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指を使わないと一桁の足算ができなかったのに、偏差値60だった人の話。

私は学校のテストが得意だった。高校は偏差値60の公立校で、学年20位以内クラス3位を3年間ずっとキープしていた。超秀才ではないが、そこそこ勉強ができる人と思われるレベルだ。

そんな私の実態は、中学まで指を使わないと足算ができなかったし、漢字も英語も覚えが悪い不出来な脳味噌を持つポンコツだ。ただひたすら"誤魔化すのがうまかった"のだ。

自分も他人も誤魔化し続けた私は、20歳を超えて後悔しかない。小さな嘘は積もって消えなくなる。私は自分で積み上げた嘘に潰されている。

高くなりすぎたプライドと、自分の実力との差に苦しくなった。

今日は嘘人間の気持ちを吐き出していく。


①1を2に書き換えるのが上手い話。

新学期、教科書のクラスと学年を書き間違えるのはあるあるだ。二重線で消して隣に書き直す人、修正ペンで直す人、強引に1年を2年に変える人。私は圧倒的に強引に1年を2年に変える人だった。友達の1を2に変えた時、あまりの自然な書き換えに感動されたほどだった。

自分の性格を考えた時にこの話が1番に思い浮かんだ。間違えや失敗を、あたかもなかったかのように塗り潰してきた。

中学生でも足し算ができなかったことは、当時誰にもバレていなかった。テストの時は机の中で隠れて指を使ったし、うまく掛け算とかを使いながら指を使わずに計算したこともあった。正直、一桁の計算ができないと人に言うのは恥ずかしくてできなかった。他人からも指摘されず、テストでも丸を貰えていた私は"自分ができないこと"に気づかなかった。

思えば、小学校の時からテスト中はできる限りズルをしようとした。漢字のテストでは、教室内の掲示物に答えが載っていないかくまなく探した。テスト中のカンニングも厭わなかった。カンニングをすることに罪悪感を感じていなくて、日常的にカンニングをしていた。(テスト時のカンニングは中学生からはしないようにしました。)

"できない"ということを認められなくて、"偽りのできる"を積み重ねた。そのせいで、友達からも親からもなんなら自分からも、"そこそこできる人"になってしまった。


②一般社会からはみ出したまま、一般社会で生きていかなければならなくなった

いわゆる"人並み"というのがどういうことかは分からないが、高校生でも一桁の足算すらまともにできない人は"普通の人"ではないだろう。私は理解力がないから指示されたことを1から教えてもらえないと動けないし、記憶力もない。(おまけにメンタル激弱でバイトを数ヶ月したら動悸が激しくなって電車に乗れなくなる。)

こんな激やば案件を隠し通して20歳を超えてしまったため、そろそろ"普通の人"として自立しなければならなくなる。来年度から社会人だが、まともに働ける気がしなくてめちゃくちゃ不安だ。

小学生か、中学生の時から、普通の人ではないと自分も周りも自覚できていたらどうだっただろうと今になって思う。

「計算ができない。漢字ができない。指示が分からない。忘れ物をしました。プリントを無くしました。寝坊して遅刻をしました。」全部正直に先生や親に言えていればよかった。

どこかに"出来損ないの人間"として生きていく道があったかもしれない。こんなに無駄なプライドが育つことがなかったかもしれない。

ズルして誤魔化すことに慣れてしまってはいけなかったと、今になって思う。




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