見出し画像

鏡の涙

「鏡よ鏡、世界で一番美しいのはだあれ?」
「そ、それは…王妃様です。」
「ん? 鏡よ、いま返答に窮しただろう?」
「いえ、そんなことはございません、王妃様」

いつもは「それは王妃様です。」と即答するのに、
今日ばかりはそれができなかった。
鏡は嘘がつけない。鏡は汗をかいていた。
「それは白雪姫です。」と答えねばならなかったのに
嘘をついてしまったのだ。
生まれて初めての嘘だった。鏡は焦った。
鏡の宿命として嘘をつくことがどんなに恐ろしいことか
鏡の国から教えられていたからだ。
鏡は容姿だけを映すのではない。
容姿を通してそのときの内面を映しだすのだ。
鏡はその使命に誇りを持っていた。
それが白雪姫の存在を知ってからというもの
王妃の鏡でいることが息苦しくなってきたのだ。

王妃は美しさにもまして猜疑心も人一倍強い。
それゆえ、毎日鏡に問うのだ。
「鏡よ鏡、世界で一番美しいのはだあれ?」
鏡は覚悟を決めた。
今度王妃に問われて嘘をつけば、
鏡の国の掟により命はないだろう。
また正直に「それは白雪姫です。」と答えれば
王妃の怒りを買い、命を奪われるだろう。
あぁ、わたしはなんと罪深い鏡なのだ。

翌朝、王妃は問うた。
「鏡よ鏡、世界で一番美しいのはだあれ?」
「それは…」
声になる一瞬にピシッと亀裂が鏡に走り
粉々に砕けた。
朝日が充ちていた鏡の間はひかりを失いはじめた。
あわてて部屋を飛び出した王妃は
白雪姫に鏡の間の掃除をいいつけた。
言いつけ通り白雪姫は一心に掃除をはじめた。
くだけた鏡の破片を一つひとつ丁寧に拾い集めて
鏡を元通りにできないかと考えたのだ。

白雪姫は自分の鏡を持っていない。
「鏡さん、ごめんなさい。
こんなに砕けてしまっては元どおりにはできないわ。」
それでも白雪姫は一所懸命に欠けらを集め続けた。
ようやく砕け散った欠けらを集め終えた頃、
窓の外は紅に染まる夕暮れ時だった。

「鏡さん…」

白雪姫の指は鋭利に切れたり、
欠けらが刺さって血がにじんでいた。
その色が射し込む紅の夕陽に溶け込んでしまうように
反射していた。

元どおりにならない鏡をみて、
ごめんなさいと小さくつぶやくと同時に
白雪姫の眼から涙があふれ、紅の光をとりこんだ
重さでひと雫、集めた鏡の上にこぼれた。

次の瞬間、鏡の欠けらたちは光に包まれ
みるみる形を変えていった。
わずかな時間だけが流れたのち、
そこには小さな手鏡があった。

「白雪姫、ありがとうございます。
私はあなたの鏡として新たな命をいただきました。
白雪姫、私はあなたの鏡です、」

「え、わたしの鏡?」

驚いた白雪姫は手鏡をそっと手にした。
そこには初めて鏡に映した自分の顔があった。
白雪姫は鏡に映ったなみだ顔をそのまま受け入れた。

「ありがとう、鏡さん。わたしを映してくれて。
わたし大切にするわ。毎日磨いてあなたとお話しするわ」
そういうと手鏡を胸に抱きしめた。

窓から差し込む紅色の日差しは角度を変え、
抱きしめられた鏡を一直線に刺した。
鏡は涙をそっと流した。
鏡の涙は光の雫のように煌めいて消え、
白雪姫は気づく間もなく、やわらいだ紅色の光が
ふたりを包み込んでいた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?