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【ショートショート】猫にも愛を


小説家の彼はいつも、
猫の写真を撮り溜めている。
1日の終わりにその写真を披露してくれる。


付き合ってみて分かったのだが
恋愛小説家の恋愛は案外
ロマンチックというよりは現実的で
甘い愛の台詞なんて滅多に口にしない。

銀行員の元彼に散財癖があったように
料理人の元彼が家では一切包丁を握らなかったように
男性の職業なんてものはただの“職業”であり
その人のプライベートでの人間性を示す
重要要素にはなりえないのだと、
20代後半になって気が付いてきた。
だからこそ、職業を無駄にひけらかしてくる男性は
どこか信用がならないと感じている。


気の早い鈴虫が鳴きだした5月の夜、
彼と二人、夜風に当たりながら晩酌をしていた。
少し酔いのまわった私は面倒くさい。

「ねえねえ、なんか喋ってよ」
「なにを喋ろうか」
「なんかこうさ、女の子が喜ぶ粋な台詞とかさ?
そういうのが五万と浮かぶのが
小説家さんなんじゃないの?」
分かっているくせにこうやって煽る。

彼は呆れたように少し笑って答える。
「僕にとって執筆は、この耐えがたい現実からの
逃避手段みたいなものでしかないんだよ。
日頃からあんな甘ったるい台詞を吐くなんてのは
たいそう胡散臭い男だけだろうね」
「言葉のプロなのに、もったないなぁ」

彼は少し神妙な面持ちで続ける。
「本当の愛を表現するには、
言葉はあまりに陳腐で不十分すぎるよ。
もっとこう、ノンバーバルなものなんだよ愛って」
「???」
彼はたまにこうやって
わざと私の理解が及ばない次元の台詞を吐く。


「ところで今日は、猫を3匹見かけたよ。
黒と三毛とトラ柄だった」
スマホの写真を見せてくる彼は
つい先ほどまでの会話と不満げな彼女なんて
全然お構いなしみたいな
ひょうひょうとした顔つきだ。


小説家の彼はいつも、
猫の写真を撮り溜めている。
甘い愛の台詞を吐く代わりに、
1日の終わりにその写真を披露してくれる。

「猫、君好きでしょ?」
私は彼の目を見つめ満面の笑みで返す。
「うん、大好き」

ノンバーバルだかバーバパパだか
よく分からないのだが
私はそんな彼が愛おしくてたまらない。
結婚してから知ったのだが
どうやら彼は根っからの犬派らしい。

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