見出し画像

出産をめぐる迷信ークライエントの生活に関わる呪術と祈りー

「雨の日に新品の靴をおろしてはいけない」
「霊柩車を見たら親指を隠せ」

誰しもが幼い頃にこのような「まじない」めいた作法を教えられた経験があると思います。現代では科学的根拠や因果関係のないものとされているこれらの「迷信」ですが、今もなお妊娠・子育ての場面では、関わる人々の心に様々な影響を与えています。クライエントの日常生活にも影を落とす出産の不安と迷信、その背景にあるものを考えてみましょう。

前職で学芸員として民俗学研究をしてきた長村明子カウンセラーに、普段の生活や子育てにひそむ「迷信」と、それを信じてきた日本人の精神的な背景や構造についてご解説いただきます。

こちらも合わせてどうぞ! ⇩




妊娠・出産にまつわる迷信

ある時担当していたクライエントAさんから、「同居している義理の親が迷信を押し付けてくる」という悩みを聞いたことがあります。Aさんは当時妊娠7か月、安定期を過ぎ、日ごと活発になる胎動と大きくなるお腹を抱えてのセッションでした。

詳細を尋ねると、義理の親は何かにつけてお腹の子どもに影響するからという理由で「~してはいけない、~すべきだ」とAさんの行動を制限するらしく、その内容のほとんどが一昔前の価値観や非科学的な迷信で、対応に困ってしまうというものでした。

カウンセラー:
例えばどんなことですか?

クライエント:
親戚のお葬式には出ちゃダメだとか、事故や災害関連のニュースは見るなとか。食べ物も柿やナスビは身体が冷えると言って「よくないよ」とか食事の時いちいち言われますね。先月の腹帯の祝いも、手順、しきたり、どこの寺社がいいとか悪いとか…あまりにもうるさくて…

カウンセラー:
ただでさえお身体がどんどん変化して気持ちもしんどくなる時期に、それはたまらないですね…

クライエント:
ええ。私たち夫婦と子どもの問題なので口を挟まないでほしいと何度も伝えてるんですが。非科学的だ、どんな証拠があってそんなことを言うんだと主人が怒って聞いても、“昔からそうだから” “私もそうやって産んだから”としか答えなくて。

※なお、上記のやり取りや、クライエントの属性などに関しては、個人情報保護のため、実際の内容から大きく変更を加えた架空のものです。

戸惑う若いAさん夫婦の様子をお聞きして、私は21世紀の現代になっても出産と「迷信」が切り離せない背景には何があるのだろう…と頭の中で思いをめぐらしていました。

迷信の背景

高田十郎による報告書『妊娠・出産・育児に関する郷土大和に於ける民俗』(奈良県社会事業協会,1938)には、大正4年に編纂された『奈良県風俗志料』に記載されている産育習俗が事細かに綴られています。伝承の内容からは、江戸時代末期から継承されていると思われるものも多く、その土地に根付いていた人々や共同体の死生観・当時の生活環境が分かる貴重な史料となっています。

具体的には以下のような産育習俗が記録されています。
なお、[]内は伝承の収集地名。

「見てはならぬもの」
一、妊婦は、ナガモノ(蛇)を見てはならぬ。
[高市ノ畝傍町、飛鳥、高市]

一、半死半生の物を見てはならぬ。
[吉野ノ中龍門]

一、火事を見てはならぬ。子に赤痣ができる。
[生駒ノ東南部、高市、吉野ノ賀名生]

「妊婦の進んでなすべき事」
一、常に便所をキレイに掃除すれば、美しい子が生れる。
[宇陀ノ松山、吉野ノ天川]

一、キレイな市松人形を常に見てゐると、キレイな子が生れる。
[添上ノ月ヶ瀬]

一、アハビ(鮑)を食へば、眼のすゞしい子が生れる。
[添上ノ五ヶ谷]

一、コブ(昆布)を食へば、髪の黒い子が生れる。
[高市]

高田十郎,(1937=1997)「妊娠・出産・ 育児に関する郷土大和に於ける民俗」. 上笙一郎(編)『日本〈子どもの歴史〉叢書12』 より一部抜粋。

高田は上記のような妊婦の日常生活の行動上の禁忌が「タシナミ」と表現されており、見てはならぬものや、行ってはならぬ場所、妊婦が安産を得るために積極的にすべきことなどが細かく記録しています。

また、宮田登はこの「タシナミ」が最重要視される背景として「妊婦の胎内にまだ完全にはととのっていない生命の状態は、生と死の端境期にあることが本能的に意識されている」と述べています(上笙一郎編,1997)。ここで取り上げられている「タシナミ」の本質は、生死の狭間を移ろいやすい胎児の死亡や出産時の事故などの不幸を避ける「マジナイ」として機能しており、いわゆる呪術の類として当事者である妊婦・家族・それを包括する共同体全体の共通認識として認知されていたと考えられます。

余談ですが、私自身も妊娠・出産の際にも、こういった「迷信」の影響を少なからず受けました。
結婚した当時、私は3世代の家族で同居をしていて、昭和一桁に生年を持つ祖母と生活をともにしていたのですが、祖母からは何かにつけて「妊娠中の禁忌」「子育ての禁忌」といった数多くの迷信について聞かされていました。

学芸員という職業柄、祖母から伝えられる迷信の数々をいつもほうほうと面白く受け止めて聞いていたのですが…食卓に並べた大好きな活きタコの刺身を指して、「食べてはいけない」(お腹の子に影響が出る!)と言われた時はさすがに無視して食べてしまいました(とっても美味しかったです)。

タコの刺身を食べ終わって満足気な私を見つめる祖母に「タコの何がそんなに影響するのか」と問うた所、真顔で「タコはグニャグニャしているから産まれてから首の座りが遅くなるんや」と答えられ、絶句したのを覚えています。
呆れたからではなく、そこに「類感呪術」という文化人類学的な精神構造があったことに驚いたからです。



類感呪術に頼る精神構造

類感呪術(Homeopathic Magic)とは普段聞きなれない言葉ですが、文化人類学者のジェームズ・フレイザーが定義した人類学における呪術の『性質』を表すものです。
類似したもの同士は互いに影響しあうという発想「類似の法則」(law of similarity)に則った呪術は、広くさまざまな文化圏で執り行われる儀式にその応用が見られます。

日本における最も分かりやすい例としては、ヒトガタ(人形)の本体に釘や針を刺すことで、実際の対象人物に加害・攻撃効果がもたらされると考える「丑の刻参り」が挙げられます。
アフリカ、コンゴのヨンベ族では加害ではなく加療を目的として同様の行為が行われますが、これは呪医が代替物である人形のおなかの穴に薬草を入れ釘を打ち、その薬効を望むというものです。

この「類似の法則」に則った儀礼や作法は、現代の日本でも妊娠・出産・子育てという場面で数多く出現します。安産を願って巻かれる腹帯に「犬」の文字を描いたり、妊婦にトイレ掃除を推奨するのは、犬の持つ安産・多産な性質や、トイレ自体が排せつ(排出)行為を行う性質の場所であることが「類似」しているためと考えられています(福田アジオ・宮田登編,1983

私の祖母が語ったタコの「グニャグニャしている」性質が胎内にいる子どもの首の座りに影響すると考えることもまた、この類似の法則に基づいたものであることが説明できるかと思います。医学知識や治療技術のある現代においても完全にはコントロールすることの出来ない妊娠・出産といった自然のメカニズムについて、不幸や心配ごとから逃れるための精一杯の対処行動として上記のような類感呪術を伝承してきたといえるでしょう。



豊穣の力と祈り

妊娠・出産において類感呪術に基づいた数々の禁忌や制約が生みだされ継承される一方で、女性の豊穣性は日々の生活基盤でもある稲作儀礼と深いかかわりがありました。

「早乙女」は田植、早苗と共に夏の季語としてもよく知られていますが、本格的な田植えに先だって儀礼的な田植えをすることを「初田植え(サオリ)」といい、これを神事として取り仕切るのが早乙女と呼ばれる女性たちでした。本田に三把の苗を奉げ、水口や畦・神棚やカマドに奉納するサオリの後、本格的な田植えが始まります。

広島県西北端、北広島町壬生に伝承される「壬生の花田植」(国指定重要無形民俗文化財)では、田に飾った牛を引き入れて代搔きをさせ、笛や太鼓・ササラなどの楽器演奏と共に早乙女が苗を植え付けることで田の神を呼び迎え入れます。
女性の豊穣性と農耕における豊作という「類似の法則」を利用した儀礼を稲作の生産工程の始まりとして、稲の安定した収穫を祈願するのです。

宗教学者であるミルチェ・エリアーデは、農耕儀礼について以下のように述べています。

農耕は植物生命の神秘を、よりドラマティックな形で示すものである。農耕の儀礼と技術に、人々は積極的に参与する。
植物の生命と、植物界の聖なる力とは、もはや人間の外なるものではない。人はそれを駆使し、育成することによって、これに参与する。

(中略)

われわれは何よりもまず農耕社会における経験に、時間と季節のリズムが驚くほどの重要性をもっていることを指摘しなければならない。農民はただに空間に見られるような聖の領域にかかわりあうだけでなく、またその仕事は、ある型の時間・季節の循環の一部であり、またそれによって支配されるものである。
農耕社会はかくて閉じられた時間の周期に結びついているゆえに「古い年」を追いはらい、新しい年の到来をいわう多数の祭りや、「悪と不幸」を駆逐し、「力」を更生することに関する多数の祭りが、つねに農耕儀礼とまぜあわされて見出される。

ミルチェ・エリアーデ, 堀一郎訳(1968)『大地・農耕・女性』より引用

植物の死と再生、生育と豊穣、そして迎える死という円環的な構造は、農耕を基盤とする日本人の心性ともよく馴染むものだったと思われます。坪井洋文は柳田国男が注目した日本人の死生観の成立について、稲作の生産周期が深く関わる点に強く注目しました(坪井,1970

植物の成育・豊穣は人や共同体に安定した生命の存続と富をもたらすものであり、また次のサイクル(循環)を回す原動力にもなります。そこに女性の豊穣性や妊娠・出産といった「生みだす力」が類感的に重ねられ必要とされたことに疑問はありません。生命の根幹に関わる農耕と妊娠・出産がかつて機能していたムラ社会(共同体)の管理下にあったことの名残が現代社会における「迷信」の押し付けなのではないかと考えます。



おわりに

義理の両親から迷信を押し付けられていたクライエントのAさんは、夫と共にそれは迷信だから科学的な根拠はないと何度もご両親へ説明をされたのですが、聞き入れてもらえないと語りました。

クライエント:
いったいどうすれば義父母の迷信の押し付けを緩和できますか…私たち夫婦が何とか理解させようと必死になればなるほど向こうも譲りません。

カウンセラー:
なるほど…ではまずお義母さんに、「その迷信を守って、出産に臨まれた時どんな気持ちでしたか」と聞いてみて下さい。

クライエント:
はあ…多分「それをちゃんと守ったからこそ無事に子どもが産まれた」と力説するでしょうね

カウンセラー:
狙いはそこなんです。Aさんも、私も、お義母さんも、みんな出産前は胸が圧し潰されるような不安と闘って毎日を過ごしていると思います。

クライエント:
…だからといって、非常識な迷信を人に勧めるのは違うと思います

カウンセラー:
確かに、おっしゃる通りです。
なので、続けて「自分の赤ちゃんが無事に産まれるまですごく不安だったし我慢されたんやね。昔からの決まり事はお義母さんの不安から赤ちゃんを守ってくれたと感じてはるんやね。」と伝えます。
つまり、迷信に実際の効果があるかないかで争うのではなく、信じる気持ちに共感してあげるといいと思います。その上で、Aさんにとって今一番不安から自分を守ってくれるのはお医者さんの検診の結果やアドバイスなんだと伝えてみるのも一つの手かもしれませんね。


育児情報雑誌やネットには、出産を控えた妊婦と家族との世代間で起きた迷信をめぐるトラブルや悩みについて「科学的な理解が今の主流だと伝えましょう(医師から説明してもらいましょう)」と書かれているものが少なくありません。

ですが、上記のような呪術と祈りによって出産を乗り越えてきた先人の不安への「共感」を飛ばして、科学的な根拠だけで説き伏せてしまうというのは、やみくもに迷信を押し付けてくる相手と全く同じ構造になってしまっていますので、あまり良い選択肢とはいえないと感じます。

呪術と祈りの根底にある出産への不安をお互いが共有すること。
それがカウンセラーとして一番伝えたかったことでした。

Aさんはその後、無事にご出産されました。
入園式を控えた現在は義父母からの「熱心な子育て指導」に辟易していると新たな悩みを口にされます。『七歳までは神の内』という言葉通り、生命の誕生という超自然的現象への畏れは出産後も形を変えて連綿と続くようです…。



ここから先は

0字
カウンセリングに関するコンテンツを月2回ほどで更新していく予定です。

カウンセリングの学びを促進していくために、カウンセラーに向けたカウンセリングに関する限定コンテンツを配信していきます。 ▼cotree …

最後までお読みいただき、ありがとうございます🌱 オンラインカウンセリング: https://cotree.jp/ アセスメントコーチング: https://as.cotree.jp/