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幸福の日

今日、5月29日は「幸福の日」らしい。
529(コウ・フ・ク)の語呂合わせだけど
なぜか嬉しくなる。
世界の人々が幸せに平穏に暮らせることを祈る。
そのような日として決まったそうである。

まさに今、世界に求められていることではないか。
新型コロナウイルスの蔓延によって、これまでの
日常が奪われた世界は、幸福感を感じる心の余裕も
なくなってきている。
別の見方をすれば、これまでの社会の文脈にあった
幸福のあり方が変わってきているということでは
ないだろうか。

経済的豊かさが幸福の第一義に置かれた政治が
行き着いた社会は果たして幸福だったのか、
それを今まで以上に問われていると思う。
(誤解のないように言っておくが、経済的豊かさは
 大事だ。でもそれが第一義ではないということ)

ウイルスの発生源をめぐり中国とアメリカが
にらみ合い、制裁という名の戦争を仕掛ける。
香港の自治を抑え込むために国家安全法を制定し
香港の自由と民主化を中央政府の思惑で奪う。
日本国内も同じ文脈に乗っていると言っていい。
理不尽で無慈悲な政策が数の論理と野心で進められる。
それで、国民が幸福を感じられるだろうか?
納得のできることだろうか?

古代ギリシャの哲学者アリストテレスは、
「幸福とは誰もが求める究極の目標である」と述べ
もっとも価値の高い善きものとして「最高善」と
呼んだそうだ。

今、それをもっとも感じているのは、
当たり前の日々の中にある幸福感を大切にしている
庶民ではないか。
ささやかな幸せの種を大切に育んでいる人たちでは
ないか。

現況を機に、時代が変わろうとするなら、
その時代にふさわしい社会のあり方があるはずだ。
「最高善」を身近に感じることのできる暮らしが
社会にあってほしい。
社会的立場に立つ人には、それを進める役割を
それぞれ担ってほしい。

人が人として幸福を希求する、その自然な行為を
大切にしたいと思う。


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