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熊野らしいところ・・三重県の熊野②「自然崇拝の熊野」
前回、三重県の熊野地方の大きな特徴は、下記と紹介しました。
・熊野と伊勢神宮の間にある。
・今も熊野信仰の起源となった自然と信仰が多く残る。
今回は、この地域にある心が動かされる自然崇拝の熊野を紹介します。
明治時代の神仏分離令やその後の神社合祀令で、神仏習合からの仏教の分離、修験道や陰陽道の廃止だけでなく小さな神社や自然を神とする神社が廃止されます。
自然崇拝を起源とし、神道に仏教、修験道などが習合し聖地となっていった熊野は、大きな影響を受けました。
ここには、その影響を逃れた神社が多く残ります。
これから紹介する3箇所は、特に強烈なエネルギーを感じました。
パワースポットというワードでは表現したくないほどです。
「丹倉(あかくら)神社」
巨岩をご神体とする磐座信仰です。
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今も地域の皆さんが
大切にしています。
木々と苔のなかの石段を降ると、ご神体の巨岩が鎮座しています。
この磐座が発する空気感に圧倒されます。
「大丹倉」(熊野らしいところ・・三重県の熊野①参照)に行く途中にあります。
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「まないたさま」
天の真名井戸。水の神さまをお祀りしています。水神は、五穀豊穣や多産の神さま。女性の信仰が厚いので、真名井戸さまが「まないたさま」に変わったのでしょうか。
苔むした石畳を降ると大きな岩がごろごろしていきます。
空気の動きがなく、岩と水のエネルギーが充満しているようでした。
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「神内(こうのうち)神社」
ここにも神殿はありません。背後にある岩壁がご神体。
天然林の森は天然記念物に指定されています。
![](https://assets.st-note.com/img/1715132158570-vWBKVVkOQb.jpg?width=800)
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ここはまったく知らなかったのですが
「たけしの教科書に載らない日本人の謎」で放送。
「日本の聖地ベスト100」植島啓司氏著書で全国10位。
で紹介されるほどのところ。
この神域に入れば得体の知れないすごい何かを感じました。
「ここすごー」「ここすごー」って叫んでました。
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「子安の宮」として安産の神さまとしても有名です。
周辺には信仰の起源となったところがいくつもあります。
いつも笑顔にしてくれる岩もありました。
神内神社の近くにこんな岩もあります。
観れば、必ずニヤってしますよ。
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案内はありました
引作神社のご神木。
樹齢1500年で紀伊半島最大と言われています。
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白河法皇が熊野御幸の歳に建立を勅願した「平尾井薬師堂」。
「首より上の病に霊験功徳あり」とのことです。
神仏習合の聖地として信仰を集めた熊野。ここも巨岩がその信仰の元になっています。
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ごく一部の紹介でした。私の知らないところがまだまだまだあります。
最後に熊野信仰にとって重要なこの地を代表する二社を!
「貴祢谷社(きねがだにしゃ)」
神代の代に、神倉山に降臨した熊野の神が約2500年前にこの場所に遷座し熊野速玉大神、熊野夫須美大神、家津御子大神の三柱の神をお祀りしていた。約2050年前に家津御子大神が熊野本宮に遷り、約1900年前に熊野の神々が新宮(熊野速玉大社)に遷った。
と、神社のご由緒に書かれています。
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熊野の神さまが、神倉神社のゴトビキ岩に降臨したあとここに鎮座され、後に熊野の三社に遷られたということ、ここに行って初めて知りました。
やっぱり現場に行かないと感動も知識もいただけません。
「花の窟」
花の窟は御陵です。
天照大神の母神である伊弉冉尊(イザナミノミコト)が葬られたところ。
伊弉冉尊は国産みの神として、神産みの神として、夫である伊弉諾尊(イザナギノミコト)とともに日本列島を生み出し、天照大神や森羅万象の神々など多くの神さまを生み出しました。
火の神を産むときに火傷を負いそれがもとで亡くなり黄泉の国(よみのくに)へ。やがて黄泉の国の主宰神となります。
日本書紀に書かれているこのことが、熊野が「黄泉の国」とされる理由のひとつなのでしょう。
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熊野三山に行ったあと(熊野速玉大社から30分)や神宮(伊勢神宮)から熊野の向かう時には、必ずご参拝ください。
R42沿いです。目の前には、熊野古道である七里御浜とでっかい海が広がっています。
![](https://assets.st-note.com/img/1715222235672-426N2EtI7d.jpg?width=800)
三重県の熊野地方は、熊野信仰の起源となった自然とその信仰が今も多く残るところ。
ダイナミックな自然が間近にあり、熊野古道からの景色も絶景が多く、
熊野を感じるにはここがお薦めです。海の幸も美味しいですよ!!
前号との2話だけしか書くことができなくて・・・
ここには、何回も深く入り込んで感動したく思っています。
もっともっとこの地域の素晴らしさを知ってほしい。
熊野は、どこに行っても奥深いのです。
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