見出し画像

ネガティブ・ケイパビリティを育む

〇ネガティブ・ケイパビリティとは何か


 わからないことに耐える能力にネガティブ・ケイパビリティと名前がついていたらしい。知らなかった。そう名前がついているとわかって腑に落ちた気がする。すぐに納得した自分がそこにいることにはっとする。私は、忍耐強くわからないことに耐えていたようで、全然耐えていなかったことに気づいたのである。容易に腑に落ちていてはいけないのである。この出来事自体が、自分自身に、ネガティブ・ケイパビリティの欠損があることを自覚させる。


 わからないことに出会うと人は不安を感じる。何とかして納得のいく理由を探し出したくなる。わからないことがあると自分がどうしていいかわからなくなるからだ。でもまれにわからないことがあってもうろたえず、一呼吸おいて考える人がいる。そういう人はたいてい、答えが出ない時に答えが出ないということをそのまま受け入れる。一旦その問題を保留にして、時間が経つのを待っているようである。それは、落ち着かない気持ちと向き合っていく覚悟を決めることを意味する。

 世の中にはわからない事の方が圧倒的に多い。一つの治療薬が開発されると、その治療薬がある病気に有効であることがわかる。それと同時にその治療薬は何ミリグラムで効果を示すのか?妊婦さんが飲んでも胎児に害を与えないのか?とわからないことが何個も出現する。このようにしてわかることが増えるとその何倍ものわからないことが誕生するのである。世の中はわからないことに溢れている。世の中にはわかることが圧倒的に多いことを知っている人は、どんな状況に置かれても、わからないことがある前提で、振る舞うことができる。落ち着いてわかることと分からないことを組み分ける能力はとても人を落ち着かせてくれる。


〇医療はわからないことだらけ

 ネガティブ・ケイパビリティが求められる場面の多くは非常事態である。定常状態では、日ごろの延長線上の中で、マイナーチェンジに対応していけばよい。軌道修正もパターン化されていれば、状況とそれを照らし合わせて舵をきれたなら、予想通りの結果と大きく外れることはない。しかし、非常事態(そもそも答えの存在しない場面)に出くわすとどうしてよいかわからなくなる。もちろん前例はないか、あるとしても類似の場面に限られる。経験したことのない場面に立ち会い、それでも判断を迫られる。刻々と事態は変わり、災害が更なる災害をまねく。早く決めなければ、いけない中で何を決めても、被害を最小限にすることがゴールになる。被害をなくすことができるわけではないので、後になってから責任を追及されるかもしれない。

〇ドクターショッピングを考える

 私がこの言葉に出会う前、近しい言葉として親しんでいた言葉は、ドクターショッピングという言葉である。患者さんが、症状の原因がわからず、その不安感に耐えられず、いろんな医師に聞き、納得できるまで医療機関を訪れる行為は、ドクターショッピングと名付けられている。たしかに、診療をする過程で患者さんに「なぜそこまで不安に思い、不合理な行動をとるのだろう」と思う場面に遭遇する。本人は確かに痛みに困っている。何とかしたいと焦燥感に駆られている状況なのだから訴えが強くなるのは納得できる。それも含めて医療者は治療の対象とする。日常診療の中で患者さんの話に耳を傾けて、その痛みを理解し、苦しみに共感する。ネガティブ・ケイパビリティが低い患者さんは、数々の医療機関を転々とすることになる。たしかに、患者さんと医者には相性がある。2-3件医療機関を転々とするのは理解できるが、それ以上は何かコミュニケーションに問題があると考えて対応するとかつての指導医から習ったことを覚えている。


〇救急外来を考える

 ネガティブ・ケイパビリティが必要な場面は、救急外来で数多く遭遇する。病歴を聴取し、身体所見をとり、一連の検査をする。休日や夜間であれば、医療資源は限られているので緊急性がないと判断されたら、それ以上の精査はしないことになっている。原因は特定できないが、緊急性のある疾患である可能性は極めて低いことを説明する。患者さんにはどんな時にもう一度受診をしてほしいか。救急車を呼んでよいかを説明して診察は終了となる。

 この過程をなるべく平等に行うようにつとめているが、このステップをふむにあたって患者さん次第での受け止め方に大きな個人差があると実感している。ある患者さんは、重症でないことを説明した時点でお礼を言って帰ろうとする。その後まだ説明が終わっていないことを引き留めてお話しするほどである。他には、かなり時間を要して説明しても、それでも否定できないですよね?と不安な気持ちを攻撃性にまとわせる。そして科学である医療はゼロとは言えないことに立脚していると説明してもなおも聞くことができない(そもそもその説明は行わない方が良い場面である)。

 わからないことへの不安感があることは認めるが、どうしてここまで人によって差があるのか。


〇医療者がネガティブ・ケイパビリティの低いひとへできること

 これまで私は、ネガティブ・ケイパビリティが低い患者さんにであった時にできることは、傾聴と共感に加えて、今後どんな時にどうすればよいかの対処法に関しての教育であると考えてきた。しかし、この言葉を知ることで私の治療の引き出しは一つ増えた。それは、ネガティブ・ケイパビリティという言葉の処方である。不安を抱く患者さんに対して「わからないことに耐える能力をネガティブ・ケイパビリティと呼びます。今はご自身のなかに沸き起こってくる不安感に打ち勝って、ネガティブ・ケイパビリティを育みましょう」という言葉を患者さんに処方することで救われる場面があるかもしれない。


〇コロナ渦でネガティブ・ケイパビリティを見直す


 新型コロナウイルスが世界中に蔓延している今、もっとも求められるのはネガティブ・ケイパビリティであると思う。日本政府は、経済活動をこれ以上止めることはできないと、緊急事態宣言を再び出すつもりはないようだ。感染症対策は継続するが、経済活動は活性化する。誰がどう見ても矛盾した政策決定がなされたのである。いま私たちは、答えがない状況のなかに身を置いている。感染症を広めないためには家にいてなるべく人との接触を減らすことに越したことはない。経済活動をするのであれば、多くの人々とふれあい、協力し合って事業をすすめなければならない。人々は生活するために夜の街であっても営業は免れない。その状況において、求められるのはネガティブ・ケイパビリティであると思う。わからない状況に耐えて考え続けるなかで、最適解を見つけ出せるか。まずは、耐えることから始めなければならない。少なくとも、フェイクニュースにとりついてしまわないように、自分のネガティブ・ケイパビリティと対峙することから始めたい。

この記事が参加している募集

読書感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?