諦め

皆、「諦め」に似た感情を抱いたことはあるだろう。

実際に行っていた事をやめたり、行おうと思っていたことを
やめたりと明確な原因や理由の有無に関係なく
続ける事や始める事に対し「諦め」という感情を
抱いたことはないだろうか?
そして、過去を振り返ることに何も意味を持たないと
分かっていたとしても、あの時こうだったらどうなっていたのだろう?っと
思ったことはないだろうか? 

ふと、手に取った雑誌がボクを異空間へと運んだ。

雑誌「TRANSIT」を数ページ捲り、目に映る光景、写真に
心を奪われてしまった。 行ったことのない世界や
現地での生活感が漂う写真に、どうしようもない気持ちに
なってしまった。人それぞれ、大なり小なり決断してきた
裏には「諦め」があったと思う。

そして、僕にはそれが「旅」であった。

もっと次の国へと足を運びたくてしかたなかったのだが
金銭面、社会的立場、世間体などの理由で歩みを
止めざるを得なかった。

明確な目標や目的がないまま「続ける」、「始める」ということが
出来ず世間や立場に屈した(自分に負けた)というのが正しい言い方なのかもしれない。

「諦め」というのをしまい込んでいたものの
この雑誌「TRANSIT」によって
もう一度、どのような形でも「旅」という
ものを続けたい(長期で)という気持ちがふつふつと
湧き上がってきた。 

年齢という厳しいフィルターにかけられ
自分のやりたい事が出来ないなら
そのフィルターの届かない場所で
生活するのもひとつの手段かもしれない。
今しかない「時間」を
大事に刻みながら「旅」をしていこうと思う。


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