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 最近怒ってばっかりだ。環境が変わったせいで、つもりに積もったストレスが少しずつ溢れ出し始めてきた。テレビでは毎日のようにコロナのニュース。PCR検査がどーたらこーたら、給付金がどーたらこーたらでキリがない。都知事は特に対策もせずに、毎日のように会見を開いている。うんざりするのでここ最近はテレビを観るのをやめた。youtubeを開くと文化人たちが「WITHコロナ」というテーマをひっさげて、これからの日本のあり方、世界のあり方を語っている。なんだろう、この現実を受け止めなければならないのは分かっているけど、いまいちついて行けない。これからの時代を生き抜く為にはもっと勉強しないといけないのに。


 僕はそんな焦りから、「何かをしなければならない」というモードに入ってしまった。ずっとそんなことばっかり考えているので、仕事なんかどーでもよかったし、仕事中もイライラしていた。マズかったのは、上司が僕あてにかかった折り返しの電話をお願いされた時に、普通に「イヤです」と言ってしまったこと。その時の僕は冗談半分に吐き出した言葉だったが、無礼にも程があると思う。

 どうしてこんなに怒っているのだろう―。

 思えば僕はずっと、なにかしら焦っている気がする。何かを成し遂げれなければならないという考えがずっとある。入社した時も、絶対偉くなるという気持ちで意気込んでいたけど、いざ自分の不甲斐なさを目の当たりにすると、不貞腐れて、すぐに逃げようとした。「俺には向いていない、仕事のセンスがない」何度、そんな事を思って会社を辞めようとしただろうか。大学時代もイライラしてた。大学2年生のころ、サークル内の男子たちがこぞって彼女を作りはじめた。自分にはそれが叶わず、「非リア」の烙印を押され荒れ狂った。その様子をみた後輩からは「先輩が乱心してる」と引かれていた。
 20代の僕はめちゃくちゃ生き急いでいた。そして今も、焦燥感に苦しめられている。

 その焦燥感の中で、ある言葉が浮かびあがる。

 ああ、俺って「真面目系クズ」だったんだ―。

 「真面目系クズ」とは言葉の通り、真面目そうに見えて、中身はクズ。からっぽの人間。
見かけは真面目そうなのに、中身が全然伴っていない。今までの僕は、言葉と行動が一致していないのだ。


 その、始まりはいったいどこにあるのだろう。深く記憶の海に潜ってその始まりを探してみる。

 その要因は”母の恐怖”だった。

 幼少の頃、母が怖かった。妹2人もいたので、当時の母からの立場としては大変だっただろうと思う。妹たちが何かをしでかす度に母はすごく怒っていた。いちばん怖かったのは、妹たちが夕飯を残して、怒った母は妹たちを家から閉めだした。それを見た僕は、この人を怒らせてはいけないと、子供ながらに胸に刻んだ。

 だからだろうか、「完璧」とか「優等生」になるという呪いをかけ始めたのは。人より劣っていると思った穴を埋めるのもあったけど、母から自分を守るために自ら、重い鎧を着始めたのではないだろうか。「完璧」とか「優等生」になれば楽だ。優秀なんだから怒られやしないし、傷つかない。そうすれば不自由もない人生が送れるはずだ。こうして僕は「真面目系クズ」になった。

 ずっとそれが正解だと思っていた。そうして自分に言い聞かせてきた。でも、完璧じゃないってわかった時、自分が自分じゃなくなるって、それが崩れ去ってしまうのが怖くて、怖くて、重い鎧を脱げずに生きてきた。わかってる。それが違うってこと。でも怖いんだ。


 そんな檻の中でうずくまってた時だった。


 「自分に優しくしてください」


 そう、ある方から言われた。その言葉を聞いたとき、すごく優しさに包まれた。なぜだかわからないけど、気づいたら涙がぽろぽろ落ちて、声をあげて泣いていた。


 ゆっくり時間をかけて、自分自身を見つめなおしてみた。僕は何度も不甲斐ない自分を認めようとしていた。でも、それは建前でホントは完璧とか優等生でありたいとあがいてい
た。だから重い鎧を脱げずにいたかもしれない。優しくしよう。自分に。それは甘えじゃない。これ以上自分を苦しめるようなことはやめよう。


  
 きっと僕みたいに「何かをしなければならない」という状態になっている人がどこかにいる。わかるよ。何かをしたいけど、それが叶わなくなった時がいちばん怖いよね。でも、気負わないで。どんどん自分を苦しめるから。だから優しくしよう。不甲斐ない自分は自分でしかない。それをじっくり向き合うことが大事なんだ。まずは、自分に優しくしよう。

「もう、そんなに自分を追いつめないで」 

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