見出し画像

自己肯定感の低かったわたしが、人生を劇的に好転させた方法③

こんにちは!

この記事は、わたし(現在30歳・女性・既婚・ライターやコンサルなどをしているフリーランス)が、自己肯定感が低かった20代前半から、今では「あなたほど自己肯定感が高い人、見たことない!」と言われるほど自己肯定感が高まり、いつも絶対的な安心感を感じながら、自分らしく日々を生きられるようになるまでの簡単なストーリーと、そこにいたるまでの具体的な行動をご紹介するnoteです。
全3本立てになっていますので、よければ最後までお目通しいただければ幸いです。

1本目はこちら、2本目はこちらです。

外の世界は敵だらけ

「自分の人生は、このままじゃダメだ!」

そうはっきり思うようになってから、2年ほど経った頃。
ついにわたしは、日々の疲れを自分で癒すことができるようになり、自分にとっての「幸せ」とは何なのかが明確になって、それを自分自身で叶えてあげることができるようになっていました。

心が穏やかな時間が増え、天気の良い日に、窓から差し込む光と、風がカーテンを揺らしているのを見るだけで、「ああ、なんて幸せなんだろう」と、心の底から感じることができる。

それは、それまでいつも自分に対して「あれがダメ」「これが悪い」と、自己否定ばかりしていたわたしにとって、本当に奇跡のようなことでした。

しかし、当時のわたしには、まだ悩みがありました。

それは、自分の家で、自分の好きなことをしていたり、穏やかな時間を過ごしている間は確かに幸せなのですが、日々、仕事をしていたり、プライベートで人と関わったりする中で、どうしても「幸せではない時間」が生まれてしまうこと。

疲れやネガティブな感情から、自分を取り戻すまでの時間はどんどん短くはなるのですが、それでもまた、外に出たら辛い思いをして、そしてまた家でそれを癒して・・・の繰り返し。

ちなみに、例えば職場でいじめに遭うとか、そういうことがあったわけではなく、表面的には誰とでもコミュニケーションを取れるタイプだったのですが、
それでも、人と関わるというと、自分ではコントロールできないことの連続なので、誰かの何気ない一言で、異常に傷ついてしまったり、自分も、意図せず人を傷つけてしまったり、そんな自分に嫌気がさしたりしていました。

誰しもそういうことって日々あると思うのですが、わたしの場合、それに対する感度が人よりも少し敏感な方だったのかもしれません。

最近になって気づいたのですが、おそらく、今でいう「HSP」の傾向があったように思います。(今も、少なからずその要素は持っています。)
しかも、それが表向きにはわかりにくく、一見すると社交的で明るい性格のように見られてしまうというのも重なり、
かなり感傷的な性格にも関わらず、雑に扱われやすいという最悪のコラボレーションを生み出していました。笑

だから、わたしにとって、自分の家を一歩外にでた「人と関わる世界」は、いつ、どこで、誰に不用意に傷つけられるかわからない、「四方八方から槍が飛んでくるような危険な世界」になっていったのです。

画像1

誰かの言葉で一喜一憂する毎日

こんなふうに書くと、人間嫌いだったのかな?と思われるかもしれませんが、実際には、当時からずっと、人や、人と関わること自体は好きでした。
当時は営業のお仕事もしていましたし、休日に飲みに行く友達もそこそこいたと思います。

人が好きだからこそ、誰かの言葉で天を仰ぐような嬉しい気持ちになることもあれば、誰かの視線一つで、地獄の底に叩きつけられた気分になることもあって。
少しの人との関わりだけでも、何度も何度もその高低差を感じたりして、心はぐるぐる振り回されてしまう。

それに、自分で自分を幸せにできるようになったとしても、やっぱり人と関わると、人との関わり合いの中で幸せを感じたいと思ってしまうし、
そう思うからこそ、それが感じられない時は、心に大きな寂しさや、虚しさを感じていました。

それを繰り返していくうちに、わたしはだんだん人に対して「なるべく深入りせず、一定の距離を置く」ことで、自分を守るようになっていきました。
自分とは違う部分があったとしても、「わたしはわたし。この人はこの人。別の人間なんだから、別のことを考えるのは当然のこと。」と割り切れば辛くないし、人に過度な期待をしなければ、あとでショックを受けなくて済むし・・・と思っていたのです。

画像2

本当の「自己肯定感が高い」とは

今振り返ってみると、実は当時のわたしは、確かに最初の頃よりは自己肯定感が高まってはいましたが、まだ本当の意味で「自己肯定感が高い」状態とは言えなかったな、と思います。

わたしが考える、本当の意味の「自己肯定感が高い」というのは、いつも、どの瞬間も、誰といても、「ありのままの自分でいいんだ」「この世界は本当に温かいんだ」という、絶対的な安心感を感じられることかな、と思っていて。

だから、当時のわたしは、この世に「自分」という味方を見つけただけで、まだまだ世界は危険だらけ、敵だらけ。「安心感」とは程遠い状態だったので、「ありのまま」の自分で人と接することができずにいたのです。

それでも、ある時期までは、自分の内側にある幸せを大切に育むことに満足していたのですが、だんだん「本当にこのままでいんだろうか?」という、漠然とした不安を感じるようになりました。

そんな当時のわたしでしたが、様々な出会いの中で、今から書く3つの視点を身につけることによって、本当の意味で自己肯定感が高まり、劇的に人生を好転させることができるようになりました。

ということで、実は今回3本立てでお届けしているnoteは、今からお伝えすることが、本当の「本題」です。
できるだけ具体的なhow toをお届けしたいなと思っていたのですが、今回ばかりは、「考え方・捉え方」という抽象的なものになってしまいました。

なので、一度読んだだけではあまりピンとこない部分もあるかと思うのですが、頭で理解しようとせず、心で感じていただけることがあるといいなあと思いますし、
自己肯定感の低かったわたしが、人生を劇的に好転させた方法①の内容を実践していただくことで、ここからの内容をより体感しやすくなると思うので、そちらも併せてお読みいただければ幸いです。

1、もし、人生が映画だったとしたら・・・

例えば、わたしの人生が映画だったとしたなら。

めちゃくちゃ自己肯定感が低くて、彼氏に依存するタイプの主人公。でも本心では、そんな自分をなんとかしたいと思っている。

そんなあらすじだとしたら、「彼氏との間で辛い目に遭う」というのは、映画としてはかなり妥当な流れですよね。だって、そうじゃないと物語が前に進まないから。

もちろん、主人公目線で見たら「辛いこと」かもしれませんが、それによって物語が前に進むことで、主人公はどんどん成長していくし、物語も面白くなっていきます。

人生もそれと同じように、自分という目線では、「嬉しいこと」「辛いこと」「悲しいこと」それぞれありますが、そういう出来事の一つ一つに対して、ただの断片的なものにするのではなく、それが自分の人生という「物語」を作っているということを知るだけで、捉え方がずいぶん変わってくるな、と思います。

それに、映画とかって「伏線」があればあるほど面白いので、「なんでこんなことが起こっちゃったんだろう・・・」と思うことがあるというのは、人生が面白くなるチャンスなのだと思えるようになりました。

ただ、人生に映画のような伏線があったとしても、主人公であるわたしの行動一つで、そのシナリオはどんどん書き換わっていきます。
わたしの人生も、彼氏との間で辛い目にあったあと、「人生をなんとかしよう!」と思ったのか、「もうわたしってダメだ・・・(うじうじ)」ってなっていたかで、物語の展開は全然違っていただろうなと思います。

だから、どんなことが起こっても、後から振り返った時に、「あの出来事があってよかったな」と思えるような生き方をすることが何よりも大切なのだなと、今は思うようになりました。

画像5

2、全ての人が、自分の人生の主人公を生きている

人生を、「映画」や「物語」という切り口で考えた時に見落としがちなのが、つい、「主人公は自分」だと思ってしまうこと。

でも本当はそうではなく、「わたしも主人公」だし、「あなたも主人公」です。この世界にいる人は、みんな、その人の人生の主人公を生きています。

わたしと仲の良いあの子も、ちょっと相性が悪いあの人も、なにを考えているかわからないあの人も。みんなそれぞれに、生まれてから今日までの歴史があり、日々何かを感じ、思い、それぞれの感性・感覚・考え方で生きて、人生という物語の中で、偶然わたしと出会い、わたしと言葉を交わしている。

この世界には人の数だけ物語があって、それが無数に交差して、いつも自分が主人公でもあるし、いつも誰かの人生の脇役でもある。

そう考えると、この世界に「絶対的に悪役」もいなければ「いつもヒロイン」もいないし、「どの人にとってもスーパーマン」も、多分いなくて。

「わたしの物語」サイドで見たらこういう人だけど、また別の人から見たら、きっと全然違う顔がある。だから、わたしの都合、わたしの視点だけで、誰かのことを決めつけるのはやめよう。と思うようになったし、

みんな、自分の人生を一生懸命生きているんだな、と思うと、どんな人に対しても愛おしさのような感情が湧いてくるようになりました。

画像5

3、「味わう」ために生まれた

わたしが大好きな本の一つに、「夢をかなえるゾウ」という本があります。

今の若い人はもしかしたらご存知ないかもしれないのですが、発行された2007年当時、かなり話題になっていたり、最近もまた続編が出たりと、シリーズの累計が400万部を超えるベストセラーです。30代以上の人なら、一度は名前を聞いたことがあると思います。

ちなみに、わたしはシリーズ全てを読んでいますが、特に好きなのは1作目。主人公が「夢をかなえる」ために必要なことを、「ガネーシャ」というインドのゾウの神様が様々な切り口で教えてくれる、というストーリーなのですが、一通りのことを教え終わった後、ガネーシャは最後に、主人公にこんな言葉を残します。

成功だけが人生やないし、理想の自分をあきらめるのも人生やない。
ぎょうさん笑うて、馬鹿みたいに泣いて、死ぬほど幸福な日も、笑えるくらい不幸な日も、世界を閉じたくなるような辛い日も、涙が出るような美しい景色も、全部全部、自分らが味わえるために、この世界作ったんやからな。世界を楽しんでや。心ゆくまで。

一番最初にこの言葉を読んだ時、心が震えて、涙が出たのを覚えています。

これは本なんだから、ただのフィクションでしょ?と思うかもしれないけれど、わたしは、もし本当にこの世界が神様がいるのなら、きっとこんな気持ちでいてくれてるんじゃないのかな、と思っていて。

全部全部、わたしたちが味わえるために、この世界を作ってくれて、わたしの人生に起こるすべてのことは、わたしがそれを「味わえるために」あるのだとしたら。

この世界に、本当の絶望なんてないのかもしれないし、
わたしがどんなに絶望を感じたとしても、それさえも、神様はきっと見守ってくれている
んじゃないかな。

そんなふうに思えるようになったし、もしそうだったとしたら、今目の前にある出来事や、自分の中にあるいろんな感情や、出会ったすべての人たちは、自分にとって何か意味があって、それをただただ味わって、全部を大切にして人生を歩んでいこう。

そんなふうに思えるようになったのでした。

わたしの人生が変わった日

実は当時、わたしの心の中には、どれだけ人と仲良くなったとしても、彼氏ができたとしても、誰と一緒にいても、「結局は一人で生きていかないといけない」という気持ちが強くありました。

それは、「人に甘えてはいけない」と、物心ついた時からずっと思い込んでいたから。

わたしの家は今時めずらしい6人兄弟で、わたしは真ん中の3番目。小学生に上がる頃には、3人の弟と妹のお姉ちゃんだったので、小さな頃から母には「自分のことは自分でやりなさい」といつも言われて育ちました。

もちろん、母がなにもしてくれないとかでは全然なかったのですが、それでもやっぱり、まだまだ甘えたい年頃のわたしにとって、それは少し寂しいことでしたし、兄弟が多いぶん、親の愛情も分割されているような感覚がありました。

その後も、我が家ではとにかく、「自立した人間になること」「人に迷惑をかけないこと」が重要視されてきました。今思えば、それぞれの考えが尊重されるよい環境だったのですが、わたしはなにを勘違いしたのか、「誰も頼ってはいけないんだ」「人に甘えてはいけないんだ」と思い込んで、自分を追い詰めるようになっていったのです。

結果、わたしは高校を卒業と同時に家を出て、東京で一人暮らしを始めて、学生ながら、経済的にも自立するようになったのです。両親がそれを進めたとかでは一切なくて、わたしの意地だけで決めたことでした。

両親との仲が悪かったわけではないのですが、一人暮らしを始めてからは、なんとなく両親に会う気分になれなくて、そんなに遠い距離でもないのに、帰省は1年に1回くらいしかしませんでした。

そんな状態だったのですが、人との関わりがうまくできず、「本当にこのままでいいんだろうか?」と考えていた頃、人からアドバイスを受けたこともあって、約8年ぶりに実家に帰り、両親と一緒に住むことにしたのです。

すると、母は当たり前のように毎日食事を作ってくれて、父はわたしの帰りに合わせて駅まで迎えに来てくれる日もありました。
別に二人とも、それが特別なことだと思っているとかではなくて、一緒に住んでいるんだし、全然いいよーくらいの軽い感じで。

確かになんてことはないことなのですが、(もちろん、高校生の頃も母が食事を作ってくれていました)なんていうか、自分の中で勝手に「甘えてはいけない」「親に何かをしてもらってはいけない」という気持ちが膨らんでいただけだったんだ、ということを、その時はじめて知ったのです。

わたしはなんだか拍子抜けというか、なんで今まで、変な意地はってたんだろう?というような気持ちになって。

特に母に対しては、それまで、心のどこかで「どうしてあの時、もっと愛を伝えてくれなかったんだろう?」「本当はもっと抱きしめて欲しかったのに、どうしてそうしてくれなかったんだろう?」と、許せない気持ちを抱えていた部分があったのですが、

当時のわたしの年齢は、母が2番目の姉を産んだ時の年齢と同じで、今のわたしにもし子供が2人いて、その後も絶え間なく4人も産むことになったら・・・と想像したら、それはあまりにも壮絶で、わたしたちを無事に産み育ててくれたことだけでも、とてもありがたいなあと純粋に感じて。

そして、きっと悩むことばかりだっただろうな、と「母が主人公の人生」を想像すると、心の中にあった「母を許せない気持ち」が溶けていくのを感じたのでした。

その瞬間、わたしの中で何かが大きく音を立てて崩れていくような感覚があって、わたしは本当はずっと、両親はもちろん、この世界の全ての愛されて今ここに生きていることを悟ったのです。

そして、これまでの全ての出来事は、わたしがこの気持ちを味わうためにあったんだ・・・ということにも気づき、それはまるで、自分の人生という映画の、大きな伏線が回収されたような瞬間でした。

そして、その日から、わたしはいつだってわたしのままで大丈夫だし、この世界は本当に温かいんだ、という絶対的な安心感を、心の奥底から体感することができるようになったのでした。

画像6

受け取ったバトンを渡すために

これにて、「自己肯定感の低かったわたしが、人生を劇的に好転させた方法」の3部作は終わりになりますが、最後に、わたしの想いを少しだけお話しさせてください。

3部作を全てお読みいただいた方には、少しは伝わったかなと思いますが、20代前半のわたしは、心の中では自己否定ばかりして、でも誰かには認めてほしくて、でも周りの人はみんな敵に見えて、でもやっぱり愛されたくて、運命の出会いを求めたり、内側や外側のノイズを搔き消すようにお酒を飲んで誤魔化したり。そんな毎日でした。

自分のことを大切にできるようになってからも、確かに日常の充実感は変わったけれど、本質的に人生が良くなっているとは思えませんでした。
でも、自分で考えることをあれこれやってみても、これ以上先に進める気がしなくて。

自分の人生を変えようと思った時に、自分の内側にあるものをどれだけ磨いていっても、ある程度のところでどうしても限界があるのです。
(もちろん、ある程度のところまでは自分でたどり着く必要があるとも思っています。3部作の①と②は、そのための方法をご紹介しています。)

自力では、これ以上は先に進めない。
そう思ったときに、運よく、わたしが今までに持っていなかった視点を教えてくれて、わたしのことを引っ張り上げてくれる人たちに出会うことができたのでした。

おかげさまで、今では、本当に毎日を色濃く、それでいて穏やかに過ごすことができるようになったな、と思っているのですが、

この世界を見渡すと、人生に対して不安を感じていたり、「なんだかなあ・・・」という思いを抱えていたり。
そういう気持ちに蓋をして見えないようにしたりしている方がたくさんいるんだな、というのを感じていて。

最初にもお伝えした通り、今のわたしが持つことができた感覚は、わたしが特別な人間だから得ることができたのではなく、本当は、全ての人たちに、当たり前に備わっているものだと思っています。

ただ、わたしはバトンを受け取ることができただけだったんだな。と。

だから次は、受け取ったバトンを、それを求めている誰かにお渡しすることができたら。

そんな想いで、今回のこのnoteの作成を決めたのでした。

わたしは、この世界は誰にとっても、本当はもっともっと明るく、美しく、面白いものだと思っています。
一人でも多くの方が、その感覚を味わえるように。

そして、人生という物語を前に進められるように、願っています。

画像5


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?