熊野とは② 「神として」・・祭祀する
熊野とは①で、熊野は岩、滝、川、巨木などを崇拝し、その圧倒的な景観と自然現象に「神が宿る」「神が棲まう」地として信仰されてきたと紹介しました。
紀元前後になると具体的にそれらを「神として」にお祀りをするようになります。
大斎原|熊野本宮大社
熊野本宮では、紀元前の第10代崇神天皇の時代に、熊野本宮大社旧社地の大斎原の櫟(いちい)の巨木に三体の月が降臨しました。その三体の月の真ん中が、熊野本宮大社の主祭神である家都御子大神(素戔嗚尊)であり、両側の月が熊野速玉大社、熊野那智大社の速玉大神(伊弉諾尊)、夫須美大神(伊弉冉尊)でありました。このことにより熊野本宮大社の社殿が大斎原に創建されました。(紀元前33年)
なぜ大斎原に神が降臨し、社殿ができたか?それは大斎原が、熊野川、音無川、岩田川の3つの川に囲まれているということです。
水に囲まれていることは、すなわち浄化された清浄な場所。
神社は小規模でも水の囲まれるように作っていることが多くないですか。その上を太鼓橋でわたり、手水舎で参拝者が自らを清める。大斎原は、それの大スケール版ですね。古は橋はなく、参拝者は川に入水して清めてから参拝していました。
本宮は、水、川、樹木、山が信仰の中心です。
なお、現在の熊野本宮大社は、明治22年の水害で大斎原が水没したため熊野に関わる12柱の神さまのうち4柱の神さま(素戔嗚尊、伊弉諾尊、伊弉冉尊、天照大神)を再建された現在の熊野本宮大社にご遷座したものです。
ゴトビキ岩|熊野速玉大社
神倉神社は、ゴトビキ岩を神としてお祀りし、熊野の自然信仰の中心の一つです。そのゴトビキ岩に熊野の神々が降臨され、その後(西暦118年頃)現在の熊野速玉大社に新しい宮を造営し、新宮と号しました。新宮は、「神倉神社に対する新しい宮」ということです。
熊野速玉大社の主祭神は速玉大神(伊弉諾尊)と夫須美大神(伊弉冉尊)。速玉大神は、生命の根源である水の動き(水玉)を神格化したものであると考えられています。
2月6日の斎行される御燈祭りは、1000人を超える白装束の上がり子が松明を持って走り下る様子は、「山は火の滝くだり竜」といわれ勇壮な火祭りとして有名ですが、例大祭(10月15日16日)には御船祭りや御旅所神事などさまざまな古儀の儀式が斎行され、特に夕刻の御旅所神事は幻想的な空気に包まれるまさに神秘的な神事です。
これらのお祭りは、水、川、岩、樹木、山など神々が棲まう熊野の自然が背景となるもので感動せずにはいられません。
那智の滝|熊野那智大社
那智の滝は、那智一の滝とも言われ那智48滝と呼ばれるなかで最も落差があり、高さ133mで一段の滝としては日本一の高さです。今は、熊野那智大社摂社飛龍神社に大己貴神としてお祀りをされていますが、社(やしろ)はなく直接、那智の滝を拝礼しています。
元々は飛龍神社(滝前)で滝の神さまと熊野の神々がお祀りされていましたが、317年に現在の熊野那智大社に遷座しました。熊野那智大社の主祭神は、夫須美大神(伊弉冉尊)です。
火祭りで有名な那智の扇祭り(毎年7月14日斎行)は、遷座された熊野那智大社の12柱の神さまが年に1回、滝元に里帰りをして滝の神威をいただき、さらに五穀豊穣を祈り自然の恵みに感謝をするお祭りです。(神さまのリフレッシュですね笑)。
那智の滝は、神さまたちもパワーをいただく超ウルトラスーパーパワースポットなのです。那智は水、滝が信仰の中心となっている場所です。
熊野には、自然をお祀りする神社がたくさん。
熊野には岩、川、木、島などをお祀りしているところがたくさん残っています。これがすごいのです。いくつか紹介します。
相須神丸の高倉神社跡
クリスタルリバー赤木川の恵みに感謝し、時に暴れる川を畏敬する。
ちごら石
熊野本宮大社に近く、母の願いを受け止めてくれるところです。
是非、お立ち寄りください。
河内(こうち)島
古座川の下流にある島で古座川の神霊をお祀りしています。
真夏に斎行される河内祭りは、きらびやな船に古座神社の神さまを乗せて河内島に里帰りしてもらうものです。
丹倉(あかくら)神社
修験の場「大丹倉」への途中にあり、熊野の自然崇拝を感じられるところです。
まないたさま
熊野の真髄みたいなところです。
気が充満しているような。すごいところ。
このような無社殿神社は、明治時代に原始的な信仰とされ多くは廃止されました。それでもなお、熊野は、岩、森、木、水、川、島などの自然を神とする無社殿神社が多く残っています。特に三重県の熊野地方には多く、古の空気、雰囲気を醸し出しています。熊野の真髄ここにありです。
まだまだありますよ。「熊野 無社殿神社」で検索。
熊野には、熊野とは①で紹介した圧倒的な自然があり、それを崇拝しお祀りをしてきたことが熊野が聖地となっていく大きな理由です。
熊野で無社殿神社を訪ねること、それは熊野の真髄を感じること!
だと思っています。
記紀のこと
8世紀に、「古事記」「日本書紀」が編纂され記紀に熊野が登場します。特に神武東征の熊野での出来事は、熊野のステイタスを大きく押し上げ熊野が聖地になった要因の一つであると思っています。最高のブランディングですよね。
私は熊野を説明するときには、記紀での熊野のこと(神武東征)をお話をするとストーリーが複雑になるのであまりしていませんが・・・
熊野のシンボルである八咫烏のお話のときに少し触れていました。
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