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第3回THE NEW COOL NOTER賞始まる世界部門~10/28講評

第3回THE NEW COOL NOTER賞「始まる世界」部門へご参加いただいている皆様。

いよいよ10月部門も、授賞の時が近づいてまいりました。
みこザウルスが制作した、素敵なトロフィーもご用意しております。

本日も4つの応募記事へ、審査委員それぞれからの気合のこもった講評を掲載させていただきます。

ぜひ、楽しんでいってください。

(本日の講評者)

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<講評(みこザウルス)>

私の世界は「優しい」
それは、私が弱いから。

みこちゃんには、この冒頭の一文が「弱い」というよりとても「強い」と感じられました。
なぜなら、人は自分で自分のことを「弱い」とはなかなか言わないからだ。
信念を持って弱いということを肯定しているような、そんな静かなで品の良い自信が、この冒頭
にはある。

それはその直後のこの言葉から来ているのだと思った。

人は一人では生きられない。どんな人も。

一人でいるときさえ、ひとりなんだなと思うためには、実感するためには、人という概念が必要だ、とふみさんは言う。たしかにそのとおりだ。人は物理的にはもちろん、精神的にも、極端な話一人でいるときにも「ああ、ひとりなんだな」と誰かのことを思わずには生きられない。

今、私がこうして一人で考えていること。もしか明日、誰かに話したら
「ああ、そうそう。私も昨日、そう思ってた」
って返ってくることがある。不思議だ。潜在的無意識なのだろうか。以心伝心?そうやって、人と人は繋がっているのだろう。

たしかにふみさんの言う通り、一人で考え事をしていたことさえ、誰かと共有することができる。

そこに気がつけば自然とこんな考え方になる。

誰かのお陰で、私は幸せ。今日も明日も、その次の日も。私も誰かの為に、何かをさせていただく。そうやって暮らしていく。

私が幸せなのは、人さまのお陰様だ。感謝を教えてくれた、人さまのお陰様。

やはり、ふみさんの冒頭の言葉は力強かった。
弱さを否定してひとりでいなくてもいい。
どんなときでも、そう、一人でいるときでさえもひとはひとりなんだ
誰かのおかげで孤独を感じることさえできるんだ。

そう思えば、きっと心も優しくなるのだと思う。
弱さの肯定は強さに導かれるんだ。
一見矛盾しているのに、そのことに、とても説得力を感じる文章だった。

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<講評(みこザウルスその2)>

結婚であるとか男女のお付き合いであるとかを人に勧めるときによく言う言葉で「楽しいことは2倍に、悲しいことは半分に」みたいなことを聞いたことはありませんか?

お、ぶじゅにーさん。
冒頭から来ましたね。
どうやって、その幸せな思い込みを粉砕するのだろう。

ぶじゅにーさんらしい作品を期待して、みこちゃんは読み始めました。

婚姻という法的な繋がりはあれど、家族としての繋がりを築けないと氣が付けば「ひとり」になってしまいます。

きたきた。
ぶじゅにーさんによれば、それは現代社会の男性において特に顕著だという。

仕事をしていればいい、家では座って何もしなくてもいい、休みの日はゴロゴロしていればいい。
そして「ひとり」になってしまいます。

しかし女性もまた、みずからの社会進出によって、「ひとり」であることを余儀なくされていくようになると、ぶじゅにーさんは指摘します。

理想を掲げるとすれば、家族の笑顔のために料理をするというのが一番なのですが、今の女性陣にそこまでのゆとりはなく、お腹を満たせる物を用意するというものに変わっています。
母の味は薄れ、外食産業の味に舌が慣らされていく。そして家族である必要も薄れ、皆が「ひとり」となっていく。

となると、明治時代のような家父長制度で維持されていた父親に対する権威もなくなり、母親は母親で、社会進出によって家事を簡単に済ませる方向に進まざるを得ず、結果として家事による存在感の発揮の機会が減少してひとりになっていく。

家族は今も、そしてこれからも「ひとり」でいることを解消するための制度ではなくなってしまうのでしょうか。

さて、問題点を挙げていてもなんの解決にもならないので、とりあえずどうすべきか考えていきましょうか。

はい。まってました。

==引用扱い==
 まず、男性陣には感謝の念が少ないように思います。
 手始めに「いつもありがとう」と言いましょう。
 手作りの料理が美味しければ褒めましょう。
 個人的には男性の家庭進出が望ましいですが、恐らく適応までには時間がかかるので、せめて女性に楽しく家事をして貰えるように氣配りしましょう。

(女性陣は)何かと理由を付けて一緒に家事をして貰いましょう。

 お子さんがいらっしゃる家庭であれば、それ(笑顔溢れる家庭)を体感して貰うことも子育てとして大切なことではないかと思います。
(カッコ内はみこちゃん付加)

ということでした。

要するに家庭での孤独は男性は自分で気をつける。女性の陥りやすい孤独は男性が手を差し伸べる必要がある、という結論でした。

最後はこう結ばれていました。

あなたの少しずつの歩み寄りが「ひとり」を打破し、楽しいことを2倍にする環境に?がると思います。

ここで「あなた」というのは、文脈から言って男性だと思います。
とても、説得力あるご意見だと思いました。

問題は、このぶじゅにーさんの提案が男性に届くかどうか、世の男性に説得力を持って迎えられるかどうか。そこが最大の問題だとは感じました。

世の男性の多くは、ひとりを感じたときに、奥様へ歩み寄るのではなくてパチンコ屋にいくのではないのか、とみこちゃんは素朴に思いました。

家庭へ、そして奥様の幸せへと、自分の孤独をいやす道筋を示してあげるには、もう少しなにかいるのではないかというのも最後に少々思いました。

おそらくそれは、ぶじゅにーさんが謙遜して否定されるかもしれませんが、ぶじゅにーさんがすでに、そうした理想的な方法で「ひとり」を解決しているからなのだと思います。

論より証拠!
世の男性はぜひ、見習いましょう!
〜٩(ˊᗜˋ*)و

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<講評(これでも母さん)>

腹鳴恐怖症ってなぁに?

言葉を見ておおよその症状は思いつくものの、ちょっとピンと来ない方の方が多いはず。それも当然で、某Ya~サイトで探してもこれだ!という記事は見つからず、天下の某Wi~でも見つかりません。某Goo~さんでも先に検索した某Ya~さんと同じ情報しか見つかりません。

某MSさんで見つけた記事を紹介しますが、この記事にも医学的根拠などの詳しいことは書かれていません。書いてある内容も「だろうね」という感じで、書いてる方の経歴や信用度はどうなのか?と聞かれると困るほどです。
それほどあまり知られて居ないことが、検索しただけで分かりました💦

itigonohanaさんがnoteを始められたきっかけは、弟さんとカウンセリングの自律神経メンタル専門心療整体院 健優館の藤原優先生だったそうです。
※自律神経メンタル専門心療整体院という場所がある事を初めて知りました👀

itigonohanaさんは、長い年月(40年間も!)をこの症状と共に生きてこられました。

『あまり大きな声では言えないような家庭環境の影響』や、『10歳で母を癌で亡くし、立ち直れずに大人になった』と仰るitigonohanaさん。

自分の思っていることができなかったり、すぐに諦めてしまったり、人に遠慮して何歩も後ろを歩いているような感覚で生きて来られたの言葉や、当時は鬱だったかもしれないともあって胸が痛みました。

「死にたいなとまで、思ったこともありました」のくだりで、涙がこみ上げてみました。10歳のお子さんが死を願うほどの辛さを抱えて生きてる姿に、誰か寄り添って助けてくれる人は居なかったのかと悔しささえこみ上げてきます。

メンタルが原因だったんでしょと言ってしまえばそれだけのことなのかもしれませんが、私はそう思いたくはありません。
辛いからと言って周りのひとを傷つけることなく、恨むことなく、ひっそりとただただご自身の中でおさめようとされてきた正義感の強いitigonohanaさんは、芯の強い方だと思います。

空腹が原因で、横っ腹が痛過ぎて、横になるほどの痛み。
身体の痛みの記憶は鮮烈で、なかなか忘れることができませんよね。
「またあの痛みが来たらどうしよう」と、たった10歳で思春期でもあり、お母さまが亡くなったばかりのitigonohanaさんが、不安や恐怖に感じるのは当然です。おかしいことはひとつもありません。

itigonohanaさんのお腹が鳴ったことを笑った人達が、itigonohanaさんを傷つけたり追い詰めたりするつもりがなかったのは分かります。それでも笑われたら恥ずかしいし、辛いですよね。人に笑われないかと気になって、脳も体も疲れ果てる日々はたいへんでしたね😢

これまでの辛さを含めたitigonohanaさんをまるっと理解し、どうしたらよいかを導いてくれる藤原先生との出会いがあって、本当に良かったと嬉しくなりました。
辛かった症状がほとんど改善されたと読んでほっとしました。

ネットで情報を探した際、同じ症状で苦しんでる方が多かったそうです。私も体験記をいくつか読み、辛い生活を送られてる事に胸が痛みました。
同じ症状で辛い日々を送ってらっしゃる方々にとって、itigonohanaさんのお話は希望が持てる体験だと思いました。

吃音症の11歳の娘さんのお話も、読んでいてほっとしました。吃音に対する娘さんの考え方が少しずつ前向きになり、学校を休むとは言わなくなり、メンタルが好転されているようなのでほっとしました。吃音で悩まれてる方が身近に多いので、他人事とは思えませんでした。しかも、11歳はitigonohanaさんが苦しんでいた時期と同じですから心配になってました。

itigonohanaさんは優しく語ります。

恐怖症や、症状などは、ほとんどは、心の中にあります。

 私は、今も悩んでる、学生さんや、若い方達が、症状にとらわれず、腹鳴恐怖症、吃音症、その他の色々な症状の方も、世の中の方たちに、知ってもらい、少しでも理解してもらい、悩まなくて良い社会になれば良いなと真剣に思っています。

このお考え、私も大賛成です。
辛いことは人それぞれ違います。
違いを悩むのではなく、自分らしさのひとつとして口にできるように、
聞かれた方がその違いを「そういうこともあるんだね」って受け入れる優しい社会にになったらいいなって心から願います。

後半の

少しでも何か役に立ちたいという気持ちは大きいです。

に、涙が溢れました。
itigonohanaさんが、辛かった過去を乗り越えた先の優しい言葉に感動しました。自分は解決したからもういいやってなっても変じゃないのに、とてもお優しい方だなって感じました。

この記事のスタートに私の募集記事を貼り付けて下さり、きっかけとなったと仰って下さった事、1人ではどうする事もできないので勇気を出して応募して下さった事、私の『これからの時代を生きる人たちへ、やさしい世界が1ミリでも広がりますように』に共感して下さった事、どれもめっちゃ嬉しかったです。ありがとうございます。

準備段階では予想もできなかった皆さんからの沢山のご応募を始め、
審査員の愛のこもった講評を読んで感動したり、
講評へ御礼を頂けた喜びを記事にして下さったり、
優しい巡りを沢山見ることができました💖

思い切ってやってみてよかった!
心からそう思います。

itigonohanaさん、心打たれる作品を読ませて下さってありがとうございました。

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<講評(ゼロの紙さん)>

自分の信念にとてもまっすぐな少女のラウラさんの体験が
ここに綴られています。

信念にまっすぐ。
火の中の栗をみずから拾ってしまうラウラさん。

時にひとはそれを正義と呼びますが。

正義へのベクトルがどっちに向いているのかでずいぶんと正義の
たどり着く場所がそれぞれに変わってゆくのが常ですが、ラウラさんの
正義はどこに向かっているのだろうと想いを馳せながら読ませて頂き
ました。

ラウラさんには幼馴染のエルビラさんという親友がいてエルビラさんの
友達に、ディアナさんというお友達がいます。

ある日、ディアナさんが4か月ほど青少年心理治療施設に入院されて
いたその退院祝いに招かれた先で、ラウラさんが受けたとばっちりに
近いアクシデントが綴られています。

ディアナさんのお母様に酷く誤解されて、心身ともに傷つくラウラさん。

エルビラさんとディアナさんは、そんな事件の後、心理治療施設の中で
治療を続けられていました。

ラウラさんは親友であるエルビラさんに会いにゆくために治療を続ける
施設を訪問します。

どれほど友達の傷ついた状況をみせられても、目をそらさずにその場所を
訪れるラウラさん。

エルビラさんの傷はラウラさん自身の傷にもなってゆくようでとても痛々
しくて。

なのに、彼女はエルビラさんをあきらめない。
そしてじぶんをもあきらめない。

その施設のことを、ラウラのお母様は「秘密の花園」と名付けます。

今、そこに確認できる文字と意味だけでそのネーミングを理解しては
いけないことを読者であるわたしは知らされるのです。

小高い丘に佇むこの施設をラウラの母親はこのように
形容した。「秘密」は閉鎖された空間を抽象し、「花園」は
抗鬱剤等の助けによる暫しの安寧を比喩したものである

ラウラのお母様からそ北欧の街角でさんが彼女たちの話を聞いて
から5年の月日が経って、ラウラさんは心理学の勉強をしている
ことを教えてもらう北欧の街角でさん。

その一文を目にしてすこしだけほっとしました。

ほっとしたと同時にラウラさんほんとうに貫く人生であることを
知って、思春期のある1ページが彼女に与えた影響の大きさにも
同時に感じ入りました。

エルビラさんも新しい扉を開け始めていることを知りわたしは
ふたたび安堵しました。

しかしディアナさんは、いまも自分の心の病と戦いつづけている
ので、退院の兆しはないと綴られていました。

そんな予感はしていたけれど、ラウラさんはふたたびエルビラさんと
共にディアナさんのもとを訪ねる計画をしているのだと。

そうだよな、ラウラさんの今までの行動ならそれはなんら一直線上の
行動であるのだけれど、と。

そのことについてラウラさんのお母様はできうる限りサポート
したいのだとおっしゃる。

親になったことはないのに、それがどれほど勇気のいること
なのかわたしでもわかる。

お母様の言葉に胸を打たれました。

=引用箇所=「もし、ラウラとエルビラの訪問によって、ディアナが
束の間でも、自分は一人じゃない、という安堵と信頼を感じること
が出来るのであれば、同じ親として、それ以前に、人間として出来
ることはしてあげたいと思っているの」

自分は一人じゃない。

そういう想いをじぶんの娘同様に、ディアナさんも感じてほしいという
気持ちに心打たれました。

このエッセイは、正義についてでもあるけれどそれだけじゃなく。

たったひとりの駆られる想いが、たったひとりひとりの心を動かす
ことができるかもしれないということ。

ラウラさんは心の治療を施そうとしているわけでもなく、自分以外に
自分の事を大切に思う人がここにいるということを知ってもらうことの
かけがえのなさを教えてくれます。

それは読者であるいろいろな境遇の方の心に寄り添ってくれるに
違いないと。

このエッセイは、愚直に信念にぶれずに行動しつづけるひとりの少女と
それを支える母親の物語でもあるのだなと想った。

そしてそのエピソードをご自分のなかだけでなく、このように記事に
して頂いき彼女たちの語り部になった「北欧の街角で」さんにたくさんの
真実と事実を教えて頂けたことに心より感謝申し上げたいです。

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【THE NEW COOL NOTERコンテスト
  ~ メイキング:講評はこうやって生まれる】

このたび、上記ゼロの紙さんに行っていただいた、北欧の街角でさんの講評について、THE NEW COOL NOTERコンテスト審査委員会議室では、以下のようなやり取りが行われていたのでした――舞台裏を、ゼロの紙さんが投稿してくれています。

普段なかなか表に出ない、THE NEW COOL NOTERコンテストの、審査委員会議室での一幕を御覧ください。

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*講評は分担制としているため、必ずしも応募順に講評結果が発表されるわけではございません。よろしくお願いいたします。

全体の募集要項はこちら

◆広告・自己PR部門募集要項はこちら

応募作品はこちらのマガジンに収録されます。
 他の参加者様の作品もお読みいただき、ぜひ、当コンテストを通して新しく知り合い、また仲良くなった、との声をお聞かせください! 皆様の縁がつながるコンテストでありたく思います。

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