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SS『路上のシンガー』

山の麓の大学病院の前ではいつも路上シンガーが歌っていた。誰にも相手にされることなく、彼はいつも歌っていた。しかし、たまには長い間入院している人が彼を見ていることがあった。やはり、彼が歌うような希望を欲していたのだろうか。
愛と勇気を叫ぶ彼は大学病院が潰れたあとでもそこにいて、いまだに歌を歌い続けている。暗闇の中で、ただただ彼は希望を歌っている。肝試しに行く人も増えた。けれど、その歌声は誰にも届かない。どうして彼はそんなにも歌っているのだろうか。
私は彼の歌が聞きたくなった。彼は数十年も経ったというのに、全く同じ格好で老けることも無くそこで歌っていた。近づいて彼の前に座る。希望の唄が彼の口から溢れ出して、暗闇に溶け込む。自分の中に染み渡ってくる声に涙が溢れてきた。
一曲歌い終わったとき、彼は涙を浮かべていた。私は立ち上がり、彼に拍手を送る。手が痛くなるぐらい叩き続ける。彼は手を挙げて言った。
「ありがとう」
初めて聞く歌以外の声だった。彼は泣きながら笑った。涙を拭いて、彼の方を見るともう既にいなくなっていた。誰よりも不自由だった彼は、やっと自由になれたのだろうか。私にはわからない。私は、暗闇に背を向けて歩き出した。

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