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私の昭和歌謡

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昭和は遠くなりにけり(おばあちゃんがいつも「明治は遠くなりにけり」って言ってたっけ)私も歳をとったもんだ。 でも、昭和歌謡を聞けば、そこに私の青春がよみがえるの。 だから、昭和人…
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2023年8月の記事一覧

私の昭和歌謡23 初恋の人 1969

私の昭和歌謡23 初恋の人 1969

恋人の死も売り物にする世界知らずに聞いた少女の私

私のダンナが珍しく覚えているのは小川知子である。
地声でパワフルに歌っているところだと言う。

私はきれいな歯を思い出す。歯なんてヘンかもしれないけど、実際私は知子さんの歯のファンだった。

米国は真っ白の歯のスマイルがタレントの条件だけど、知子さんのはそれとは違う。画面いっぱいに顔が映ればわかる。黒目の大きさ、肌の美しさ、そして歯。

インプラ

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私の昭和歌謡22 この広い野原いっぱい1967

私の昭和歌謡22 この広い野原いっぱい1967

歌声に耳をすませて憧れる恋に恋する少女の私

森山良子のデビュー時の歌声は逸品でした。今はかなり工夫や努力を重ねたのか技巧的になってしまいました。

小学生の私は歌が好きで、家の中で本気で毎日歌っていました。本気でww

うるさいので、母は地元の少年少女合唱隊へ入隊させて、日曜日の静けさをつくりました。でも 平日は同じこと。

歌謡曲は合唱曲とは違うんです。魅力の度合いは格段の差があります。私は歌

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私の昭和歌謡21 いいじゃないの幸せならば

私の昭和歌謡21 いいじゃないの幸せならば

どちらなの?あの子はだあれ?あの頃も今でもそれがわからない

「世界は二人のために」の大ヒットで一躍有名になった佐良直美さん。この曲は今でも結婚式に使われるのだろうか?

昭和は大家族だったから、とくに女系家族のわが家は、にぎやかに歌いながら夕飯の片付けをする。歌詞がわからないと困るので、この歌の始まりだけ書いて貼った。

1番「愛」「花」「恋」「夢」
「あなたと」と続く
2番「空」「道」「海」「

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私の昭和歌謡20 恋の季節

私の昭和歌謡20 恋の季節

コーラスが歌詞を重ねる気持ちよさキラーズパートも続けて歌う

ピンキーとキラーズは、大柄な女の子今陽子がメインボーカル、男性4人がコーラスの、山高帽にステッキがトレードマークのちょい異色の売り出し方だった。

あとで、ソロじゃ売れないのでプロモーションとして、こんなアイデアを活かしたらしい。

1968年、デビュー曲「恋の季節」歌ったピンキー(今陽子)は17歳の若さだった。ピチピチしていて、ガリガ

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私の昭和歌謡19  アンコ椿は恋の花 1964 

私の昭和歌謡19  アンコ椿は恋の花 1964 

大島の三原山から噴き出す煙一万人の島外避難

1986年(昭和61年)三原山が大噴火した。不思議なことに三原人神社が残ったことや、オカルト人影(後で逃げ遅れた民間カメラマンと判明)が撮影されたことなど、大変な騒ぎだった。

小学生の私は、授業ではなく、「アンコ椿は恋の花」で大島と三原山を認知していたから、どこで何があったかはすぐわかった。

一ヶ月の避難後に、最初に島に戻ったのがパチンコ屋であるこ

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私の昭和歌謡18 モナリザの微笑  1967

私の昭和歌謡18 モナリザの微笑 1967

モナリザの歌詞にふくらむ恋の夢ジュリーの声に合わせて歌う

「若大将」も束の間、グループサウンズの時代が来た!

ビートルズが流行っていることは知っていたけれど、小学生には洋楽ではなく、日本語の洋風の曲のほうが、はるかに心に響いたんだ。

「僕のマリー」と「モナリザの微笑」は良く似ている。

🎵ぼくが マリーと 逢ったのは さみしい さみしい 雨の朝
 フランス人形 抱いていた ひとりぽっちの 

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私の昭和歌謡17 君といつまでも

私の昭和歌謡17 君といつまでも

君がいて海とギターがあればいい幸せだなぁいつまでも

「若大将シリーズ」が始まった。

とにかく昭和は映画の時代だ。怪獣モノも好きだったけど、なんてったって、「みんなで歌える」挿入歌がある「若大将」は小学生にも人気だった。

「みんなで歌える」については以前書いた。
昭和の子どもにとって、流行歌はともだちと歌う喜びが1番だった。誰かが口ずさむと、それに合わせて次々に歌声が重なっていく。
歌い終える

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私の昭和歌謡16 モスラの歌

私の昭和歌謡16 モスラの歌

スラスラとモスラヤモスラと歌ってたこどもが好きな不思議な呪文

こどもは意味のわからない呪文が好き。私も小さい頃はそうだった。

私の生まれた家は、小さな町の繁華街のラーメン屋。隣がパチンコ屋、そして裏は映画館の便所と隣接していた。2階の部屋から、映画館の便所の屋根が見えて、換気用の煙突がくるくる回っていた。

表通りを何軒か歩いて、肉屋と洗濯屋などを通り、角の魚屋を曲がるとすぐに「東宝館」の広場

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私の昭和歌謡15 夜空の笛

私の昭和歌謡15 夜空の笛

思い出はチイタカタッタと遠ざかる私の時代私の青春

テルミン。この宇宙的な響きはどんな楽器なんだろう?

答えは主人と結婚してから知ることになった。「大人の科学雑誌」というマニア誌があって、付録がついてくる。それを買った。

赤い小さなテルミンを組み立て、しばらく遊んだ。不思議な音色。不思議な奏法。私の指が魔法を使う。でも本当の楽器は指じゃなく手で表現できるんだろーなー?と期待して、実現せず今に至

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私の昭和歌謡14 硝子のジョニー 1961

私の昭和歌謡14 硝子のジョニー 1961

シンプルな旋律のなか郷愁の節回しに酔ふ令和の夜

アイ・ジョージは紅白歌合戦に、1960年から1971年まで12回連続出場している。AKB48とEXILEと同じ12回。

私は、1980年ごろからテレビを見なくなった。嘘ばかりでつまらなくなったからだ。だから彼らの紅白を一度も見ていない。でも、アイ・ジョージが出場していた頃の紅白は毎年見ていた。

私が好きな曲は「硝子のジョニー」だけであって、アイ

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私の昭和歌謡13 黒い花びら 1959

私の昭和歌謡13 黒い花びら 1959

こんなにも男の胸を焦がすひとそんな女がいるのだろうか

水原弘の「黒い花びら」はインパクト大だった。

🎵くろーいーはなびらー しずかーにー ちったー🎵

私が聞いたのは4歳。

うちはラーメン屋で、隣がパチンコ屋だった。父母が忙しい午前中、小学校へ上がるまで、ずっと2階の部屋でお絵描きをしていた。

それにしては、絵はすごく下手。

それもそのはず、BGMに流れてくるパチンコ屋の歌謡曲を聞く

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私の昭和歌謡12 太陽は泣いている

私の昭和歌謡12 太陽は泣いている

若き日の恋の思い出忘られず知らないひとと過ごすこの夏

いしだあゆみは、「太陽は泣いている」で、作曲が筒美京平となってヒットを出した。同年、150万枚を超える「ブルー・ライト・ヨコハマ」に続く。売れたきっかけの曲だ。

いずみたくが悪いわけじゃない。いしだあゆみは決して歌唱力があるわけじゃない。この歌は、あゆみちゃんの声をしっかりカバーしている。

上手とか下手でなく、あゆみちゃんを輝かせる作詞家

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私の昭和歌謡11 天使の誘惑

私の昭和歌謡11 天使の誘惑

ジュンちゃんのまねして脚を露出したミニスカートのセピアの私

黛ジュンは75歳。

あんなにはつらつとして、ミニスカートから健康な脚を露出していた女の子も歳をとる。私がオバアちゃんになっても不思議じゃないんだ。

♪ 私の唇に人さし指で くちづけしてあきらめた人 ♪
なかにし礼の詩は、さりげない。

「恋のハレルヤ」
♪ 愛されたくて 愛したんじゃない もえる想いを あなたに ぶっつけただけなの

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