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風の記憶、時の雫

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note をはじめてみようと思う。 秋晴れの空を眺めていたら、風がやってきて、 そのときにふと思ったわけです。
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#春

日が長くなった理由

日が長くなった。 日が沈んでから夕闇の美しい空が見え、 やがて夜の帳が下りて 完全に夜の暗さになるまでの時間が長くなった。 それだけ夕暮れの楽しみが長くなるというもの。 春から初夏に向けて、この時間の美しさは どんな言葉をもって形容すればいいのか、 なかなか難しいものだ。 秋の夕暮れの趣とはまた違う。 物悲しささえ漂わせている空とリンクする こころの景色は夕闇迫る空に映し出される。 春にはそれがない。 趣を彩りに変えて移す空は、 こころに力を授けてくれるように 夕風とと

まだ4月なのに

暦の上ではまだ春なのに もう初夏の暑さ 日差しはまぶしく 日向に長くはいられない のどかに晴れた空を見上げながら のんびり屋の雲と対話したいと 思っていたけれど この暑さではそれも難しい 5初夏月に咲き始めていたツツジも もう半分くらいは花開いている 翠は早くも濃くなりかけて 日陰が恋しくなる どうしようもなく 季節の早さについていけなくなる 今年の夏はもっと暑く もっと長く続くような気配がしている なぁ もう少しのんびり行こうや

春の日

昔から夢を見るのが好きなぼくは あたたかい陽のまどろみの中で うつらうつらと眠りに落ちていく それがいつもの春の日 別れを経験した かけがえのない出逢いもあった 挫折を経験した 絶望に打ちのめされもした いくつも傷を負った日々 繰り返し立ち上がったのは 明日に続く道のため 晴れ渡る空に希望をみた 流した涙の先行きで 明日に続く道のため

さくらの日

今日3月27日は「さくらの日」です。 3×9(さく)=27 歳時記をめくれば、3月25日から 七十二候の「桜始開(桜始めて開く)」。 桜の咲き始める頃として馴染んできました。 今年は開花が早く、すでに満開になっている ところが多いので、待ち望んだと言うより、 早過ぎるよとの気持ちの方が強いかもしれません。 桜は満開になってから1週間は花保ちしますが、 今年は入学式の頃には葉桜満開になっていますね。 それはそれで若々しい希望を象徴しているようです。 地元では、金刀比羅宮は

春の本気度

三寒四温を繰り返しながら、 ようやく季節は腹を決めたらしい。 さくらのつぼみがぷっくら臨界に達した。 不思議なことに さくらの咲き状況で春の本気度がわかる。   三分咲きなら春三分。   五分咲きなら春五分。   満開なら春本番。 春の本気度に同期すると身体は軽くなり、 気持ちは晴れやかになる。 今のつぼみは三分咲き。 いよいよ春が本気を出してきた。

春の宅配便

  春をお届けにまいりました 冷たい雨が降る中  玄関の向こうで声がした はい とドアを開けてみると小包を 大切に抱えた配達員のお兄さんが立っていた 春の使いにしてはやや寒い空気のマントを身につけて 表情はにこっとして 受取人のぼくを確認したら   こちらに印鑑かサインをお願いします と伝票を差し出した 今日がぽかぽかの陽気だったらよかったのにと 少し思いながら印鑑を押すと にこっと笑って   ありがとうございます とお辞儀をした ぼくはあわてて ご苦労様ですと応えた

彼岸の入り

今日は彼岸の入り。 今日から1週間が春のお彼岸になります。 お彼岸の「彼岸」とはあの世のことです。 (ちなみに現生は「此岸」という。) 彼岸は西にあり、彼岸は東にあります。 お彼岸の中日である春分の日は、 太陽が真東から昇り、真西に沈みます。 つまり昼夜のバランスが良く、 天空の最短距離を通ることから あの世(彼岸)とこの世(彼岸)が もっとも通じやすい日として考えられました。 だから、秋にもお彼岸はあるわけです。 お彼岸に墓参りをしたり、先祖供養をするのは この時期が

春の縁

縁は何の脈絡もなく 突然つながるものではない。 何もないところから つながったように見えても 振り返ってみれば どこかに縁の糸口があるものだ。 それは自分の強い想いだったり、 叶えたい夢だったり、 会いたい気持ちだったりする。 縁遠い人はその思いが浅いか 弱い人だろう。 縁に恵まれる人は深く強い人だ。 そして前向きな人だ。 新しい縁が古い縁を刺激するのも 縁がお互いに呼応しているからだろう。 春は新しい縁を結びやすい季節。 春というだけで気持ちは前に向かう。 それを

うたた寝の日曜日

気分転換には晴れた日の春散歩に限る。 都会ではなかなかできないけれど、 地方では人にほとんど会わずに 野山を散歩し、桜を見ることができる。 今日はまさにそんな日でした。 コロナ禍など他所の国のことかと 思えるほど長閑な日曜日を過ごしました。 明日の月曜日も同じような天気になるとか。 穏やかで長閑な春の日。 こうした日が人間には必要なのです。 近所の猫も家まで散歩に来て 日当たりの良い縁台の上でうたた寝していました。 メディアが報じる都会の騒動は別世界のように 活字になり

啓蟄の私的意味

今日は二十四節気の「啓蟄」 文字通り、冬ごもりしていた虫たち(蟄)が 春の気配を感じとり、 穴を啓いて出てくる頃という意味だ。 新年になり二十四節気としては3番目になる。 立春(2/3)雨水(2/18)そして、啓蟄(3/5) 暦の上で立春といえば、春が立つ、すなわち 春がはじまるよ、という時期に来たことを 表している。だけれど、まだ寒い。 それも啓蟄の頃になれば、春めいてくる。 私は正直、立春より啓蟄を迎えると あぁ、いよいよ春が身近になってきたなと思う。 立春は、春を頭

平然と

大変なときに平常心を失って オロオロしたり、煽られたり 自分で考えて行動する基本を忘れると 得るものより、失うものが多くなる。 まずは今、自分のできること、 日常を取り乱さず、やることをこなす。 その上で、冷静に情報を取捨選択する。 僕らの日常の鍛錬は こういうときにこそ生きるもの。 何気ない日常にも鍛錬の蓄積はある。 春になると花が咲き始め、 日常が明るく彩りを取り戻す。 春の花は平常心の大切さを気づかせてくれる。 季節が変わることに感謝して、 平然と難題にも立ち向

きざし

一面枯れていた野原に 下萌えの草が顔を出した 固い土を押しのけて芽を出した 草は黙って育つ しばらくすると その傍らに小さな花が咲いた そこに身を置くと 頑なな心がやわらかく解けていく 解けた先はもう春だ

はる の あくび

そらが あくびをした つられて ぼくもあくびをした ふゆかぜから はるかぜになったと かたわらのくさがいった わさわさと わらいながら からだをゆらして いった

足りない

春がやってきたからといって 心が晴れるわけではない どこかに木立の枝が 骨のように刺さっている 風はやさしくなったし 陽も暖かい だけど晴れないモヤがかかっている 何が足りない 何か足りない 通りすがりに風は 見透かした心を声にする