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海外から見る日本‐今、何をするべきか…と考えて「何もしない」を選ぶこと

海外ノマド生活は、自由に見えるが、多くのリスクも抱えていると思う。当たり前の生活からは程遠いこともあるし、色んなことが落ち着かない生活を送ることも少なくない。

海外に住んでいる、特にフランスやイギリス、欧米に住んでいる場合、例えば「フランスに住んでいる」と言うと「良いな」と思ってくれる人もいる。けれど私の生活は普通だし、もしかしたら普通以下だし、決してキラキラしていない。普通以下というか、とにかく忙しい日々を送って、普通に食事して、休みの日にはグダグダしている…なんていう日々を送ることも多い。

そして、なぜか私は日本で起こる様々な災害や事件の時は日本を離れていることが多い。遠く離れた場所から自国のニュースを見て、結局何もできないまま、遠くからその様子をニュースで見ていることが多い。だから何をしても、何を言っても、結局何もできないんじゃないかと思うのだ。

ただ、その代わり海外で起こる様々な災害や事件などの真っただ中にいることがある。
海外にいながら、その場所で様々な事件や事故に遭い、そして外国人であるからこそ、海外で不安な中で生きなければならないこともある。

そんな生き方をしている私は、世の中で何か起こっても、大変なことがあっても、得られる情報は限りがあり、結局その当事者にしか分からないことが多いと思うので、私はなるべく何も言わない、何もしないようになった。
それは、自分が経験した大変な日々や、色々な大変なことを経験した当事者の方から色々聞いたりして思ったことだ。


SNSでのキラキラ生活と現実世界


世の中ではいつ、どこで何が起こるか分からない。だから、いつまでもそこにあると思っているものがある日突然なくなったり、変わったりもする。今そこにあるものが、明日にはなくなってしまうこともある。私はいつ、何が起きるか分からないので、今を楽しんで生きようと努力している。

SNSではいつもどんな時でも世界のキラキラした日常(非日常)が映し出され、その横で多くの災難や被害や悲しい出来事も起こっている。今、日本では災害の後も大変な日々が続いている。でも、その横で、いつもの変わらない日常だけではなく、キラキラした世界が映し出されている。SNSでは、日本で災害で大変な状況で、そして戦争をしている国もある。けれど今私のいる場所では、コロナ前と同じような普通の世界が広がっていたりする。その場所ごとに大きな違いがある。

日本にいても、海外にいても、今は本当にインターネットやSNSのお陰で世界のことが身近に感じられるようになり、遠くの国の素敵な時間や場所が映し出される。そして、その横で世界の悲しい出来事や災害、事件もたくさん目にすることができる。そういうことを見て、聞いて、何かそこで発言したり、行動したり、誰かの役に立てるようにと動いたり…する人もいる。

そういう時、私はいつも何をしたら良いか分からないから何もしない、何も発しない。なるべくいつもと変わらない生活をするようにしている。何かできれば、と思うのだが、結局、誰かのために何かしようと思っても、その人ではないと状況は分からないし、本当に必要なものが分からない。だから、何もしない、のが良いのかと思ってしまう。そしていつも通りの生活をして、いつも通りのことを書く。

もちろん、自分が体験した災害、被害、テロ、などはその時には自分が分かることとして書くこともある。意外と色々経験している気がする。


フランスのテロ

フランスに住んでいるというと、「良いな」と言われることがある。けれど、パリでのテロ事件の次の日、私は仕事でパリに行かなければならず、多くの人がパリ行きをキャンセルする中、クライアントさんが「パリに行く」というので、一緒に行くことになり、テロの次の日からパリに滞在した。

フリーランスで仕事をしていたし、お客様の要望を断るわけにもいかない。そして、海外でフリーランスをしているので、ここでお断りして、次からの仕事がなくなるのも困る。でももちろん、仕事よりも人命が一番大事だ。

日本から来られるクライアントの皆さんも、もちろん不安でいっぱいだっただろう。けれどその国に住んでいる私でも、この時期にパリに行くなんて…もしも自分の意志でパリに行くのであれば、行かなかったと思う。

その仕事場ではフランスの地方から来る予定だった人たちが、テロのあった直前から行くか行かないか…行くのをキャンセルするか…という論議がずっとされていた。わざわざ危険があるところに行かない…。それもよくわかる気がする。

結局、日本からいらした皆さんはその仕事では仕事先のすぐ側に宿泊して、仕事場と宿泊先の往復のみ、食事もその近くで済ましていた。

私は知り合いのアパートから通い、あとから言われていたのだが、そのアパートの近辺でもテロが行わる予定だったとか…。お客様がいる場合は相手の安全を一番に考えるが、自分の安全は後回しになってしまう。色々とリスクも伴うのだ。

結局、最終的には何も問題なく終わったが、テロがあったその場所に、仕事があるから行かなければならない…というような状況もある。
その時、パリの人たちはどうか、というと、「昨日テロがあったんだから、今日は大丈夫でしょう。」なんていつも通りに仕事に行く友人もいた。遠くから見ているからこそ、怖いこともあるし、その場にいると感じないこともあったりする。でも、やっぱりその場にいないと分からないことがある…そんな気がするのだ。

フランスで300メートル先のテロに遭う

実はフランスで、自分がいた場所のちょうど300メートルほど先のテロに遭遇したことがある。

発砲事件の時に、クリスマスマーケットで仕事をしていたのだが、急に
「発砲だ!逃げろ!」
と言われ、すぐに動けず、そのまま少し仕事を続けていたらその後急に静かになった。皆逃げたんだと思うが、状況が分からずとりあえず市内を通らずに行きなさいと言われて、いつもとは別の道で帰った。

「発砲」という言葉は「火」という言葉と一緒なので、私は最初てっきり火事が起こったんだと思った。どこからきっと火が出たのかと思ったのだ。
だから、外に出た時、ただ静かだったので、もしかしたら、なんでもなかったのか、と思っていつも通りに帰ろうとした。でもやっぱり気になったので、遠回りだが市内を出て帰ることにした。

家に帰って気になってテレビやSNSを見ると、なんと本当に発砲事件が起こっていた。そして、もしいつも通りの道で帰っていたら、テロリストと同じ通りを通ていた可能性があった。

同居人も、その日はいつもは行かないスーパーに行って、スーパーの中に入った直後くらいにテロリストがその付近で発砲しており、スーパーで何時間か出られなくなっていた。その時にスーパーの中に自分の夫が撃たれたと言ってパニックになっていたおば様がいたという。

テロリストはそのスーパーの目の前を通り、そのすぐ近くで一人撃っているのだ。同居人も、ちょっと時間がずれていたら、道でテロリストに遭っていたかもしれない。
その日は私も知らずに家に戻ってしまったが、知らないとは怖いなと思った。危険は、もし自分がその場所にいたとしても、それを知らないで通ってしまえば、その危険すら感じることができないのだ。

そして、もしも自分の近くで危険が迫っていても、何も情報がなければ、それに向かって進んでしまうこともある。もしも、私が何も知らず、あまりよく考えず、いつもの道で帰っていたら…。そう思うだけで怖くなる。

この町は結構小さいので、私の周りでは自分の友人が銃殺されたと言う人もいるくらいだった。フランスの生活が良いなと言う人もいるが、実はフランスは決してそんな素敵、なだけの国ではなく、テロも多い国で、危険が多い国でもあるのだ。
結局無事だったが、こんな近くにテロリストがいて、発砲事件が起こるなんて、想像もしていなかった。

ベトナムでコロナ禍で一人、ロックダウン生活を送る

ここ数年は仕事の関係で他の国にいるが、そこではコロナ禍でかなり大変な日々を過ごしていた。仕事で行ったその国では、最初2週間の隔離生活、その後結局全てがオンラインでの仕事となり、結局なんでその国にいるのかもわからないような状況だった。

その勤務先の組織内にはほぼ誰もいなくなり、その組織内が宿泊先だった私は、そのままその中に滞在していた。通常ならその知識内に食堂やお店もあるのだが、コロナ禍ですべて閉店してしまった。
そして、コロナ禍で隔離施設になったその場所には普段数千人いるのにこの時期はお店も食堂もなく、その日の食べ物すらなかった。おまけに飲み水も守衛さんのところにもらいに行くような状況だった。

寝る場所は学生寮の4人部屋の小さな2段ベッドの上で、薄い敷布団だけ…そこに勉強机があってそこに椅子が一つ。数日の間なら良いけれど、コロナ禍の影響で、どんどん期間が延長され、そこで数ヶ月暮らすのはかなり大変だった。

シャワーとトイレはあるが同じ小さな空間に一緒にあり、気をつけないとシャワーの水でトイレも水浸しになる。

寮は本来料理禁止で、食堂もないので、食事問題が大きかった。ただ、簡単なポットだけ買っていたので、それでなんとか料理をするが、カップラーメンとかおかゆとかを作ることしかできない。

そのころ、国からはお米と卵とクッキーとコンデンスミルクが一回だけ支給された。なんだか戦争中とか、恐らくこんな感じかなあと思うようなそんな状況だった。

知らない国で、言葉も分からないし、文化も分からないし、その頃はデリバリーも交通公共機関も禁止で、住処が隔離施設になっているため、その場所から簡単に出ることもできなかった。

お金に関しては、そこで仕事をしていたので、給料が銀行は入ってくるが、外国人でカードもなく、銀行に行ってその都度おろさなければならなかった。それなのに、この状況でお金をおろすことすらできないので、お金もそんなにない。そこでの生活を1,2か月は想定できたが、それ以上は考えていないので、結局いつまでこの生活が続くかも分からないまま、お金もどうなるか分からないそんな生活をほぼたった一人でしていた。

食事もない、飲料水もままならない、洗濯機もないので、全て手洗い。そして部屋には色んな虫もいるし、ネズミもいるし、ヤモリも出るし、普通なら結構大変な状況だと思う。おまけに話相手もいなかった。

寮には家に帰れなかった男子学生が数人残っていたが、あの環境でここに残れる女子はいない気がした。特に衛生的な日本から比べたら、こんな所に住めないと思う。数人学生がいても、守衛さんがいても、外国人の私は一緒に話す相手もいない。一生懸命話そうとしてもいつも
「分からない」
と言われてしまう。だから、人はいるが、話す相手もいない。

そんな所に数か月住んでいた。でも誰も助けてくれなかった。同僚も何もしてくれなかった。助けてもらう、にしても何を助けてもらえばいいのかすら分からない状況でいた。

簡単に言えば、温かいものも食べられないし、甘いものや、美味しいカフェを飲むこともできない。食べ物もないけれど、じゃあ、誰に何か(何を)お願いできるのかすら、分からない。
温かい食べ物やカフェを飲みたいと思っても、それは生活において必要最低限ではない。その場合、誰かにそれをお願いすることができるのか…。私の職場は同僚が住む市内から30キロも離れていて、周りには誰もいなかった。

病気になれば、一応敷地内に医務室みたいなのがあるが、大きな病気になっても、そのころ公共交通機関もないので、病院にも行けない。食事が食べられなくて、倒れたり、持病で倒れたり…結構大変な日々が続いていたけれど、簡単に病院にも行けなかった。
色々困っているのだけれど、逆に何を困っているか、となると全てにおいて困っているので、具体的に言うことがとても難しかった。

多分、あの頃、ベトナムであれだけ大変な状況だった人も少ない気がする。周りに後から話を聞くと、中には遠くから食べ物を運んでくれる人がいる、と言う人や、家の下にスーパーなどがあって、食事には困っていない人も多かった。飲み水までなかったなんて人はほぼいなかっただろう。

あの時はたった一人で、誰も話す人もいなくて、気が狂いそうになっていた。幻聴や幻覚も見るようになった。今までの当たり前が当たり前じゃない、そんな生活を3,4か月していたような気がする。

そして、誰に何を言っても
「こんな状況なので・・・」
「コロナ禍ですから」

とだけ言われてきた。すべて「仕方ない」と言うだけなのだ。みんなも大変だと思う。けれど、それでもある程度普通の生活ができている人が多かったと思う。
どこの国でも、あの頃は大変だったと思うが、それが言葉も文化もまだ何も分からない国で、大きな敷地に1人ポツンと残され、話し相手もいないし
誰もいない…。人として、守衛のおじさんとかが敷地内にいても話せない。

デリバリーとかも、公的には禁止で、それも1、2ヶ月してやっとなんとか周りから(言葉が分からないなりに)やり方を教えてもらってGoogle翻訳使って連絡しながらたまにデリバリーを頼んだりした。こんなご時世なので、通常よりも割高だったし、

しばらくして守衛さんに自転車を借りてたまに2キロくらい離れた一軒のお店に買い物に行けるようになった。それでも、通常は仕事もあるし、夜、外に出たくても、道路には街灯もないので、自転車で出かけるのは危険だったので、行ける日も限られていた。

そして現金もたくさんないので、好きなものを好きなだけ買えるわけでもなく、時間が経つうちにどんどん必要な日用品もなく、夏から冬になってしまい冬物の服もなく、もちろんおしゃれとかにも縁遠く、それでもオンラインで日々仕事が続いた。

オンラインで誰かと顔を合わせるながら仕事をするか、1人で黙々と仕事ができるなら良いが、私はオンラインでクラスを持っていて、誰もカメラをつけないまま1人だけカメラをつけて、そんな大変な状況でもカメラの向こうで笑いながら明るく仕事をしなといけなかった。そういう場合はカメラを付けた自分の顔だけは見えてしまうのだ。

こんな大変な状況でも、元気に明るくオンラインクラスを教えないといけない。食べるものもコーヒーを気軽に飲むこともできない中、仕事をこなすことは本当に大変だった。

人生でこんなに痩せた時もなかった。人生でこんな大変だと思ったこともなかった。そんな中で自分が学んだことは、他人の苦労は他者にはあまり想像できないし、意外と無視されがちだ。

そしてそんな中で誰かに「大丈夫ですか?」と言われても、逆にそれが辛かったりする。何が大丈夫なんだろう?って思うのだ。そして必要なもの、と聞かれても、とりあえず生きていられると、何が必要かすら分からなくなることもある。必要最低限以上というのが何か…。住む場所があって、なんとなく食べるものがあって、飲み水はある。シャワーとトイレもある。仕事もある。誰にも会わないから、何を着ても、どんな生活をしていても、まあ、生きていける。でも最低限のその一歩先を求めると何もない…。


苦労は他者には分からない

2020年、コロナ禍が始まった時はフランスにいて、フランスでも外出禁止で大変な日々を送っていた。それでもある程度の自由もあったし、規制があっても、カフェやレストラン、お店が閉まっていても、それでも買い物に行けたり、自分のベッドで普通に寝ることもできたし、カフェを飲んだり、ある程度好きな物も食べることができた。

日本はまだそんなに騒ぎになっていないころに私は本当に早いうちにコロナにかかり、家で3週間寝込んでいた。そのころ、パンデックでフランスはロックダウンになり、確かに、大変な日々を過ごしていた。

それでも、外出禁止と言っても、必要最低限の外出はできていたし、仕事もなんとかできていて、生活としては問題なく、食事などは問題なかった。同居人もいたので、話相手もいた。私の家はアパートだったので、運動と言う点では多少問題があったけれど、それでもなんとか生活はできていた。

でも、やはり自国に帰りたいという人も多く、多くの方が日本に帰国した。私は現在「家」というと、フランスなので、日本に「帰る」という気持ちにはなっておらずそのままフランスにいた。
ただ、そのころ、日本ではフランスは危ないという情報も多く、日本の方には「日本に戻って来るな!」みたいなことをたくさん言われていた。

情報量などにもよるが、恐らくこの2か国のコロナ禍の状況を外から見聞きした場合だと、フランスの方が危険で大変に感じていたかもしれない。だから、日本には戻れないような状況でもあった。
けれど実際、ベトナムの方が、大変ではないようにも思えるのだが、ロックダウンなどはびっくりするくらい厳しかったし、各地域でバリケードが張られて出られないくらい厳しい状況だった。ベトナムは公共交通機関も全くなくなっていたし、1年間ベトナムから出られなくなっていた。フランスに戻りたいとも思えなかったけれど、どうしようもなくて、途方に暮れていたのは確かだ。

世の中はやっぱりそこにいないと分からないことがたくさんあると思う。そして、自分が本当に大変な時、ここまで大変だったのは恐らく自分だけで、そういう場合は誰も助けてくれない、ということも身にして感じた。

できることは少ないのかもしれない

海外では自分が大変な状況になることが多く、そんな中でいつも日本での災難、災害、事故、などを見てきている。大変な状況を遠くから見て、結局私はいつも何もしないという選択をしている。

こんな状況で、自分だけが楽しんでいたら、不謹慎だ、なんて思う人もいるかもしれないが、私はいつもと変わらない生活を心がけいる。よく、普通の方でもSNSでお悔やみや励ましの言葉を上げている方もいる。けれど、私はそういうこともしない。そういう言葉が励みになることもあるが、自分の体験からすると、想像以上の大変なことが起こると、そういう言葉すら辛いこともあったからだ。

必要なものも、人それぞれ違うし、本当に大変な時はどこから何をすればいいかす分からないことがある。もちろん、本当に些細なことが本当にうれしいこともある。多分、私の辛い日々の頃なら、誰かが温かい食べ物をくれたり、温かいコーヒーを飲めたりするだけでも、幸せだった気がする。(でもそういうことすらなかった…)

だから、今こうして普通の生活ができることが有難いと思うし、だからこそ、私は今を感謝できるよう、なるべく普通に生活を送るようにしようと思うのかもしれない。

そして、よくテレビなどで色々自粛していたりもするが、私は辛い時に現実逃避で面白い動画やテレビなどを観ていた。そういう束の間の時間に救われたりしていた。
できることなら、今まで通りの生活がしたいと思うけれど、それがいつになるか分からない、そんな時にはとりあえず面白いものを観て、なるべく笑える時間を作りたいと思った。笑顔でいられる状況ではないかもしれないけれど、それでも泣いて過ごしているともっと落ち込んでしまうので、少しでも笑いたいと思った。

あの頃は毎日泣いていた気がする。その後も、今も結局その場所で勤務を続けていたが、夜になると人が少なくなり、急にパニック状況になることがある。ロックダウンで、誰もいなくて、一人で過ごしていたあの頃を思いだしてしまう。

本当のことを知ることは難しい

あくまでもこれは実体験で思っていることでしかない。
自分が海外で体験した辛い日々があって、そしてそんな時に、周りからの援助やサポートがなく、サポートってあったとしてもなかなか難しいものだと実感した。

コロナ禍の日本のロックダウンは私が体験したそれよりは緩い印象があるが、日本は災害などが多い国だ。そういう意味では通常、多くの危険がある国でもある。
人力ではどうしようもない、避けられない、予想できない災害や被害が多い。日本はテロなどがなく、平和な国と言われるが、逆に地震や津波など災害が多い。けれど私はいつもそういう時に遠いところにいる。だからこそ、分からないことが多いので、何かあっても何もしない、何も言わない、ことにしている。

他の災害などでも、その体験者の方の話を聞けることがあったのだが、やっぱりSNSやメディアが伝えること以上の想像以上のことが実際には起こっていることが多いと思った。想像以上はいい意味でも悪い意味でも、だった。知らないところで、本当に悲しい話があったり、そんな大変な状況でもそれを乗り越えて頑張っている人のこと。そして、ボランティアにも色んな形があること。

できることは募金をすること、なんだと思うのだが、それでも本当にそのお金が適切に使われているか、が不安になったりもする。

世の中は不条理だと思う。
寒い冬の中で、今、災害で大変な思いをしている人もいる中で、その地球の別の場所ではキラキラしたイベントが開催されていたりして、そういうことはもちろん、簡単にニュースになっていたりはしない。けれど、探していくと、そういうニュースも出てくる。SNSにしても、テレビのニュースも、決められたものが目に入る。情報社会の今、今見えているものだけが真実でないこともある。

だから、自分が本当に見たもの、聞いたものだけを信じたいと思うのだが、
本当のことを知ることは難しい。何をしても、誰もが納得することをすることも難しい。
だから、私は結局何もしない…。ということを選択してしまう。そして、どんな状況でもなるべくいつもと変わらない生活を続けるよう努力する。

それが正解かどうか、分からない、けれど何かしてもそれが正解か分からないので、何もしない、そしてなるべくいつもの日常を続けることにしている。

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