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歌は祈り

今日は私のお仕事の話をしようと思う。

しかし、その内容を書くと本当に長くなってしまうので、今日は「歌うこと」についてテーマに掘り下げる。

かつて私は音楽療法の資格を取るために、必須科目である数種類の心理学や、興味のある文化人類学を履修していた。大人になってからの勉強は楽しく、学生時代では考えられないほど前のめりに勉強していた。講師の背景も様々で、その頃の私は既にプロ活動を始めていたこともあり、別の学科では共演したことのあるミュージシャンが講師として働いていて、廊下ですれ違う度に挨拶を交すなんてこともあった。いろんな講師がいたが、文化人類学の先生は本業が「白拍子」という変わり種だった。普段は国立児童相談所の職員として働いているという。真っ直ぐな黒髪が印象的で、強い意志を感じる目鼻立ちが、透き通るような白い肌を一層際立たせていた。白拍子だけにその姿は美しく、そして容姿に反してロックな人だった。

その先生は授業が始まると「かつてミュージシャンはメディアでした。吟遊詩人も然り、白拍子然り、音楽とは”伝えること”だったのです」と話し始めた。恐らく、お芝居もそうだったことだろう。

先生の言葉は更に続く。

「彼らは天からの声を民に伝える役割がありました。天の声を伝えることが出来る特殊な人間だったのです」

ミュージシャンなら”ゾーンに入る”という経験を何度かしていると思う。歌にもそういう状態になることがある。ジャズソングは一曲3分~5分程度だが、この数分が永遠のように、時には一瞬で過ぎてしまう感覚になることがある。

例えば、Polk dots and moon beams という曲は”めでたしめでたし”の先にある幸福の場所から二人の物語が始まるところを振り返るという、長く連れ添った夫婦の歌なのだが、私はこの歌を歌い終わるとすごく長い時間歌ったような錯覚に陥る。とてもとても長い時間を振り返り語ったような感覚になるのだ。

それは無心でその情景を伝え切ったような時によく起こる。そして、歌い終わった後の自分はまるで空っぽになったような感じがする。

ステージでは空っぽのままではいられないので、すぐさま自分を切り替える。あまりに強烈にゾーンに入ると、前の曲に引っ張られすぎて次に歌う曲のメロディがまったく出てこなくなることもある。

この”ゾーン”に入った状態こそが、まさに自分がメディアになりきっているということなのではないかと私は思っている。

天からのメッセージを伝えているなんておこがましいことは思ってもないが、私の歌った「思い」が距離や時間を超えて誰かに届くという感覚は確かにある。「思い」はエネルギーであり、歌もまた言霊以上のものを抱えたエネルギーなのだ。

そのエネルギーは天に届く。天は然るべき所にそのエネルギーを届けてくれる。形がないのだから、距離も時間も関係ない。とにかく、それは形を変えてそこまで漂うのだ。これは祈りとよく似ている。

だから私は祈るように歌を託す。
そしてその祈りは、月の向こうにも、あなたが今立っている場所にも、あるいは誰かの過去にも、姿を変えて届くことだろう。

私はそう信じている。

ところで、音楽は魔法でもあるのだが、その話はまたいつか。

#歌は祈り #いつかあなたに届けます

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