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アンゾフの花束


「速報です。容疑者が死亡したとの情報が入りました。死因は首を吊った自殺とのことです。」


………___。



「今日も暑いなぁ…。」

短髪の大柄な男が歩いていた。
額から流れる汗を首に巻いたタオルで吹き上げた。

「しょうがないですよ、ここ最近35度以上の猛暑が続いていますからね。あと2日で連日の猛暑日の記録を更新みたいですよ。」

ネクタイを緩める手は細く、若手の刑事としては頼りなさそうな細い体で必死に大柄の男の後をついて行った。

「あの事件からもう5年になる___。あの日もこんな暑い日だったな…。」

「容疑者が逮捕直前で自殺したんですよね。全国ニュースにもなったので僕も良く覚えていますよ___。」

「あぁ、あいつが俺に最後に言った言葉は、…『…俺じゃない…。』。どうしてもこの言葉がずっと離れなくてな。ほんと昨日のことのようだ…___。」

「でも、証拠はあの男をさしていたんですよね。殺しの動機も十分にあった。」

「そうだ、だから俺はあの日の朝、あいつのアパートに行ったんだ。…間に合わなかったがな。」

……セミのなく夏のある日、男二人は照りつける太陽のもとゆっくりと畦道を歩いていた___。



「裕子、このネクタイはどうだろう?」

短髪で長身の男が、鏡の前で自分の顔とネクタイを見つめながら女性に話しかけた。

「えぇ、いいと思いますよ。」

長髪を後ろでまとめ、スーツのジャケットを男に着せようとしている女性が返事した。

「そんなネクタイがいっぱいあるから迷うんですよ。」

男はネクタイを外しながら答える。

「毎回同じネクタイじゃ申し訳ないだろう。せっかくお呼ばれしたんだ、身だしなみはしっかりしないと。」

「でも……。」

「いいんだよ、金ならいくらでもある。毎日ネクタイを変えても大丈夫、心配するな。」

「そうだけど…。」

「それより、どうしたんだあの花は?いつもよりまた1本多く買ってきたのか。」

リビングのテーブルには、大きな花束が花瓶に入れられていた。

「あぁ、最近近所に新しいお花屋さんができたみたいで、そこで買ってきたんです。1本1本に意味があるのよ…ほら記念日でしょ、今日は。」

「3年目の結婚記念日。覚えてるよ、ちゃんと。」

男は振り返り、裕子を見つめた。

「結婚してくれて、ありがとう。」

「そんなこと言わないでください。私の方こそ、結婚してくれてありがとうございます。こんな私を…。」

俯く裕子に男は笑った。

「昔何があったかなんて俺には関係ないよ。ただ…前の旦那さんも、喜んでくれてるだろう。また一緒に墓参りでも行こうよ。」

「えぇ、ありがとうございます…。」

裕子は安堵した表情で男を見つめた。

「そういえば、今日刑事さん来るんだったよな。」

「そうなんです。あの事件からちょうど5年が経ったので、少し話したいことがあるみたいで。」

「その刑事さんとも久しぶりに会うんだろ、ゆっくり話しておいで。」



玄関先では犬が寝ている。扉を開けると涼しい風が吹き、少し曇りがかった空があった。

「あなた、気をつけて行ってらっしゃい。その車もう直ったの?油でコーティングしたみたいにすごいピカピカね。」

男は車のドアを開ける。

「心配ないよ、この車の修理に数ヶ月もかかったんだ。不備はないよ。」

「気をつけて。」

豪快なエンジン音。
立ち去った車の後に1滴の油が落ちていた。

「ほんとに気をつけてね…。」

裕子は玄関のドアの前でふと立ち止まる。

「大丈夫…犯人は死んだんだから…。」



「もうすぐだ…。」

3階建ての家を見つけた大柄な男は、後ろを歩く男に言った。

「うわぁ、すごい大きな家ですね。三島さんここに来たことあるんですか?」

「あぁ、一度な。」

「すごいなぁ、人生何があるか分かりませんねぇ。松陰裕子が5年前の名前で今は…。」

表札の名前を見る。

「んん、何て読むのか…。」

「桧倉裕子。ヒノクラ…だ。今の旦那とは、4年ほど前に知り合い、3年前に結婚したそうだ。」

「前の旦那さんが殺されたのに、すぐに立ち直れたんですねぇ。」

「立ち直るために…。なのかもな。とりあえず行くぞ。」

三島はインターホンを鳴らした。



「ミルクと砂糖はお好みでどうぞ。」

「いやぁ、お気を使わせてしまい、すみません。」

コーヒーを出す裕子。

「いえ、いいんですよ。あの時は三島さんによくお世話になりましたから。」

微笑む裕子。三島は申し訳なさそうに話を始めた。

「実は、5年前の事件のことでお邪魔したんです。旦那さん…前の旦那さんが加村達則に殺されて、結局加村は自殺…。奥さんには本当に申し訳なかったと思っているんです。担当刑事の俺がもっとしっかりしていればと、今でも…。」

「いえ、三島さんが謝ることはないんですよ。殺人をした犯人が悪いんです。私は、あの時はすごく辛かったですが、今ではもう立ち直りました…。三島さんも前を向いて、そちらの若い刑事さんをしっかり教えてあげてください。」

裕子が若い男に目をやると、男は答えた。

「僕はまだ三島さんの足元にも及びません。…でも、三島さん、あの事件には今でもこだわっていて、今でも言うんですよ“俺があの時もっと話を聞いてやれば…”って。自殺をしてしまったことが、自分のせいだと思ってしまうみたいで…。でも、あの事件は加村が犯人だって証拠があったんですよね。」

三島はコーヒーを飲み、テーブルに置いた。

「いや、実は加村が犯人という物的証拠は1つも出ていなかったんだ。状況証拠が犯人を加村だと伝えてたんだよ。だから俺は、ほんとは加村はやっていないんじゃないか、もしそうなら自殺した加村、そして裕子さんに俺は顔向けができない。別の犯人が今も悠々と暮らしているかもしれないんだ。」

「そうだったんですか…ほかに犯人らしき人はいなかったんですか、ほかに疑われた人物とか?」

「あぁ、いるよ。旦那さんが殺害された日、関わった人物が4人もいたんだ。その一人一人に動機があり、アリバイはなかった。そして、その内の一人が裕子さんだったんだ。」

「えぇ、裕子さんにも動機が?」

「えぇそうなの。マスコミにも取り上げられたわ、保険金目的の殺人じゃないのかって…。私が誤解させるようなことをしてたからよ。」

「ほんとにあの時はすみませんでした、裕子さん。」

頭を下げる三島。

「いえ、いいんですよ。今、私は幸せです。こんなに幸せなのもあの時を乗り越えてきたから。三島さんには感謝してますから。どんな形であれ、犯人を見つけていただいたから。」

「いえいえ、私も後悔してるんですよ。あの失敗があったからこそ、次の事件は絶対犯人を死なせるかと、そう思ってるんです。」

「あの失敗があったから…ですか。私も1日1日を大事に生きなくちゃ。」

「そうですね、裕子さんも、三島さんも人生楽しみましょう。それより…このお花、すごく綺麗ですね。30本以上あるんじゃないですか。全部違う種類ですね。」

「あぁ、この花束、アンゾフの花束っていうんですよ。全部違う種類で揃えるんです。」

「アンゾフ?」

「えぇ、今までの人生が間違いじゃなかったって意味。いいことも悪いことも乗り越えて成長できた証みたいなものね。」

「なるほど…。」

「まだまだ若いな、経済用語でもあるだろ、アンゾフの…えーと、なんだっけ。」

「なんだ、三島さんにも知らないことがあるんだ。」

「うるせー、しっかり勉強しとけってことだよ。」

「はーい、分かりましたー。」

3人は笑いあいゆっくりと時間を過ごしていた。



豪快なエンジン音とともに車を止めた男はそのままレストランに入った。

「おーい、こっちこっち。久々だな、真斗。」

「おー、久しぶりだな啓介。子供は元気か?」

「あぁ。いつもはしゃいでこっちが疲れてるよ。真斗、お前こそ奥さん元気か?まだ子供は作らないのか?」

「なんだよ、親みたいなこと言って。」

「早く子供同士遊ばせたいんだよ。お前もいろいろあったけど、やっと結婚して落ち着いたからな。」

「いろいろは余計だよ。子供は無理に作ろうとはしてない、裕子もいろいろあったからな。」

「ほんと、お前ら夫婦はいろいろありすぎだよな。」

「うるさい。もう過去のことだろ。」

「でも、あれはほんと笑ったよ。まさか結婚詐欺にあうとはな。なんだっけ、保険に入らせようとしたんだろ、前の奥さんに。」

「前の奥さんじゃない。第一、結婚する前に阻止したからな。保険にはちゃんと入らされたけど。」

「ほんとついてないよなぁ、まぁお前が医者だから、寄ってくるやつはお金目当てだよな、ほとんど。」

「けど俺も、あの失敗があったから…女性はちゃんと見極めたよ。」

「あの失敗があったから、裕子さんをちゃんと選んだってことね。」

「あぁ、裕子はお金目当てじゃないって感じれたからな。というか、そんな話したこともないような…。」

「ほんとかよそれ、でも奥さんになったんだしちゃんと何の保険に入ってるかは教えろよ。…いや、入らされた保険だけどな。」

「おい、うるさいぞ。ちゃんと結婚前に言ってるから大丈夫だよ。それに裕子は前の旦那さんを亡くしてその保険金も入ってるし、お金に興味ないんだろ。」

「あぁ、裕子さんの旦那さん殺されたんだっけ。昔テレビで見たよ。あの時はびっくりしたなぁ、まさか犯人が自殺するなんて思わないもんな。逮捕直前だったような。しかも、その時の被害者の女性がお前の奥さんになるとはな。」

「そんなこともいろいろあったし、まぁ俺たち夫婦はお互いに支え合いながら暮らしてますよ。」

「まぁまぁ、末永くお幸せに…。」



夏のある日。

昼過ぎの部屋のリビングには大きな花束があった。

「あれからもう…5年。」

裕子は一人、ソファに座っていた。

「あの失敗があったから…か。」

一人考え深く、花束を見つめていた。

「ここまで間違ってなかった。真斗さんに出会って、今日この日まで、何も間違いなんてなかった。」

裕子は髪を縛っていたゴムを解いた。

「あの失敗があったから…次に選ぶ人は…保険に入ってる人と決めていたから…。」

ふと時計を見つめる裕子。

「もうそろそろ…ブレーキオイル、無くなる頃ね…。」

花束の花びらが一枚ゆらゆらと抜け落ちる。

「もうこんな立派な花束になったのね…。明日からは、もう一本追加しなくちゃね…みんな。」



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