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散文 暑さを縫う

何を思っている訳でもないのだけど、私はそっと街を眺めていた。夏の涼しさを感じながら、自転車で駆け巡る。髪が風に吹かれて、私は一人声を出して笑ってみた。

ハハハ、なんだか愉快な気持ちになってきた。

空の青さはどこまでも優しくて、命が沸き立つのが分かる。雲はきっと滑らかだ。生きてるって実感するのは何故なのだろう。夏が来るまではどこかぼやけたような気持ちがしていたということか。夏生まれの私は全身が水浸しになるような気持ちだった。人の体はきゅうりと同じ。

坂道をペダルに足をかけずに降りていくのは、どうしてこんなに気持ちがいいんだろう。ここを通る人なんてそうはいない。私は今この場所のこの空気を独占しているんだ。

太陽の光が強ければ強いほど、影が濃くなり、明確になる。世界の隅々まで見つめることが出来る。その鮮明さは生命を主張し、死すらも隠そうとはしない。マンションの壁面の線は細く真っ直ぐに黒いボールペンで描かれたようなものなのに、その下に広がる公園の滑り台の下には深い闇が広がり、そこからはきっとあちら側の世界と繋がることが出来るだろう。

美しい。

美しいけれど、私の心は痛くなる。きっといつかの日を思い出しかけているからだ。中学生のあの日々は、私にとって罪悪感を背負うものであり、冬の曇の日ぐらいに曖昧にしていたいのに衆人観衆で丸裸にされたような気持ちにさせるから、夏の光の強さに不安を抱くのだ。

だけど、その分やっぱり闇は濃くて元々はそちらの人間の私は帰り道に繋がる気がして嬉しいのかもしれない。かもしれない。

夏の日のこの衝動と痛みと心地良さを私には言語化することが出来ない。

こんなにも愛した街の線は、私の心の中で。

ああ、夏が消えていく。
言葉と夏は相性が悪い。
美しいのに息が詰まる。
大好きなのに恐怖する。

こんな日々、二度と訪れないと毎年冬服になった時に思う。暑くて仕方がないから家に籠って外を見て笑うのが好きだった。

でも、今私は太陽に当てられて街を縫う。縫い合わされたそれらは……。
やっぱり答えなんてでない。

ただこの気持ちよさは確かだった。

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