは激怒した。必ずかの邪智暴虐の王を除かなければならぬと決意した。とかげにはお酒がわからぬ。

お酒がわからぬのだ。

猫を轢きかけながら、自転車で街を走り抜ける小柳とかげは初めてのバイトに遅刻しかけていた。
開かずの踏切に阻まれ、また別の場所で信号に引っかかり、獣の匂いがする道を通った。

そしてようやくたどり着いたバイト先。自転車をどこに止めて置くべきか聞くのを忘れていたが、いつもの場所で良いだろうと楽観視して置いていく。

風の冷たさよりも、体内の芯の部分から沸き立つ熱により暑いと感じるが、そのままお店を覗く。

店長と挨拶を交わし、カバンを置く。
時間には間に合ったようだ。
そして、バイトの服を渡され、着替える。
ユニクロのストライプのシャツ、洗いやすく便利だろう。これは自分で今後管理せよとのこと。

さて、とうとう始まったバイト。
まず初めに、席番号とお皿と箸の設置、おしぼりの位置、来店した人には検温とアルコール除菌をお願いするということを教わる。

ここまでは問題なく覚えることが出来る。

私の仕事は、
注文を取ること
飲み物を作ること
飲食物の提供
皿洗い
会計
である。ご飯は店長が1人で作る。

なのに、このお店、ものすごくメニューの量がある。大量なんだ。
そして、お酒もなかなか小さい文字で裏表書いてあるぐらい量がある。

18時開店と同時に団体の予約があるから、それまでメニュー覚えといて。

記憶力は悪い方ではない。
しかし、空腹と自転車爆走で少し頭が動いていない。文字情報が風景のように、画像のように通り過ぎていく。
それでもなお、少しだけでも覚えていた。

ガラガラ

「いらっしゃいませ」

元気のあるおじさん達が、楽しそうに消毒と検温に応じてくれる。
テーブルに通して、まず飲み物の注文を取る。

『生 4』

……

伝票の書き方が厄介だった。
まず飲み物を上から記入して、下から食べ物を書く。
まず初めの間違いはこれだった。
飲み物を頼まれ、直ぐにご飯を頼まれるとそのまま書いてしまう。
哀れな人間、それが私。
こんなことも覚えられないのか、と心の中の私が怒る。
そして、正の字で数を書けば追加して行けると言うのに、何度もローマ数字で書いてしまうのだ。本当に、覚えの悪い人間で困るよ。

店長は怒らない。とても優しく、「正の字で書いたら追加できるでしょ?」と改めて教えてくださる。なんて有難い。

ビールサーバーは使ったことがなかった。だから、それも1から教えてくださる。
こうやって、ここまで注ぐ。
注文数の全部に1回注いでから、その後泡を追加しよう。
ちなみに、グラスにぶつかってできた泡の方が強いから上手くなったらこういうやり方してね。

もちろん、初めてなので少し零した。
が、しかし、割と上手く出来た。よかったと、ほっとするのもつかぬ間、満ちた4つのグラスを載せたお盆を頭と同じぐらいの高さにある棚から下ろして持っていかなければならない。

身長の小ささをここで感じるとは。

ゆっくり、丁寧に運ぶ。
零さなかった。偉い。私よくやった。

既に伝票のミスをしているため、小さい出来たことを少し褒める。
大丈夫、焦らなくていいよと声をかけてもらう。

想像以上にお客様は多い。
コンスタントに出ていき、新しく入ってくる。

伝票が増えていく。
どのテーブルがどのお酒を頼んだのか。
料理を持っていく。
テーブル片付けないと。
ああ、わからない。

何がいちばん分からないって、ドリンクの作り方だよ。

私はお酒がわからない。
成人したてで、基本的にお酒は飲まない。
ビールすらも手を出さない。
父親がアルコールで失敗するタイプの人なので、嫌悪感がある。
そして、多分弱い。もしくはめっちゃ強い。飲んだとしたら迷惑をかけそうなので飲まない。
今のところは。

なので、一切の知識がない。
焼酎にどんな種類があるのか、日本酒の名前も何もわからない。
ロック、水割り、お湯割り、そういうのも何となく常識で知っているだけ。

そんな私に丁寧に教えてくれる店長。

焼酎は30を2回ね、でもこれは30。

うひょー、テレビで見たことあるような測るやつ!

これをグラスに入れるのが難しく、多くこぼしてしまった。本当にもったいない。ごめんなさいの思いが溢れる。

調整して入れて、混ぜ方を教わって、すぐ忘れる。

ここの説明は何度か聞くべきだ。
これは氷を持ち上げて混ぜる。
これは中指と薬指で挟んで、親指と人差し指で回す。

炭酸が抜けないように、ということは分かるが、どれが炭酸でなんなのかが分からなくなる。
思えば、炭酸で割ったやつは持ち上げてか?
お湯割りは勝手に混ざるから大丈夫。

こういうことを学んで、ああ、私は無知だったと改めて思い知らされる。
きっと、私はここで働かなければ、居酒屋の描写ができなかっただろう。
まだ、できるほどでは無いけれど、想像だけでは書けないところが見えてくる。

働いてる間、ずっと頭にあったのは『推し燃ゆ』の事だった。

「ちょっと濃いめで」とか言ってくる人いると思うけど、うちはそういうのしてOKだから。基本的に氷を多く入れて濃いめにするけど、濃くするのもしていいからね、言われたら

店長がそう言う。

やっぱり『推し燃ゆ』の主人公のことを考える。彼女は居酒屋で働いているが、客に「内緒で濃いめにして」と言われても断るしか出来ない。
それは、彼女の真面目で融通が効かないことの象徴である。

だけど、それは店長が初めに言うべきなのではないか?
濃いめにしたっていいんだよ、と。
『推し燃ゆ』についての授業で、先生は「こういうのは緩くやるのが普通なんだよね、愛想良く、お互いに別に暗黙の了解みたいなね。だから、この主人公はそういうのが分からない性質の人だってことを表してる」と言った。

でも、それでもしダメだったら店長に怒られるの主人公じゃん?そりゃ、下手なことできないよね。当たり前じゃんか……。

そう思っていた。
そして、改めて同じような個人店の居酒屋でバイトをして思う。

やっぱ、主人公の融通の効かなさじゃねえだろ!!

店長がその指導をしなかったんだろう?

やっぱり、体験してみなければ分からないことが多い。

そして、全ての体験は小説のためになる。小説を書く時の描写の幅が広がる。創作に全てが役に立つ。文章は体験してないことだって書ける。しかし、それの説得力はどれほどだろう?

実際の世界を知らないと書けないことは多くあるだろう。

今までバイトをしてこなかった。だからこそ、私は文章を書くために、バイトという経験をするのだ。

最近、書ける世界が少なくなってきたように思っていた。同じようなことばかり書きたくなる。それはそれだけ深くそのことを思っているからだ、と思いたいけど、ただ発想が乏しくなってきているのだろう。発想というより、アイデアの貯蓄が無くなってきたのだ。インプットが足りてない。インプットというのは映画や小説などだけでなく、経験もあるだろう。

これからまた、バイトというインプットが出来る。

知らなかったことを知る。
お酒の入れ方を知る。
お酒に興味が出る。

お酒について書くことが出来る。

本当に文章というのは許容量を満ち満ちるまでは書けないものだ。

それにしても、お酒を覚えれるか実に不安である。冒頭の邪智暴虐の王というのは、バイトを決めた私のことだ。なんでお前は、お酒飲めないくせにお酒のこだわりが強いお店に入ったんだ……。

さて、小柳とかげさんはお店に馴染めるのか?仕事を覚えられるのだろうか?

ひとまずお客さんには「返事がいいね!」「ビール入れるの上手いね」と褒められ、店長にも「初日にしてはよく頑張った」と言われた。ふふふ、よかった。

頑張れるのか!!

次回!え?掛け持ち??

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