クライアントに対して、セラピストに必須なこと/セラピーに来談するクライアントの真の意義、(つぶやき)

また、昨夜(ここでは前回の記事)つぶやいた、「(例えば)恐怖や不安を感じているクライアントがいたとして、セラピストはその”恐怖や不安”そのものとクライアントと共に真っ向からぶち当たろうとするのではない(逆効果になる、もしくは一時的に功を奏しても永続しない)」ということもそうだが、クライアントは、カウンセリングやセラピーを受けに来る時、ほとんどの場合、その本人が本当に抱えている問題(問題の核心)は持ってこない。

これは単なる言い方に過ぎないので語弊があるが、表面的な問題があるという場合、その奥に大抵それら表面的な問題全てを引き起こしている真の問題を抱えている。

この「真の問題」を、説明する時よく「落とし穴」という言い方をすることがある。

クライアントさんの心の中、大きな落とし穴がある。しかし、クライアントさんは知らず知らず、何とか生きていくためにその落とし穴をあらゆるところから落ち葉をかき集めてきて、埋めて隠す。生きてきている何年何十年で、落ち葉を蓄積させるのだ。

そして、まあ問題として表面化しない(もしくは表面化しても本人や周りも気付かない)ような落ち葉もたくさんあるのだが、一部表面化して本人にとって困る・辛い問題になる落ち葉がある。

クライアントさんがカウンセリング・セラピーに来る時、主訴(のつもり)として訴えてくるのは、9割9分この落ち葉である。

そのため、この落ち葉を一枚一枚撃破していくのはまあそれはそれでとも思いがちだが、クライアントさんもカウンセリング・セラピーに来るからにはまあどんなに少なくとも15年以上は地球上で生きてきている場合がほとんどだ。その間、落ち葉を蓄積させてきているのである。

そして、落ち葉という表現をするが、人間の心の中の落ち葉というのは、その1枚の撃破(解決)のために、小さな落ち葉で早ければ大きな催眠セラピーで1~2回(これがカウンセリングや表層セラピーだとどんなに少なくとも10回なりそれ以上)、大抵の落ち葉は一枚に何年もかかったりする。

そして、1回のセッションから次回のセッションの間までにも当然ながらそのクライアントさんは人生を進めている。その間にも(奥底に真の落とし穴がある限り)どんどん落ち葉を積もらせて増やしていくので、セラピストがどんなに落ち葉を1枚1枚解決しようとも、一生際限なくクライアントさんは落ち葉を出して来る。出さざるを得なくなる。
それで、延々と通うことになったり、どうしていつまで経っても自分は生きやすくならないのだろう、転落する星の元に生まれてきたのだろうかと思い悩み思い込んでしまうクライアントも多い。


しかして、クライアントに対して、クライアントさんの持ってきた、口で訴えてくる表面上の主訴(落ち葉)を聞くなりその落ち葉に釘付けになり、その落ち葉にクライアントと共に躍起になって取り組もうとしたり(無論演出上そうすることはあるのだが)、下手をすればその落ち葉の解決のためにアドバイスをしたり、とても勿体ないことにその落ち葉そのものに対するヒーリングやセラピーをしたりする、カウンセラー、セラピスト、ヒーラーが、あまりにも多い。

つい先日、かなり聡明な、言語力も非常に達者なクライアントさんが私の初回カウンセリングを受けられた。
「今まで有償であれ無償であれいろいろなところいろいろな人にヒーリングやカウンセリングを受けてきたが、みんな私がその場で口から出したことに対しては診てくれたりアドバイスをくれたりヒーリングしてくれたりはしたが、初回カウンセリングにして話をしている間に(自分が話をしているだけで)こんなにどんどん自分の中に気付きが溢れ自分の中で解決法が見つかったり、(オンラインで)話をしているだけなのに心だけでなく今まで治ったことのなかった身体までどんどん楽になっていったのはこのセッションが初めてでした」
と。

それこそ、本当に気付きも早い、心理学にもまるで興味も縁もなかった方にも拘わらず、心の旅の仕方、心の中の登山の仕方の上手な方だった。
本当にありがたい、身に余る感想だ。

だが、それと同時に。

「初めて」?
初めてだと?
そんな馬鹿な。

ここまで聡明な方の、ここまで言語能力の高い方の、”話を聞く、引き出す”ことを、ここまで心の登山のセンスのある方の、初めての登山の僅かなガイド(いや、ガイドどころではない、セラピストがするのはただ単に誤った道に迷いこんだり崖から踏み外したりしないよう見守るだけだ)を、今までどのヒーラー・カウンセラー・セラピストも、しなかったと?

世の中のクライアントさんというのは、そもそもこんな言語能力や論理的思考、自分で自分の意思を感じることも非常に薄い方が大半だ。
いや、だからクライアントさんとしてカウンセリング・セラピーを受けに来るのだと言ってもいい。

ここまで優等生模範的な、セラピスト養成教官がわざと被験者になっているかのような(これは言い過ぎかもしれないが)クライアントに対してすらも、クライアントの最初に発した言葉以上に深い心の世界、その方の人生を少しも見なかったと?

…私のセラピーは確かに、経済的に苦しんでいるクライアントさんには特に無料や破格の間にできるだけのことをと思ってしまうあまり長いが、しかし、それでもカウンセリングとして彼女の話を聞き、彼女の最初に持ってきた問題より深い問題が芋づる式に出てきたのを確認し(とはいえ彼女の抑圧や否認の部分は大きいので、そこには負担をかけていない)、彼女の本当の主訴を特定したのは、最初の1~2時間の間である。

斯様に、どうやらそもそも、クライアントのその日その時持ってきた問題しか一切取り扱わないカウンセラーやセラピストが多いらしいと、改めて感じる。
もちろん、クライアントさんが自覚としてこれが問題だと思って持ってきているのだから、表面的演出上は取り扱う。
また、ここまではわかっているセラピストでも、表面的演出上取り扱っていたつもりでいながら、いつの間にかセラピストまで一心不乱にその問題に取り込まれてその問題だけの土俵上でクライアントと一緒に闘うことになってしまっているセラピストも多いようである。

無論、表面上はクライアントの持ってきたものを扱うし、カウンセリングの中で(真の落とし穴の)必要な情報を集めるにしても、抑圧や否認、抵抗が強く働き自覚や言語にあげることがそもそも困難なクライアントも多いので、必ずしもクライアントの自覚も一緒に落とし穴の存在に気付いていくという意味ではない。

しかし、クライアント本人は気付きに至らずとも、セラピストが落とし穴の存在に気付き、落とし穴がどこにあるのか、どんな形状なのか、確認しなければ、何の意味もない。
そして、セラピストが落とし穴の存在に気付き、これは例えクライアントが自覚として気付かなくてもだが、その落とし穴の存在に(言い方が思いつかないので語弊があるがある意味で)”話かけ”、クライアントの顕在意識では気付かない潜在レベルでセラピストは初回から落とし穴を相手にしていく。

これはクライアントは顕在意識では気付かないが潜在意識では気付くもので、落とし穴が助けを求める叫びをあげてくるというのか、クライアントの心の中の偉大な医師(ミルトン・エリクソンの言葉であるが)が応えてくれるというのか、これによってクライアントとも急速に深いラポールを築くことにもつながる。

そして、落とし穴を解決すれば、クライアントはそもそも落ち葉を蓄積させる必要もなくなるので、最初に持ってきた問題やそれに付随する問題もみるみるいつの間にか消えていく。
そして、クライアントとしては経済的にも時間的にも、最小限で生きやすくなる。

しかし、これができなければそもそもカウンセリング・セラピーではない。
これをしないカウンセリング・セラピーは、私は寧ろ客商売だとすら思っている。


しかし…
カウンセリング、セラピーのセッションのゴール設定をするため、クライアントさんの問題の明確化という必須段階をちゃんと踏み辿れば、難しいことなどせずとも自然とクライアントさんの方から出してきてくれるはずなのだが。

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