「過ちては改むるに憚ること勿れ」を体感しました:みずほ銀行に勤めている◯年前の私へ(西新宿支店編5)
過ちては改むるに憚ること勿れ。
論語にある教えで、過ちを犯したらためらわずに改めようという意味ですが、実際には実践するのが難しい教えの一つです。
過ちであると認識できるかどうか
まず、「過ちを犯したと認識できるかどうか」ですが、それが従来からの慣習やルールになっている場合、「自分のやっていることはおかしい」と認識することはかなり難しいです。
以前、銀行の検査について書きました。
銀行では定期的に検査部が行う本部検査があります。
いくら営業成績が良くても、本部検査の評価が低いと支店の査定に関わるため、支店ではかなり気を使う業務です。
このため、支店では「今度の検査官はヨーグルト好きだから、昼休みに買ってきて」ということが普通に行われていました。これは歴代前任者からも引継ぎされていたことなので、本人は「ちょっとおかしい」と内心では思っていても、それが過ちであるとは認識していません。
本部検査を無事に終えるために、検査官の好みに合わせたおやつを準備する。それはそれで筋が通っているかもしれません。
しかしながら、会社全体で見た場合、会社の貴重な資源である人やお金を、言ってみれば内部接待のために使うことは本当に良いことなのでしょうか?
また、以前、人がATMの代わりに出張窓口をやっていることを書きました。
これも、「過ち」であると断言することは難しい側面があります。しかしながら、現金の出し入れのような正確性は要求されるけれど、特にそこに付加価値を生まないような仕事は、人ではなく、システムがやる方がベターな仕事です。
過ちであると認識できても、それを改められるかどうか
実は西新宿支店に転勤した後も、本部検査における検査官への過剰な気づかいや、取引先に出向いて、ATMの代わりに現金を持っていくといった仕事がありました。
けれども、支店の在籍期間中に
・本部検査の際に行われていた検査官への気づかい中止
・集金業務の見直し
が実施されました。
前者の気づかいについては、一支店、一担当者の意向では改めることができません。このため、本部からの通達が届いて、検査の際に余計な気づかいはしなくてよいと決まったのです。
また、後者の集金業務の見直しについては、本部からの方針に従って、各取引先毎との交渉が行われました。
実は私の担当先であった某上場企業にも、週1回行員が2名一組になって、現金を届けるという業務がありました。これはその企業との新規で取引する際、口座を開設してもらうための条件の一つだった模様です。
週1回は現金を直接届ける代わりに、一定の預金残高は維持してもらうという内容だったので、集金業務を止めることで、預金残高が減る恐れがありました。
けれども、最終的に総合採算を検討した結果、多少預金残高が減っても仕方がないという結論になり、その集金業務はなくなったのです。
何か過ちがあり、それを改めようと思っても、改めることによって何かしらの不利益が発生します。
本部検査で言えば、従来は支店に検査に行けば、心地よく仕事ができるように気配りしてくれたことがなくなると、がっかりする人もいたかと思います。
客観的に見れば、おかしな話です。けれども、人は一度良い経験をして、それが当たり前になってしまうと、それを失うことには心理的な抵抗があります。いわゆる既得権益の確保というものですが、これを打破して、過ちを改めるにはかなりのパワーを使います。
おそらく、本部検査の件も良い思いをしている検査官と、検査官への気配りによって検査が無事終了すればOKという支店の両方にもメリットがあったので、長年続いていたものです。
どのような経緯でそれを中止する動きになったのか、詳しい事情については、支店の一担当者である私は知りません。しかしながら、憚らずに過ちを改めた事例として、「よかったなぁ」と感じたことは覚えています。
また、集金業務については、取引先との関係があるので、一斉になくなるという動きにはなりません。実際にその後も担当者が定期的に集金業務に行っていた取引先もあります。
一方で、私の担当先のように、業務の見直しが行われたのはとても良かったと思います。
前任店でほぼ毎日のように人間ATMをやっていた時に比べると、週1回だけ、しかも、営業担当者が交代でいくルールがあったので、実際にその集金業務に携わったのは、2、3回で済みました。
しかしながら、転勤当初、白昼人込みの多い新宿の街中を、大きな台車に乗せて、現金を運ぶ仕事をやった時は、「また、ここでも、こんなことが続くのか」とがっかりしていました。
このため、交渉がまとまり、これからは台車でお金を運ぶ仕事からは解放されるとなった時は、たいへん晴れやかな気持ちになりました。
憚らずに昨日の過ちを改められることが事業継続の鍵
大企業の場合、一度決めたことを変えるには、関係者が多いこともあり、かなりの時間を要します。一方、中小企業の場合は、経営者は決断すれば、一度決めたことでも、すぐに変更することは比較的簡単にできます。
けれども、その際、気をつけたいのは、何を基準にして「それが過ちか過ちでないか」を判断するかです。
人は本能的に変化を嫌います。「なんとなく変だなぁ」と感じていても、言われた通りにやる、前と同じようにやるのは楽なので、何かを改めるには本能的に抵抗します。このため、判断基準が明確で、それが社内で共有されていないと、せっかく良い変化や変革であっても、多くの人はすぐには理解されません。
この点、中小企業では、経営者の説明が足りないがゆえに、せっかくの変化のスピードは速いのに、「また、社長の気分が変わった」と社員が感じて、そのスピードがかえって混乱を招くことがあるので、気をつけましょう。
「過ちては改むるに憚ること勿れ」は、変化の激しい時代にあっては絶対に必要なことです。特に昨日までは「過ち」でなかったことが、今日になって「過ち」であると気づくことがあります。
その際、自立的、継続的に憚ることなく、過ちを改められるかどうかが、企業が長く事業を続けていくための鍵を握っています。、
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