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開いているのに閉じている。私がnoteを選んだ理由。

こんにちは、私です。相変わらず、記そうと思って画面を開くものの書き出しに迷って固まるという、そもそものポイントでつまずいておりますが、それでも。本日は自分にとってのnoteとは、という話をちょろっと。

元々はTwitterをやっていました。

マメなタイプではないので頻繁ではないけれど、それでも8年くらい、ボヤキから真面目な話まで色々つぶやいていました。8年も経ちますとね……「もういいや、このスピード感。瞬発力。」ってなります。それから、知らなくてもいいことだとか知りたくなかったことを知ってしまう、知ろうとしなくても知らされてしまうという機会があまりにも増えてしまった。たとえばリツイートなどが流れてきた時に「ああ、情報が暴力的」と感じる機会が多くなってしまったのですよね。あと、固定ツイートも見たくないのに無理やり見せられている感があって好きじゃない。これはもう本当に感覚的な話であって、実際にその情報が暴力的かというとそんなことはないんですけども。そんな具合にスピード感が合わなくなってきて、最近はなるべく距離を置くようにしていました。で、実際、距離を置いたらそれはそれは快適でした。

SNSに距離を置いて満足はしていたけれど

SNSから距離を置くことで、日々の生活の質が高まりつつあるのを感じながらも、自分の頭で考え、自分の言葉で発信するという訓練は必要だとも思っていました。また、思考の整理や自分の傾向の把握をしたかったということもあり、自分のペースで思いや考えを記しながら、同時に様々な人の経験や考えに触れることができる場所を探していました。……。でもそうすると今度はテキスト主体のSNSになっちゃう。

や、ちょっと待って。ちょっと待って、よく考えて。……。ずっと気付いていなかったけれど、そもそも私、超内向型でその傾向はネットにおいても健在、根っからSNSに向いていないタイプなんじゃない?長年の違和感、雪解け。随分長かったな。うん。

向き不向きを理解したところで

ブログでもない、SNSでもない。読めるし、書ける。スルーしてもいいし、気負わず声を掛けてもいい。開かれているハズなのにちょっと閉鎖的な匂いもする、そんな空気感が正に今の気分だったのでnoteを選びました。ブログほどギラギラしておらず、SNSほど交流が盛んでなくて、TwitterやInstagramのように瞬発力勝負というワケでもない。多少文章がおかしくたって、言い間違えたって概ね寛容、目くじら立てない。「あー、あるよね、そういうこと」みたいな脱力感がちょうどよい。自分が欲っする情報を自分で取りに行くスタイルも心地よい。あと、シンプルで抜け感のあるデザインだから、阿呆なことを言っていたって雰囲気で誤魔化せて、ちょっとそれっぽく見える。って、最高じゃないかnote。

油断するとこう、無駄に長く薄っぺらいテキストになるけど。

うん、今後の課題も見つかりましたね、今。そんなワケで今後は、ゆるゆるしながらも、決めるところはビシッとキメ、とはいえ堅苦しくはならぬよう、“本気の茶飲み友達的な執筆”が出来るようにがんばります。もりもり。

あ、あと、プライベートではリアルに本気の茶飲み友達を募集しております。こちらはこちらで友人知人の皆様ぜひ。もりもり。

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