梅雨の長雨過ぎたら、蟬しぐれ

つい先日までの長い大雨が明けたら、
いきなりの真夏日。
これまでまったく聞こえなかった蝉が
いっせいに鳴き出した。
おまえたち、今までどこにいたんだ?

変則極まりない天候のせいで
季節感が狂って仕方がなかったけれど、
時間とともに季節は進んでいた。
それを忘れていたわけではないけれど
実感がともなわなかっただけなのだ。

知識や情報だけが頭の中ですべっていると
こういうことってある。
知ってはいるが実感をともなわないので
当事者とは距離がありすぎる。それでも
何か言及しなければならないことはある。

その時はもう想像力を駆使するしかない。
でもそうしている人は意外に少ない。
上滑りでいいと思い込み、
そこまで真剣になれないのだ。
度が過ぎれば、知ったかぶりに近い。

少なくとも、 為政者やコメンテーターで
あるならば、書き物を生業にしているなら、
できる限り上滑りはしたくないもの。
そこは真剣に取り組みたい。
そのための場があり、役割があるのだから。

長雨も蟬しぐれも季節の一員だ。
人間がいなくても、同じように時の住人だ。
その時の住人に対して、
文句を言ったり、嘆いたり、喜んだりするのは
人間側のわがままかもしれない。

蟬しぐれを聞きながら、そんなことを考えた。


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