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『セラピスト』最相葉月 ~流動する主体

500ページほどの大作。ただボリュームという意味ではなく、今の私ではとうてい受け止めきれないほど重い本だった。

抑うつ、統合失調症、境界例パーソナリティ障害、解離性障害など、心の病気の治療のあり方や、セラピスト(治療者)とクライエント(患者)の関係性を追究したドキュメンタリー。
淡々とした筆致で綴られる内容の激しさ難しさに、時に吸い込まれ、時に打ちのめされながら読了。読んでよかった。またひとつ、自分の至らなさを知ることができた。

「寄り添う」ことの難しさ、しんどさが見えてくる本だ。安倍晋三さんのごときが沖縄や広島に対してこの言葉を用いることを許したらアカンかったな、とあらためて思う。

本書で紹介されるセラピストたちは、待つ。黙っている。促さない。依存させない。解釈しない。かんたんに共感もしない。
そうやって「寄り添う」。
相手は、心を閉ざした人、激しい苦しみの中にある人、混乱した人、時に攻撃的な人だ。ちょっと想像しただけでもその難しさが分かる。

戦後、アメリカから新たな心理療法が紹介され、箱庭療法や風景構成法(絵を描く)が導入される。箱庭療法の敷衍の中心になった河合隼雄は、

「日本人は言語化するのが苦手で、しかも、自と他、物と心の区別があいまいだから、心だけを取り上げて言葉にするのが難しかった。一方で、直感力は優れているからイメージで表現できるのではないだろうかと思った」

と語っている。

言葉を介さずに語ることができる。
言葉にならないものをすくいあげる。
言葉にすることで零れ落ちてしまったり、因果関係が生まれることを避ける。

それが箱庭や絵画を用いたセラピーの意義だから、クライアントが作ったり描いたりしたものについて、セラピストが主観的にストーリーを組み立ててはいけない。無理にさせてはいけないし、逆に止めなければならないときもある。

これはよくわかる。私のインタビュイーさんは健やかな方々だとはいえ、誰しも普段は奥にしまい込んでいる箱のひとつやふたつあるもので、それを不用意に開けてはいけないと肝に銘じている。話を聞きだすことも時に暴力なのだ。

とはいえセラピストとクライアントというかかわりでは、ただ蓋をし続けるわけにもいかないし、時に慄然とするような凄惨な箱庭や絵画があらわれることもある。
人形の首にこよりを巻きつけ、首つりのシーンをつくるクライアント。蛇の玩具を輪切りにするクライアント‥・・。
治療を重ねても何ひとつ変わらなかったり、途中で取り返しのつかない結果になるケースもある。
ひとりひとりのクライアントが抱える背景とともに読んでいくと、なんとも重いものを突きつけられる。

この本は、それを現実に受け止めるための研究と苦闘の歴史の記録である。それは、河合隼雄のような著名な医師だけでなく、数多くの医師や心理士、そしてクライアントたちが織り成す大きなタペストリーだ。

「セラピストこそ自分を知らなければならない」
というのもこの世界の共通認識。
セラピストの言葉がけや思考のクセはクライアントにダイレクトに(時に致命的に)影響するし、セラピストも自分を守らなければならない。

しかし、自分と向き合うのは難しく苦しい。
人は自分の恥部や暗部から目を背けて日々をやり過ごしているものだ。
それに、セラピストを指向する人々も、その根っこに何らかの傷を持つことが多いという。筆者もまた、取材の過程で自分と向き合うプログラムを実践するうちに、心の病を抱えていたことに気づく。息をつめて読んでしまうような記録だった。

社会の変化とともに、治療法やクライアントも変化する。
終盤では、現代の病とセラピーについてさまざまな問題提起がなされる。

うつ病と認定される人が増えたのは、社会環境の厳しさか、クリニックにかかるハードルが低くなったおかげなのか、それとも診断方法が変化してかんたんに薬を出すようになったからか。
大学生は、対人恐怖症の相談が減った代わりに、いきなり引きこもるようになった。
箱庭を作れないクライアントも増えているという。
もともと言語化が苦手だった日本人だが、内面を表現する力も弱くなっているという分析。

現代の人々に「寄り添う」にはどうしたらよいのか。

「主体というものをもっと広くとらえる」

河合隼雄の息子でもある心理学者、河合俊雄の提言に頭を殴られたような気になった。主体こそが大切だ、もっと主体を育てるべきだとしか考えたことがなかったからだ。

河合は、現代は主体の確立が "要請されすぎて” いるのではないかと言う。
それを受けて、筆者は
「主体とは、人格の中心に固定されたものではなく、周辺からやってきたり、カウンセラーとの接点に立ち現れる、流動的なものではないか」
と考える。

文庫化に際して書下ろしで加えられたのは、鹿児島市の小さな出版社への取材だ。
精神科医と精神保健福祉士が立ち上げた会社。
スタッフは精神疾患をもつ患者たちが主力で、企画から編集、校正、製本、出版まで彼らがこなす。マイペースにいきいきと、働く喜びを実感する彼らの様子に、やはり主体とはもっと軽やかなものかもしれないと思った。

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