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SS『新緑の海に飲まれたい』

山は地球の背骨、その中にはきっと脊髄のような大事なものがある。

父の言葉は取るに足らないものである。地球の、なんて大袈裟な。日本の背骨ならまだしも、僕が見ているあの山なんて小骨だろう。

でも、何故か時たまその言葉がこだまする。山の中に何かがあれば僕は救われる気がした。

だから、僕は夏になった日いつも電車から見えていた山へ向かった。食べ物を持って、水筒に水を入れ、あいつは馬鹿だという言葉は仕舞った。

一人で歩く緑の中は僕を受け入れてくれてるような気がした。いや、むしろ知らんぷりされてるのかもしれない。それがなんだか心地が良かった。確かにこんなに大きいものからしたら、僕なんてちゃちなもの恐れる必要もないものだ。

冬のうちに降り積もった葉っぱはもう柔らかく土になろうとしていた。日差しはもう夏のものとなっている。僕はこの山のことを知っていた。濃くなり始めた緑は重なり合い、空気を浄化する。水を多く含んだ空間は、僕の指先から潤していく。暗かった。木々の間を縫うように歩いてる僕は緑の闇に飲まれている。

赤を見た気がした。

風が吹いてパタパタパタと歯の擦れ合う音がする。その中に赤色を見た。鳥居だった。そこにいかなければならないと僕の心臓はそう叫んだ。山道から逸れてそちらに行こうとする。雑草が場所を奪い合っていた。ああ、ここでは雑草なんて存在しないか、なんて思って心を決めて草をかき分けて目指す。

すると、小さな道とも言えない踏み固められた道が現れた。獣道というやつだろうか。それは一直線に鳥居へと向かっているのだった。

そこには小さなお社があった。

鳥居は塗料も剥げて朽ちて苔むして赤とは言い難かった。あんなに輝く赤のように思えたのに。

頭が動くよりも前に僕は手を合わせていた。そのとき、今日一番の風が吹いた。後ろから強く押されるような感覚。ケラケラと笑う声。

振り返った。

そこには、街の全てが見えた。あそこはあいつの家、あれは僕の言ってた小学校、あの大きい川はあんなところまで光っている。

愛おしいな。

僕は心の底からそう思った。こんなに小さいのに一生懸命生きている。不思議だった。必死になっている。すっとした。

もう一度見ようとしたら、もうお社はなかった。鳥居だけがぽつりと残る場所で僕は水を飲んだ。

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