感情的にならない理由
温和、柔らかい、やさしい。
よく言われる。
懐が深い、イケメン、抱かれたい。
いや、これは言われたことはない。
普段から割と感情が一定で、冷静で、大声で笑うことはあっても、怒ることはない。
割と子供の頃から、あまり感情を表に出さない方だった気がする。(たまに何を考えているかわからない、とも言われた)
学生の頃、当時の彼女と喧嘩をしたときも、一方的に感情をぶつける彼女が怒り疲れて終了するか、「確かに君の指摘は否めない。ごめんね」と謝ったら「否めない、みたいな冷静な返し言葉がイラつく」と余計怒られるかどちらかだった。
なぜこの人はこんなにも感情をぶつけようとするのだろう。疲れないのかな、すごいな。と不思議に思っていた。(もちろん自分も感情的になった経験がゼロではないですが)
自分が負の感情をあまり出さないのは、
・怒りって誰もハッピーにならない
・つかれる
・生産性がない
・感情高ぶるとうまく言葉にできなくなるし
・建設的な議論ができず、解決が遅くなる
と思っているから。
それに、怒りって感情に任せて自分の主張を相手にぶつけることになることが多いと思うけれど、私自身は自分の意見が絶対に正しいと思ったことがほぼない。
自分の意見に他の人が反論すれば、一旦「相手が正しいかも」と飲み込んでみる。それでも違うと思ったら、なるべく丸くして伝える。そして冷静に意見を闘わせる。
特にインターネットの広告を作るときなんかは、みんないろんな方向から言いたい放題で、結果炎上というオチになる(伝えようとしている相手以外の人が騒いで炎上する)ことが多いので、様々な角度からいろんな人の意見を想像して、誰かを傷つけるような表現があれば修正する、不毛なツッコミを受けそうであれば修正する、を繰り返すので、その癖が付いているのかもしれない。
いや、正しい主張からぶつけているんじゃなくて、自分の気持ちをわかって欲しいからぶつけているんだよ。ということなのかもしれないけれど、怒りというお盆に乗って届いた声は、相手のわかりたいという気持ちをむしろ蝕む気がする。
ちなみに、
そんな私より感情的にならない人が身近にいる。
それがうちの奥さん。
にこやか。愉快。愛嬌たっぷり。明るい。お茶目。
家族にも友達にも仕事仲間にも、本当に多くの人に愛され、可愛がられている。そんな奥さんを尊敬する。
彼女も別に意識して怒らないようにしているわけではないけれど、負の感情を発散させることに意味を感じていないように思う。
しかし先日、そんな奥さんですら怒りを覗かせる出来事があった。
今はシアトルからの一時帰国で私たち夫婦は、私の実家に居候している。
なので、仕事場にも実家から通っており、通勤に1時間ちょいかかる。
短い日本滞在の間に日本でこなさなくてはいけない仕事は多く、忙しい。夜も遅い。夜中の12時をすぎることもある。
しかし、居候の身の私たちは、実家の鍵を持っていない。
なので、遅くなる場合は早めに連絡を入れ、秘密の隠し場所に鍵を置いておいてもらう必要がある。
そして、先日奥さんが遅かった日。
先に実家に帰宅していた私は、非常に眠かった。
事前に遅くなる連絡を受け、入れるよう手配しておく約束をしていた。
素直に家の鍵を隠し場所に置いておけば良いのに、疲れて帰ってくるのだから待っていよう。出迎えてあげよう。という余計な優しさをアピールしようとしてしまい、結果リビングで寝落ちした。
タクシーで実家に帰ってきた奥さん。鍵がない。隠し場所にもない。
私にLINEする。反応がない。
電話する。反応がない。
外が寒い。周りが暗い。変なおじさんもいる(いたらしい)。
そんな状態が20分ほど続き、本当は起こしたくなったけど諦めた奥さんは、義母の携帯に電話。玄関の鍵を開けてもらうという始末。
ドアが開いた音で目を冷ました私。
(あれ、おれ寝てた・・・?)
完璧に寝ぼけた私の目の前に、最近の日本の気温よりも冷ややかな視線を私に投げかける奥さんが仁王立ち。
「眠いなら、部屋で寝たら?」
私は寝ぼけているフリをしてそのまま寝室へと駆け込んだ。
奥さん、その節は大変申し訳ありませんでしたm(__)m
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