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ショートショート135 「GOLDEN次郎」

 −1982年5月。

 俊雄少年は、憂鬱な足取りで家路に着いた。

 春の運動会。今回もかけっこはビリだった。活躍の有無に関わらず、全力を出しきった身体が重い。

 脳裏に浮かんだのは、走る順番が発表された時の、同じグループの奴らの顔。

「よかったー!俊雄がいるならビリじゃない!!」

 かけっこが得意な一郎も同じグループだったが、そもそも俊雄の存在を気に留めていない。中途半端な走力(それでも、俊雄は追いつけなかった)の者ほど、やいやいと俊雄を囃し立てるのだった。

 ……悔しい。

 バカにされたことはもちろんだけど、そいつらの言った通りの結果になった自分の足の遅さがもっと恨めしい。

 結果は、一郎がぶっち切りの一位。そして、俊雄がぶっち切りのドンけつだ。

 小学2年生にだって見栄はある。応援に来た両親の前でダントツ最下位の生き恥を晒すなんて。

 母親は「今回は、もしかしたらビリじゃないかもよ」なんて、無責任な励ましの言葉をかけてくれたのだけど、なんだかその言葉すらも裏切ってしまったようでバツが悪い。

 家に帰った後も、口数は少なく、布団に入ったときには疲労ですぐに寝てしまった。

 

 その晩、俊雄は夢を見た。真夜中の校庭に一人でいる夢。灯りも何もなかったけれど、全体が薄ぼんやりと白んでいて、視界はそれなりに確保できた。

 なんで校庭にいるんだろう。

 疑問に思ったものの、本人に自覚があるなしに関わらず夢は脈絡がない。俊雄の足は、昼に運動会で走ったトラックへと向いた。

 ちきしょう。ちきしょう。

 気づけば、スタートの体制を取り駆け出していた。

 自分でも遅いのが分かる。なんで、みんなあんなに早く走れるんだ。

 心の中で自分を、同級生を呪った。

 その時だった。俊雄の背後から迫ってくる影があった。

 え? え??

 考えを巡らす時間もないうちに、影は俊雄を追い抜いていった。

 二宮金次郎だ。

 学校の中庭にある二宮金次郎像。ブロンズ製のはずの像が、生き生きと俊雄を追い抜いていく。

 ゾッとした。学校の七不思議、夜の校庭で二宮金次郎像が走っている。

 走るというのは、ランニングの方だと聞いていたけど、今は短距離走をしている。

 同時に、とても腹立たしくなった。俊雄自身は、運動着を着ていて、必死に走っていた。

 なのに、二宮金次郎像は背中に薪を背負い、手に本を持ったまま軽々と俊雄を追い越していったのだった。


「なんだよ!もう!」


 叫び声と共に目が覚める。夢……だ。ただ、記憶は鮮明だった。走り去っていく二宮金次郎の後ろ姿。その足の踏み込み。

 俊雄はハッとした。二宮金次郎は、かなりの前傾姿勢を取っていた。対して、自分は身体をまっすぐに立てている。

 そういえば、同級生たちも前傾姿勢だった気がする。運動会では必死で気づかなかったけれど。

 そう気づいたら居てもたってもいられず、俊雄は一人で近所の空き地に出かけた。

 運動場ほど広くはない空き地を、トラックに見立ててスタートを切る。

 身体を……前に、倒す!

 勢い余って足がもつれ、倒れてしまった。しかし俊雄は手応えを感じた。

 その日から、俊雄はたった一人の特訓を始めた。


◆◇


 前傾姿勢にはだいぶ慣れてきた頃、俊雄はまた夢を見た。

 夜の校庭。……よし。

 意を決して駆け出す。前よりはなんだか早く走れている気がする。すると、後ろから気配がした。

 出やがったな。今晩の二宮金次郎は本を持っていなかった。

 自由になった両手を、前後に大きく振りながら、背中に薪を背負ったまま、悠々と俊雄を追い抜いていく。


「くそっ!」


 毒づきながら目を覚ました俊雄だが、次の特訓のヒントを掴んでいた。

 今まで両脇に構え小さく振っていた手を、エンジンのように大きく振り、足の踏み込みと連動させる。

 身体がスピードに乗ったのがわかった。今までにない感覚だった。


◆◇


 気づけば季節は9月になっていた。秋の運動会を明日に控え、今日は早めに布団に入る。

 そして、俊雄は再び夜の校庭にいた。

 今日は、いつもと様子が少し違う。目の前にいる。金次郎が。

 金次郎は俊雄の方へまっすぐ視線を向けていたが、おもむろに背中の薪を下ろし、スタートの姿勢を取った。

 スタートの号砲はない。それでも俊雄にはスタートのタイミングがわかった。

 同時に駆け出す金次郎と俊雄。両者は互角だった。ぴったり横並びでトラックを駆け抜けていく。

 俊雄はそれまで、誰かと並んで走ったことがなかった。いつも見ていたのは背中だった。

 なんて嬉しいんだろう、誇らしいんだろう。でも……だからこそ、負けたくない。

 歯を食い締め、一層足に力を込める。ほんのわずかだが、俊雄の身体が金次郎より前に出た。

 そのまま倒れ込む形でゴールした。見栄えはよくない、でも俊雄にとって初めての勝利。

 やった……やった。

 夢の中だというのに息苦しい。ふと、あたりを見渡すといつの間にか二宮金次郎はいなくなっていた。


◇◆

 運動会の当日の朝。夢だと知りつつも、気になって仕方がなかったので、少し早めに家を出て中庭の二宮金次郎を見に行った。

 俊雄は、しばらくその場に立ち尽くした。

 二宮金次郎の背中から、薪が消えていた。手には本もない。

 唐突に俊雄は理解した。夢の中の銅像は、やはりこの二宮金次郎だったのだと。

「勝ってくる」

 戦友に誓うように拳を金次郎像に突き出す。

 ウインクするように、一瞬、銅像の目が金色に光った。


<了>

 

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