優しさはすぐそばにある


いつも読んで頂きありがとうございます。
Cooです。
 
今年もよろしくお願いいたします。
 
早速ですが今回は2年前、まだ私が不安と恐れにまみれていたころのエピソードをもとにお伝えします。
 
 
 
 
本当は皆、誰かのさり気ない優しさに包まれて
います。
 
そのことになかなか気づけないだけ。
私もその一人でした。
 
 
でも、それは単なる思い込みであり、
自分がこれ以上傷つかないようにするための鎧なのです。
 
この思い込みと鎧のために、周囲の人たちからの優しさを感じることができず、自分で自分を孤独に追いやっているのです。
 
 
 
。。。。。。。。。。。。。。。
 
 
自分を愛するには何かが足りない。
自分を愛するってどうしたらいいの???
 
私はそう思っていました。
 
ただひたすらに、自分を認めよう、
ダメな自分を受け入れて。。。
頑張っている自分を褒めてあげる、ハグするの、と。
 
しかし、自己愛に至らず、、、
ウロウロ、、、、
 
 
そのうち執着と自己愛の違いを考え始めました。
全然的外れです。。。。
 
 
それでもピンッと感じる事がないままでした。
それもそのはず、思考回路全開でしたから。
 
感じることをしませんでした。
 
それが体感として現れました。

ひどい首の痛みに悩まされました。
その範囲は頭の付け根からうなじにかけて、凝っているというか何というか物凄い違和感でした。
 
 
ぐるぐるモヤモヤしていたある日
気づきのきっかけとなる出来事がありました。
 
 

 
私は子供の習いごとのママたちとの交流が、
嫌で嫌でたまりませんでした。

決して不仲ではなく、むしろコミュニケーションは良好でした。
ですが、何となく抵抗があったのです。
 
理由は
 
・私の子供が他の子たちより劣っていると
 思い込んでいたこと
・ママ達に何をどこまで話したらいいものか考えて
 しまう
・ママ友=探り合いの固定観念
 どうせ、表面上の付き合いでしょ
 
 
そんな思いをずっとずっと抱えていました。
(嫌な人でしたよね、私)
 
なので、日常で子供が私の怒りに触れると関係無い
のに
 
習いごとを辞めなさい!! と
言ってしまっていたのです。
 
子供は辞めたくないのに。
 
 
そんな中、その習い事のある日のイベントで
アクシデントが起きました。
 
 
私は、そのイベントで楽しそうにしている我が子の姿を見て、今まで子供のことを極力見ないようにしていたことを後悔しました。
 
 
たとえ、他の子供たちよりも劣っていても、何より本人が楽しんでいる。

辞めたいと言わずに、続けている。
自分から行きたい、やりたい!と言えることが
ある。
 
それで、良い。
 
ちゃんと自分の輝きを放っている我が子をこれらは見てあげないと。
 
子供から逃げていたのは私であるとイベントを通して
感じました。
 
ですが、、、
 
もう1人の自分は裏腹に
 
このイベント、
面倒だなぁ、時間押してるなぁ、早く終わって欲しい。。。
と思っていたのです。(悪すぎる。。。)
 
 
 
その矢先、私の左眼に強烈な勢いでボールが直撃しました。
 
 
視界はぼやけ、半分見えない状態になり、手鏡で自分の左眼を見ると
眼球が別の方向を向いていました。(斜視の状態です)
 
 
私の目じゃない。。。
 
 
ハードコンタクトも密着して外れず、内出血もひどい状態でした。
 
私は不安と恐れのどん底に突き落とされました。
 
 
このまま、色々な後遺症が残ったらどうしよう。
離婚してやっと自由になって、子供のことも見つめていこうと心に決めたのに。。。
そして、私自身、もっと輝くんだ!と、ワクワクを抱いていたのに、、、
 
絶望しました。
 
何で私ばかり。。。と。
 
ですが、絶対に困ったことは起こらない。
大丈夫。自分を信じて、そう言い聞かせました。
 
 
私が絶望と不安の渦の中、参加していたママ仲間たちが迅速に動いてくれて私は大学病院で受診する事ができました。
 
 
一通りの検査をし、
 
骨には異常がなかった事
見えにくい理由と治療方法
後遺症のリスクについて
 
詳細な診断をしていただけました。
 
そして、イベント会場に置き去りにしてしまった子供のことはママ仲間が見ていてくれました。
 
 診察を終えた後、私は見えずらい眼で何とか運転し、
子供と一緒に帰宅しました。
 
そして、自分の顔を改めて鏡で見て再び不安になりました。
 
 
眼が、、、顔が、、、腫れている、アザが酷い。
 
 
病院での診察中自分に

大丈夫、ダイジョウブ、だいじょうぶ!と
言い聞かせていた反動が来ました。
 
不安と恐れと絶望の渦が私を襲いました。
そしてまた、子供に当たってしまいました。
 
はっ!と、我に帰り、今度は後悔の念に飲み込まれている中、私の診察を待つ子供に付き添ってくれたママ仲間からメッセージが届きました。

 
子供は、不安でたまらなかったであろうに、全くわがまま言う事なくとても良い子で私の帰りを待っていてくれたそうです。
 
『ギュッと抱きしめてあげてねと。』
 
2人のママから同じようなメッセージが送られてきました。
 
私は自分のことで精一杯になっており、子供の気持ちを察してあげられずにいました。
 
しかし、ママ仲間達のおかげでそれに気づき子供を抱きしめることができました。
 
 
、、、、、、


 
当時の私は離婚後、気丈に振る舞っていましたが無意識に不安を握りしめていました。
 
私一人で子供を守り、生計を立てていくこと。
誰の手助けも極力受けないように、生きていく。

私は甘え方、助けの求め方を知らなかったのです。

 
誰にも、絶対に何も頼まない。
 
そんな気持ちを握りしめていました。
 
強がり、意地を張る鎧。
 
物事を深刻に捉えすぎるがゆえ、そうなるのかもしれません。
 
アクシデント直後のママ仲間の対応と、温かいメッセージ。
私では気付けなかった子供の良いところもママ仲間が教えてくれました。
 
私は思い込みのフィルターを通して見ていたがために
大切なことに気づけずにいました。
 
みんな、シンプルでした。
 
相手を認め、困った時は助け合う。
 
この時やっと気づくことができました。
 
強がる鎧を脱ぎ、思い込みのフィルターを外していいのだと。

私の目も顔も全く後遺症もなく元に戻りました。
全てのことに感謝です。
 
 
 
何気ない優しさはすぐそばにある。。。。

気づきのきっかけになった貴重な出来事でした。


最後まで読んでいただきありがとうございました。

Coo



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