蓋をしていたもの。
ドラマのあるシーンに感動して共感して泣いた。
辛かったね。よかったね。
そうよあの時、私にもこんな風に助けてくれる人がいたら違ってたな…
とか困難な場面で独り悪戦苦闘していた過去の思い出が蘇った。
そしたらなんだか違う涙が溢れてきて、しまいには大声出して泣いていた。
ちがうちがう、あれが辛かったんじゃない。
いやもちろん辛かったんだけれども、それは表面上のこと。
本当に辛かったのは、その困難のせいにして、自分の本当の願いに蓋をしたこと。
その困難な状況でその願いを叶えるのは無理だろうと、自分で幕引きしたこと。
そのことを本当はずっと悔いていた。
それがわかってしまった。
だから、好き勝手に生きてるように言われるし、
実際かなりそうだけれども、
ほんとはこの状況は楽しくない。
望んでいた人生と違うのだ。
それがわかってしまった。
思えばずっとそうだった。
子供の頃から夢を諦めざるを得ない状況で育った。
というか、諦めなきゃいけないと思って育った。
だからその内、私には本当の望みは叶えられない。
がんばっても結局は叶えられないんじゃないか、
と知らず思うようになっていた。
それでも、負けず嫌いなのであるところまではがんばる。
しかし、あともう少し、死ぬ気でがんばれば…
という最後の最後で、ギリギリまで手を伸ばすのをあきらめてしまう。がんばるのをやめてしまう。
だって、そこまでがんばって、叶えられないのは辛いから。
途中で自分から幕引きをする癖がついた。
困難な状況を理由に、妥協すること、闘うことをやめる癖がついた。
でも、あれは、あれだけは諦めてはいけなかったんだ。
せめて最後まであがくべきだったんだ。
たとえそれが「神の領域」だとしても…
挑むことに自分で引導を渡したことを心の奥底でずっと後悔していた。
「あの選択でよかった、あの道を選ばなかったから今こんなことできるし、失ったものもない」
そう自分に思わせてきた。
でも結局ね、一番行きたかったところに行けなかったから、どこへ行っても満足しないし、全力を注ぎ込めないし、居心地わるくてフラフラしてしまうんだ。
ほんとに、なぜ逃げてしまったんだろう。
なぜ限界まで挑まなかったんだろう。
「今世はそれをする必要がなかったんだよ」
「あなたには別の役割があるんだよ。」
そんな言葉をもらって自分を納得させてきた。
でもやっぱりさ、違った。
やはり失敗におわったとしても、生物として無理だったとしても、失うものがあったとしても、納得いくまで挑んでみるべきだった。
失敗の恐怖から逃げてはいけなかった。
それが突然わかってしまった。
後悔が唸りをあげて襲ってきた。
だから号泣した。
バカだな。
ほんとに。
怖くても目を逸らしちゃいけなかった。
本心に蓋をしてはいけなかった。
後悔の涙は、苦いものだね。
この涙はこの先もずっと乾かさずにいこう。
忘れないように。
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