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2024/07/07(下-p.806)#58

なんですって? ハンス・カストルプは部屋から出たり入ったり、何かを取りにいってまた帰ってきて、それからまた一度中断した実験を続けるつもりなのか? 何も知らないからそんなことがいえるのだ。いや、そんなことは絶対にできない。いままでの努力はみなむだになってしまって、はじめからやり直さなければならなくなるかもしれない。

下-p.711


トーマス・マン(高橋義孝訳)『魔の山』(新潮文庫)を読みおえる。上下巻あわせて1,500頁超。上巻は読むのに一月ほど掛かったが、下巻は一週間ほどで読みきることができた。小説内の時間の進みかたは、上巻がゆっくりで、下巻になると加速する。読む速度もそれにあわせて早まったというわけで、知らぬ間にマンの魔術に、まんまとハマっていたのかもしれない。

上に引用したように、ノロノロ読んで出たり入ったりしていたら、どこかでそれまでの努力がむだになって、はじめからやり直すことになっていたかもしれない、と考えただけでウンザリする笑。途中の議論なんかはいっこもわからない部分もたくさんあって、そういう箇所はぜんぶ読み流したのだけど、一度読み通した今なら、もう一度読めば少しは理解できるかもしれない、とおもったりする。

世界文学を読んでいていつも躓くのは、キリスト教(新旧訳聖書)と歴史を知らないからなんだなあ、と痛感する。それと、国によってドイツなら『ファウスト』、イタリア(はヨーロッパの先人だからヨーロッパぜんぶということになるけれど)なら『神曲』、英国ならシェイクスピア、と云ったふうに、いちど読んでおくと理解がいいだろうなという古典が立ちはだかっているとかんじる。それらをいずれ読んだら、この『魔の山』にもまた挑戦したい。とか何とか云いつつも、光文社古典新訳文庫あたりで、膨大な註釈と解説付きで新訳を出してくれたら、そのときはまた読んじゃうかもなあ、と期待していたりもする。

この装幀は好き。聳え立っているよね。
おつかれさまでした。

家族で選挙へ行く。投票所になっている近所の小学校まで(僕と母の母校でもある)、子は妻と手を繋いで歩く。前回の選挙のときは、まだ歩けなかったなあ、とかおもいだす。帰りは疲れてベビーカーに乗せる。次回の選挙のときは往復歩けるようになっているかな。

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