ショートショート46 「もう一本」
「あ…当たってるよ!」
その場を立ち去ろうとする男の子に声をかけた。
知らない人に声をかけられた事と目の前で起こった自動販売機の異変に怯えた目をして、男の子は私を見上げてくる。
あぁ、この気持ちよくわかるなぁ、と昔の出来事を思い出しながら、私は男の子にもう一度声をかけた。
❇︎
小さい頃、夕方が近づくと、母が漕ぐ自転車の後ろに乗って一緒に買い物に付き合っていた。…と言っても、幼い私を家に一人残していくわけに行かず、それは半ば強制的だったのだけれど。
それでも、私は買い物に付いていくのが嫌ではなかった。別に、野菜やお肉やお魚を眺めるのが好きと言う奇特な趣味があったわけじゃなく。そのスーパー(というかなんというか)は、小規模な遊戯コーナーがあって、色とりどりのクッションで囲われた枠の中に、ちょっとしたおもちゃが用意されていて、私のお目当ては、そこで遊ぶ事、それから…
母からもらった50円玉を握り締めて、お遊戯コーナーへ辿りつく。(幼い子ども一人でって、今じゃ何かと物騒な気もするけれど、まぁ、なんというか、色々とゆるい時代だったのだ。)
よくわからないメーカーの自動販売機の前で、爪先立ちになってお金を投入する。
私のお目当ては、缶の表面に英語(多分)が書かれたグレープサイダー。ボタンは最下段にあったので、小さかった私でも背が届く。
このお遊戯コーナーで、グレープサイダーを飲む時間が、私にとっての至福の時間だった。
(自動販売機での買い物って、店員さんから買うのと違ったワクワク感があったよね。)
ボタンを押して、いつもと同じように出てきた缶を夢中で取り出す。
ふと、視線を上げると…全部のボタンが光っていた。
(え…壊しちゃった?)
当たり付き自動販売機の存在を知らなかった私は、目の前の光景に理解が追いつかなかったわけで、なんかマズいことをしでかしてしまったのでは? という不安で頭が一杯になった。
なんせ”当たり”という機能は、マイナーなメーカーの自動販売機にしかついていなくて、よく知るメジャーなメーカーのどっしりとした居住まいに対して、その自動販売機はなんだか頼りなくて、古びた印象だったことも、壊してしまったんじゃないか? という疑念に対し、肯定されているような気持ちにさせるのだ。
「どうしたん、お嬢ちゃん。当たってるで。」
声をかけてくれたのは、ズボンの裾が大きく拡がった独特の作業着姿のお兄さんだった。
見た目が…怖い。
いよいよやってしまった…怒られる、と生きた心地がしなかった私に
「ほらほら、もう一本もらえるから、ボタン押し〜。」
と促してくれた。
怯えているのに気を遣って、なだめにかかられていたら、余計に怖がっていただろうし、勢いでホラホラと背中を押してもらえたのは、今考えたらありがたかった。
ただ、やっぱり怖かったのと、お金を入れてないのにもう一本もらえるということがあっていいのだろうか、という思いが拭えず、結局グレープサイダーのボタンを押した。
ガコンッ
重々しい音と共に…本当にもう一本出てきた。にわかに信じられなかった。怒り狂った店員さんが、今にも奥から走ってくるんじゃないか、という恐怖感から
「よかったなー」
というお兄さんの声にも、無言で素早く会釈を返し、2本のグレープサイダーを抱えて、走っていった。
❇︎
とまぁ、そんなことがあったので、目の前にいる男の子の気持ちはよくわかるわけ。
こういう時は変に気を遣ってあげるより、ホラホラと背中を教えてもらえるほうがありがたいことも知ってる。
さっきと同じリンゴジュースのボタンを押そうとする男の子に
「あ…せっかくなら違うやつにしたら?」
とあの日の私に姿を重ねて声をかける。
ハッとした顔をして、男の子は烏龍茶のボタンを押した。
「よかったね」
と声をかけると、恥ずかしそうにしながらも
「あ…ありがとう」
とお礼を言って、男の子は住宅街の向こうへ去っていった。
ちゃんと、お礼が言えてえらいなぁ。
けど、まぁ、あの日の怯えた女の子があの出来事のおかげで、当たり付き自動販売機の手ほどきをしてあげられたことを知ったら
あのお兄さん(今は、おじさんだろうけど。)も
きっと、笑ってくれるんじゃないかなぁと思う。
「さてさて、いいことしたから、私のも当たってよね〜。」
2本連続で当たるわけないなんて分かってるけど
そんな独り言を呟きながら、自動販売機にお金を入れた。
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