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イントロは決めない方がいい

私は時折、弾き語りの仕事をする。だから、一応ピアノは弾ける。しかし、私はピアニストではない。歌手なのだ。つまり、私はピアノが下手くそである。

歌は飛び道具

以前、弾き語りを始めて間もない頃、ジャズを初めて聞くという若いカップルが客席に現れた。私は考えた。

ここで好印象を残さなければ、今後彼らのジャズへの印象が悪いものとして残ってしまうのではないか。

私は襟を正した。そうは言っても、襟を正したところで突然ピアノが上手になるものではない。どうしたものか。そうだ。不安が残るピアノ演奏をするくらいなら、いっそのことピアノなんか弾かなければいいのだ。私はピアノを弾く手をそっと止め、一曲まるっとア・カペラで歌った。すると、観客から甚く感動され、ピアノを弾いて歌う時よりもずっとたくさんのチップを頂いた。

歌は飛び道具なのだ。歌さえあれば、広い意味で人はなんとかなるのだ。

その時よりも少しピアノが上達した頃、何かの縁で今度はコンサートホールで弾き語りをしなければならないことになった。さすがの私も真剣にピアノに向き合い、練習に練習を重ねた。即興でイントロを演奏するにはスキルが足りないので、かっちりとイントロを決めておこうと書き譜したイントロを何度も練習した。けれども、本番で間違わない保証はない。国際的なイベントだったので、お粗末な演奏だけはしたくなかった。私は頭を抱えた。なんとか間違わずに演奏したいのに、本番で間違ってしまったらどうしよう…。

その時、頭上からひとつの答えが下りてきた。
そうか!正解があるから間違いが存在してしまうんだ!

本番当日、私はせっかく書いたイントロを捨てた。
形があるから形を逸脱してしまうのだ。ならば、形を決めなければいい。最初から自由に演奏すればいいんだ。

スポットライトが当たる。
息を吸って、目を閉じ、私はポーンとファの音に指を落とした。

その後のことはあまり覚えていない。
ただ、その日他の演目で共演していた指揮者が、私の演奏を舞台の袖で聞いていて、座ったり中腰になったりを繰り返していたそうだ。


そんな自由を再確認した私だったのに、noteにおいては少しばかり形式に囚われ過ぎていたようだ。それに気づかせてくれたのはこの記事。

私はこの記事で、noteも自由の場であることを知った。

いつもエスプリの利いた記事を書くことで定評の(私の中で)noterさん「めーさん」が川柳を投稿されていた。すごく自由に。尻クイクイとか。

奇しくも同日、私もfacebookで俳句を投稿していた。noteに投稿するのを憚れたのは、「noteはくすっと出来るエッセイを書く」ということにこだわり過ぎていたからのようだ。エッセイとはそもそも自由なのだ。そこに俳句や川柳が発表されていても、何かに逸脱することはないのだ。繰り返すが、そもそもnoteは自由な広場なのだ。広場の片隅て尻がクイクイしている素敵な世界なのだ。

ということで俳句を投下しようと思って気が付いた。思いがけず溜めを長くしてしまった。自分で自分のハードルを上げてどうする。

まずはお写真をご覧いただいて一息ついて欲しい。奈良の法隆寺の写真だ。とても空が美しかったので、思わず写真に収めた。

一句詠みたくなるでしょう。はい、一句。

「龍天に登りし眩の法隆寺」

おそまつ。

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