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風の記憶、時の雫

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note をはじめてみようと思う。 秋晴れの空を眺めていたら、風がやってきて、 そのときにふと思ったわけです。
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2020年7月の記事一覧

夏の讃岐うどん

お昼ご飯は食べたのだけれど、真夏の空を見ていたら どうしてもうどんが食べたくなってうどん屋に クルマを走らせる。 そこで注文したのが、「天ぷらぶっかけ(冷)」 お昼時を過ぎていたので、店内に客は3人。 テーブル席は避けて、窓際のカウンター席へ座る。 窓の外は小さな川が流れ、その向こうには夏の山、 さらに向こうには入道雲が盛り上がる。 その夏空を見ながらうどんをいただく。あー美味。 讃岐に生まれてよかったと思う至福の時でした。

太陽に感謝

本当に太陽の光は偉大だと思う。 しばらく太陽の光を浴びていないと 体調は悪くなるし、心的にも病みがち。 ネガティブな感情ばかり増えてくる。 人間が健全に生きるためには 日差しを浴びる生活をすべきなのだ。 今日、2か月も続いた長い梅雨が明けた。 気象庁の宣言を訊いただけで、 もう気分はガラッと変わるから不思議だ。 同じように晴れていても、 梅雨の合間に見上げる空とはまるで違う。 暑いけれど、夏だから仕方がない。 むしろ、だから、夏なのだ。 太陽の光のありがたさはそれだけで

酷な夏の空はまぶしい

22日の大暑からちょうど1週間目、 まだ梅雨は明けない。 朝から晴れたり曇ったり。 晴れると日差しがきつい。 蒸し暑い日が昨日から続く。 明日には梅雨明けになりそうだけど、 こんなに長い梅雨が覚えがない。 5月6月と、ほぼ2ヶ月が梅雨だったことになる。 週末には8月になる。8月は夏の代名詞だ。 だが今年は、これまでとは違う夏になる。 いつもなら開放感あふれる季節が夏だ。 その開放感を極力封印して自粛しなければ この先もツラい日々を 長く続けていかなければならなくなる。 一

自信と自己肯定感

自信というのは謙虚でなければ身につかない ものだと思います。 謙虚さを忘れれば学ぶことをしなくなり、 結果、形だけの過信につながるのではか、 と思うのです。 近年、よく使われる自己肯定感という言葉。 この言葉にも違和感を覚えることがあります。 どうも自己肯定感という便利な言葉に 振り回されている感がありますね。 自分で僕は(私は)自己肯定感があります という人はいません。 第三者が使う言葉ですからね。 自分にとってはどうでもいい言葉なんです。 どんなことでもいいから、

ココロの声

何年も 生まれてから何年も ココロの声を訊いてきた ことばにならない声も ことばで訴える声も ずっと訊いてきた でも半分もわからない 自分のココロなのに つかみどころがない はがゆさを アタマはずっと感じていた ココロは何を考えているのか アタマで理解しても ココロは感情的に揺れる 仲違いしたわけじゃないのに 踏ん切りが つかない奴は嫌いだけど ぼくはちょっと愛おしい

本当の夏がはじまる

雨脚が強くなってきた 耳元で感じる 雨音はフォルティッシモ かすみ始める風景は 眼前にあり 周りの景色を消していく 終わりは必ず訪れる 時期が読めないだけで 時は終わりに向けて動いている 終わりのカタチはそれぞれある 苦さも悔いも寂しさも取り込んで 終われば始まる先がある 長い長い梅雨が終われば 強い強い日差しが降り注ぐ 本当の夏が始まる 遠い遠い昔の夏休み 今はもう叶わない夏休み これからどんな夏休みが始まるか 雨で熱がさまされる 肌に触れる空気はやわらかく 梅

雨の後先

雨は足跡がわかるように 道をやわらかくする 雨はその足跡も消していく 人が住んだ形跡も  人が切り開いた道も  田畠も 容赦なく消していく 雨に抗うすべもない 雨がやさしいのはいつの話だったか 雨が豹変した顔を見せるとき 脆くも崩れた営み  飲み込まれた願い やさしい調の雨はどこに行ったのか とどまらないで逃げていった その先にあるのか 歩いた足跡も 暮らしを営んだ形跡も なければ生きていけない 残せよ 刻めよ 人が人で生きるために ぼくらは失敗してきたから これ

いざ!の構え

「いざ!」という時はいずれ来るけど 今ではないと思っている時間が長ければ、 たいていは来ないか、来てもわからない。 一大事が起きた時のために、あるいは 自ら行動を起こすときのために 日頃から準備を怠らない。 そのことはとても大事ではあるけど、 構えすぎて何もしない人は多い。 中には動かないことの弁明に言う人もいる。 だが、「いざ!」と常日頃、 その心構えを持っていれば 感度はよくなるので気づきも早い。 「いざ!」という時のために、 自分の能力はあるのだと高をくくる人は

リスペクトを胸に

リスペクトが一番初めにあって 最後もリスペクトで終わる ある意味、理想的な関係性のあり方 リスペクトのない愛は早く冷める 人と人の一番大切にしたい部分なんだと ぼくは思う

素直さを真ん中に

自分の抱く感情に素直であること 自分が描く夢に素直であること 自然の変化に気づく素直さを大切にできること 困っている人に素直に手を差し伸べることができること 悩んでいる人に寄り添える素直さを保っていること 年齢を重ねても どんな時代であろうと こういう素直さを 心の真ん中に置いている人でありたい

視ている

罪深い人間のココロをあなたは知っている 見たことのないウイルスに怯えることもせず 自制と自粛を放棄した地球の民に 言葉を投げかけることもせず 変わらぬ表情で 深淵の空と海の間をつないでいる 欲深い人間のココロはどこに向かうのか 訊き飽きた 誰もが富む未来は 欲太りした地球の民に 断絶を繰り返し できた傷を治癒もせず 読めない処方箋で 深奥の扉と先の道をつなごうとしている 慈悲深い神の掌の内にあって 汚れていく善人はどこに向かうのか 見たことのない扉の向こうには 汚れを落と

自分が宝物

「自分が宝物」だなんて なかなかにわかには思えない。 「自分が宝物」って意味分かんない。 そう思うことだってあるよね。 じゃあ、箱を一つ用意します。 自分が持ちやすいサイズの箱でいいよ。 今日からそれを「宝箱」にします。 「えーっ、何も入ってないのに宝箱っておかしいよ。」 君は言うだろうね。 「平気だよ。いまにいっぱいになるから。」 僕は応えて言う。 そのためには一つルールがあります。 まずは最初に「自分」を箱に入れてください。 今の自分を入れるんですよ。 理想の自分じ

梅雨の長雨過ぎたら、蟬しぐれ

つい先日までの長い大雨が明けたら、 いきなりの真夏日。 これまでまったく聞こえなかった蝉が いっせいに鳴き出した。 おまえたち、今までどこにいたんだ? 変則極まりない天候のせいで 季節感が狂って仕方がなかったけれど、 時間とともに季節は進んでいた。 それを忘れていたわけではないけれど 実感がともなわなかっただけなのだ。 知識や情報だけが頭の中ですべっていると こういうことってある。 知ってはいるが実感をともなわないので 当事者とは距離がありすぎる。それでも 何か言及しなけ

束縛させずに素直な心で

束縛されることは束縛することでもある。 束縛されることに甘んじていることが心を歪める。 束縛はある意味、楽な安易な道だから。 束縛されるのをやめる決意が歪みを正す。 素直な感情を取り戻した心が自由をつかむ。 自由な心は自ら決めていく責任を背負う。 責任を背負ったら、澄んだ気持ちで 視界を遮らない空を飛ぼう。