肉体という道具


昨年、
だいすきな祖父が亡くなりました。


この『虹園』という名前の所以でもある
私の書道のお師匠さんでした。


祖父が書道をするときに使っていたのが
『香園』という雅号でした。


ちょうど私が水引のことを始めるころに
初めて知ったことでした。


私はなまえを 『ナナ』 と申しますので
数字の『7』は 小さい時から友達でした。
7に関することには なんとなく目が行ってしまう癖がついていて
当然 虹の七色 も友達でした。


おじいちゃんの雅号が 『コウエン』 だと知った時
虹の七色 もとい ナナ色の虹 の
『虹』 も 『コウ』 と読める!!と興奮し
音を受け継ぐことを勝手に決め (笑)
『虹園』 が生まれました。

おじいちゃんが力を
貸してくれているようで
心強くて
この名前にしてよかったなぁって思っています。


そのおじいちゃんが亡くなることは
私にとって恐怖でした。


おじいちゃんが死んじゃったら
動かないおじいちゃんを見たら
悲しすぎるに違いないって
怖くて怖くてたまりませんでした。


おじいちゃんは
とってもとっても器用で
書道のほかにも
絵もうまかったし
工作もうまかったし
だるまさんとか観音様とかも木彫りしちゃってたし
頭もよくて勉強家で
好奇心が旺盛で
なんでもできちゃうクリエーターでした。


亡くなる数年前から
おじいちゃんはせっせと終活に励んでいて
一生懸命おうちを片付けていました。
でも
思うように体が動かなくなって
自分でやりたいことはいっぱいあるのに
できない
もどかしいような感じだったと聞きました。


私が遊びに行ったとき
はあ…はあ… と 苦しそうに
息を切らしながら
庭の松の木を鋸で切っているのに遭遇した時は
さすがにぎょっとしました。
きっと
少し前まで
なんでもない作業だったのでしょう。


そんな
なんでも自分でできちゃうだいすきなおじいちゃんが


昨年
とうとう亡くなりました。


催事出店で忙しくなり始めた私は
もしかしたら
お見送りもできないパターンもあるかもなぁ と
少しだけ覚悟していましたが
でもどこかで信じていました。

やはり
ちゃんと
催事と催事の間のことでした。



おじいちゃんのお見送りの日。

恐怖の対面。

おずおずと
おじいちゃんが眠る棺を覗くと…



抜け殻!!!!(゚д゚)!


おじいちゃんいない!!!!(笑) (笑っちゃダメ!)



おじいちゃんは
もう
この重くて仕方ない
肉体をさっさと脱ぎ捨てて
もう還った後…に見えました。。。


そして
なぜだかとても

爽快な
うれしい というか
さっぱりした というか
爽やかな
いやーよくやったなぁー! というような
そんな気持ちになったのは
肉体から抜けた
おじいちゃんの
意識の残り香だったのかなぁと思っています。

もー葬式なんていーから
おめーらもうけぇれー
という声が今にも聞こえてきそうな感じがして
厳かに進行する葬儀とは裏腹な
なんともちぐはぐな感覚だったことを
覚えています。



だからあの時
私は強く思いました。


私たちは 意識 なんだと。
私たちは ひかり なんだと。


抜け殻のおじいちゃんは
おじいちゃんの形をした肉体でしかなかった。


お話してくれたり、
お習字を教えてくれたり

物理的なことは
相手に届けるには
肉体という道具を使うことでやっと
意識 を
実現できる ということ。


実体がない 
目に見えない
意識。
だから ひかり。
遮ることで
影ができて
目に見える実態になる。

遮るものがなければ
それこそ光の速さで届くけれど
実体がないから受けとる人のアンテナ次第。

目に見えるもの、
聞こえるもの、
実体
それは あってないようなもの。
額面ばかり頼りにしても
光を感じたら
真実は
もしかしたらまったく違うところにあるかもしれない。

文字ばっかりで行き違うのは
そういうことかもしれませんよね。


袖振り合うも多生の縁 という言葉がありますけれど、
『多生』っていうのは
仏語なんです。
この世に生まれ出るまでに
何度も繰り返している
前世のことで、

ほんのちょっと関わる人でも
これまでの前世でのなかで縁のある人と関わりあうということなら
今世での出会いもやっぱり
全て然るべき出会いだし


肉体を通じて
実際に出会うことが物理的にできなかったとしても
意識は ひかり なんだから
共振して
繋がりあうことだって
当然あること。


水引に出会って、
『コウエン』になって

【むすび】 を追求する中で
師匠であるおじいちゃんが亡くなって
実体験として
コウエン師匠が教えてくださって
得ることができた学びでした。


水引は
芯が和紙の紙縒りでできています。
わし は かみ です。
かみ を むす んで 形を創っています。
むすび方のそれぞれに
清々しくも奥ゆかしい
ひかり にも似た奥深い
意味があります。

だから
むすび には力が宿るし
むすび は
叡智や真理そのものだって
思うんです。

本や資料で勉強したことだけじゃない、
体感としてたくさんのことを
多くの方に
与えていただき、
こうして私の考察は
ふくふくと
膨らんでいっています。

それをまた
むすび を通じて
この 肉体 を使って
まるで還していくように
伝えていくこと が
やっぱり
私の しめい なんだと思います。


この肉体を使ええるのは
ほんの僅かの時間です。

まっすぐに、優しい心で
やれることをできる限り一生懸命に、
魂込めて全力で。



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