初めてこの世に生まれて初めて自分の人生の第一歩を踏み出すということは

―「人から嫌われてもいいや」と本気で思えるようになってからが本当の自分の人生のはじまりです。

ありのままの自分を出していきその結果として人から嫌われても気にする必要はまったくありません

とにかく人から嫌われないように自分を偽りつづけているうちは

あなたに対して誰かが望む人生を歩んでいるようなものなのです―

と、書いているひとがいました。


「『人から嫌われてもいいや』と本気で思えるようになってからが」という言葉が、語弊を招きやすい表現でもあるかもしれませんが、
「『人から嫌われてもいいや』と本気で思えるようになってから」というのはつまり、
「嫌われるか嫌われないか」ということが焦点(問題)なのではなく、

ただ単に「自分の人生を自分で生きて行く」ということなのですよね。
「自分は自分だけであっても自分の人生は何とかして自分で切り回し切り拓いていく」(注:自分だけであったとしても社会に生きている限り社会制度なども使っているでしょうし、関係性がどうあれ家族や職場などがあったり、店に行って食料や家具や日用品を買ったりしているならば、その時点で既にひとりではなく、あらゆる人の手を借りているし決して「嫌われて」などいないわけですが)

確かに、一緒にいてくれる人が多ければ多いほど、ありとあらゆる方向に可能性は広がるかもしれません。
が、まずは自分の人生を自分で切り回し生きることからです。
自分の生き方、自分の人生の方向性が決まらなければ、人と共に歩くことも人の手、協力を借りることもできないわけですから。

「私は例え何があっても、どんな時でも、必ず私自身で私の道を生きてゆきます。しかし、それが『どこ』であったら、『誰』とであったら、もっと幸せです。もっと人生豊かにひらけます。」
という、ことなのですよね。

これを、「不健全不適切な依存(病的な依存)のない状態」とか「自立・自律した状態」であるなどと言うこともできます。


この状態になって、<初めて>
「本当の自分の人生の始まり」です。

本当にその通りです。

この自分の状態(段階)を獲得してから、初めて、ヒトというのは、
初めて「成長」を始めます。
初めて「自分の人生の体験」をし出します。
初めて自分の人生での出会いや、五感で感じるものすべてですら、やっとこの時点で初めてこの世に生れ落ちたかのように、初めてちゃんと自分の五感を使って物事を感じて生き始めます。
(心理セラピストとして見ていると、それまでは本気で、本当にまだ生まれておらず胎盤の中にいるような、世界を今までも見てはいたはずなのに表面を滑るように通り過ぎていて何も知らないままであったり、疑似体験のようなことばかりだけしてきたように見せかけて、実は五感がまるで働いていないまま何十年も身体だけ年を重ねてきていたりする人達も、本当に急増しています。)

ついでに逆の角度からも言うと、
その段階になるまでは、そもそも本当の「出会い」もありません。
恋人とかそういう話ではありませんよ。そういう話も含めてですがね。
あなたの人生を応援し協力するために一緒にいてくれる仲間たち、同志たち、というような意味です。自律した対等な関係性の人間関係のこと。
なぜなら、自分の人生をまだまだまったく自分で生きる気も方向性も何も決まっていないのに、そもそもそれに賛同したり協力してくれる人が、来ようがありませんよね?万が一、周りにわいわいいたとしても、それは結局流されに流されて自分の人生ぜんぶ誰かに任せ奪わせてしまうだけですよね。

同時にそれはつまり

「とにかく人から嫌われないように自分を偽りつづけているうちは

あなたに対して誰かが望む人生を歩んでいるようなものなのです」

…ということなのです。

そうしているうちは、実は「嫌われたくない」とかそういう話ではなく、
あなたがあなた自身の人生、自分自身を、自分自身で生きることができない、誰かにくっついて誰かに手取り足取り全部育ててもらって代わりにやってもらわねばまだ生きていけない、と思い込んでしまっている、ということなのです。

小さい子供は、表面的には「自分で生きている」ような態度や言動をしますし本人も自覚ではその「つもり」ではいますが、しかし実は、潜在意識の水深ちょっとだけ深い(水深150Mとか200Mとかの)ところでは、自分が自分の人生まだまだ自分で生きられないし実は守って生かして養ってもらっていることがわかっているので、遠慮なくぶら下がっています。
ただ、成長していって、これは経済的な(お金の)問題でも環境的な問題でも親の態度スタンスなどの問題でもなんでもなく、ただその子供本人が
「自分の人生は自分で生きてゆける、生きてゆく」「何があっても自分は自分で自分の人生切りまわして生き抜く」と感じている段階に至ったら、その子は(物理的には)両親と一緒にいようが離れようが、「自律」した自分の人生を歩み始め、初めて世界が本当の意味で広がり始めます。

自覚的な覚悟とかいう話では実はないので、わかりにくいやもしれません。
が、「成長」して、人生でそこまで到達したとき、あなたの人生はびっくりするほど、しかし気付かないほどいつの間にか、本当の意味で初めて拓けていき、初めて「自分の人生」を自分の足で歩み始めます。
あなた自身の五感すらも、初めて、ああ、これが見る・聞く・感じるということなのか、と、知ることでしょう。


…そのはずなのに、なぜだか身体の人生の年齢ではそれなりに年数経っているはずなのに…なぜだか何だか何かがぼんやりしている、
嫌われたくない、
嫌われてはならない、と何かに突き動かされるような気がする、
怖い、
〇〇がないと、△△がいないと生きていけない、
私はちゃんと生まれて人生を生き始めているのだろうか

…などなどと思うひと感じるひとは、
一度、私にお声を聞かせにおいでくださいね。


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