インタビュー: 身体の可能性をもっと感じてほしい ~ Sumikaさん
◆ 楽しいことが大好きな子でした
――ダンスやお芝居を始めたのは小学生の頃だそうですね。
はい。最初に通ったのが”ユニークバレエ”といって、とっても楽しい教室だったんですよ。たとえば、子どもには「♪行きそで行かない、行きそで行かない、ヤー!」と音楽に乗ったふしをつけながら振付を教えてくれるんです。
――おもしろーい!(笑)。
笑っちゃうでしょ。笑顔で踊っていると、ますます楽しくなるんですよね。思えば、あの教室で「私って楽しいことが好きなんだ」と教えてもらったのかも。
――お芝居のほうは?
お芝居で思い出すのは、小学6年生のとき、クラスの発表会で「おしん」の劇をしたこと。当時流行っていたんです(笑)。
私はおしん役で、奉公先で叩かれる場面があったりしてね。
――主役じゃないですか!しかもそんなハードな場面が。
今考えるとすごいですよね(笑)。担任だったおばあちゃん先生が手を叩いて褒めてくれて、うれしかったなあ。「事務室の先生を呼んでくるから、もう1回やって!」なんて。
中学校には演劇部がなかったので、自分たちで作りました! 顧問の先生を見つけて、部員を集めて、校長先生にお願いして。
――ダンスもお芝居も、とても素敵な原体験をおもちなんですね。
◆「今しかできないことを!」 単身ニューヨークへ
――短大を卒業して小学校の講師をされたあと、ニューヨークにダンス留学。すごいチャレンジ!
当時23歳、「今しかできないことをやりたい!」という一心でした。
やってみてダメならOK。でも、やりたいことをやらないまま終わるのは嫌だったから。
当時は円高だったから、挑戦しやすかったというのもあります(笑)。
――まだインターネットもない頃です。今より不便なことも多かったでしょう。
冒険でしたね。それがね、諸事情で手続きが間に合わず、航空券だけ持って渡航したんです。英語もできないのに、ホテルの予約がとれるかどうか本当にハラハラ。幸い、行きの飛行機に親切な方がいて助けていただきました。若い頃はなぜか、いろんな人に助けてもらえたんだよね(笑)。
――良かった~。それにしても、ほんとにチャレンジャー!
無謀ですよね(笑)。若かったからできたんでしょうね。帰りの飛行機代だけは銀行に預金して、それが命綱。マッチ箱みたいに小さな学生寮に住んで、1日5時間も6時間も踊って‥‥。足はパンパンで、帰るとぐったり。一番体がきつかった時期ですね。でも、あの頃に踊るための体ができたと思います。
◆「Break your leg!」
――やがて、プロのダンサーとしてステージに立つように。どうやってチャンスをつかんだのですか?
向こうでは、オーディションを山ほどやっているんですよ。
――ああ、なるほど!
若いから、ひとつひとつにワクワクしていましたね。もちろん、簡単にうまくいったわけじゃなくて、最初の頃はこてんぱんでした。
”Break your leg"という言葉があるんです。「足を壊せ」つまり、それぐらいがんばれ!という意味ね。友だち同士、そんな言葉で励まし合いながら、一緒にがんばっていました。
――Break your leg、熱い言葉!
もともと私、あまり負けん気が強いほうではなくて、むしろ親からは「ポサーッとしてから‥‥」と言われるような子だったんです。でも、オーディション経験でちょっと勝負強くなったかもしれませんね。一度きりの機会に全力を出しきらなきゃいけないから。
――忘れられない舞台はありますか?
ミュージカル「王様と私」かな。
――のちに、渡辺謙がブロードウェイで王様を演じた有名な作品ですよね!すごい!
うれしかったですね。そのときは何か月も家をあけて、ペンシルバニア州やオハイオ州で舞台に立ちました。
英語がもっとも身についた時期でもありますね。
起きると「グッドモーニング」から始まって英語オンリーの生活。
こうして思い出すと、アメリカでは本当にたくさんのことを吸収させてもらいましたね。
◆『ライオン・キング』のチーター役に
――アメリカにはどれくらいいらっしゃったんですか?
えーと、23歳で行って、5年間くらいですね。
――帰国には、何かきっかけが?
劇団四季に挑戦したかったんです。
――おお!四季を目がけて帰ってきたんですね。
はい。当時28歳ぐらい。ダンサーにはどうしても年齢の問題もあります。最後に、母語で話せるところで舞台に立ちたくて。
――それで見事合格。すばらしいです。
自信はなかったし、どのオーディションよりも緊張しました!
受験する人の数がまるで違ってね。しかも、2階から先輩たちが見ているんです。
その割に、面接で「住所がニューヨークだけど、受かったらどうするんですか?」と聞かれて、「受かってから考えます」なんて答えたり。
――わざわざ受けに来といて(笑)。
ちょっとのんきなところがあるんですよね(笑)。
――合格の決め手はなんだったと思いますか?何が評価されたんでしょう。
うーん、なんだろう~? 考えてみると、いつのまにかダンサーとしての経験を積んでいたのかもしれませんね。
5年間、ニューヨークでダンス漬けの生活。毎日5~6時間踊って、クラシックバレエ、ジャズダンス、いろんなモダンダンス、アフリカン‥‥ある程度いろんなことができるようになっていたような気がします。
ダンサーは演出家の指示をその場で理解して表現しなければいけないんですが、オーディションをたくさん受けて、ステージにも立っていましたから、そういうことにも慣れている部分があったかも。
――即戦力になるプロのダンサーだったんですね! それですぐに四季の舞台に?
はい。研究生は下積みがありますが、私はオーディション生だったので比較的早く『ライオンキング』に出演することになりました。福岡では、2002年の初演から舞台に立ちましたよ。
――えー!私、その頃福岡で3、4回見たんですよ、『ライオンキング』。まさにSumikaさんの舞台を見ていたのかも。役はチーターですよね?
はい。一人の役者が何役もこなすので、同時にメスライオンやハイエナ、草やトロピカルな植物もやっていました(笑)。
――わー、そんなに! みなさんがフル回転して作り上げる舞台なんですね。
オープニングテーマの「サークル・オブ・ライフ」は今でも一番大好きな歌です。
――感動的ですよね~! たくさんの動物たちが舞台に姿を現すオープニング。またたくまにあの世界観に魅了されます。
『ライオン・キング』のオープニングは絶対に見逃さないでほしいです。観に行かれる方は、ぜひ開演時間までにお席に着いてくださいね!
◆ できるところまでやりきった
――『ライオン・キング』の動画を検索してみました。チーターのパペット、すごくよくできていますね。あのしなやかな動き!
体をベルトで腰につけて、両手で前足を操ります。顔は、頭につけたかぶりものとピアノ線でつながっているの。
(※リンク先の動画は別の役者さんです)
――あの大きさだから、相当重いのでは?
軽い素材で作られていて、見た目ほど重くはないんです。でも、やっぱり負荷がきますね。特にチーターの場合は、伸び上がりが‥‥。
――イナバウアーのように、ものすごくのけぞるから。
あれで腰にくるんです。それから、メスライオンは、狩りをするとき鋭く頭を動かすから、毎回首をむち打ちにするようなもので。ガゼルはたくさんジャンプするからふくらはぎや膝を痛めやすかったり、役によってそれぞれ負担がかかる部位があるんですよ。
――役者のみなさんの献身あっての舞台ですね。Sumikaさんも体を痛められたんでしょうか。
はい。結果的に、それが退団のきっかけになりました。
――悔いはありませんでしたか?
そうですね‥‥当時は「もっとできる」という力は残っていなかったように思います。
それより前に、「私は、ケガをしない限りやめないだろうな」と思ったことがありました。ダンスが大好きだったから。
だから、あのときは、「ダンサーとしては、やり尽くした」という感じだったかな。もう十分に経験させてもらった、そんな気分でした。
――とても濃密な日々だったのでしょうね。
貴重な経験でした。実力社会で、ちょっと特殊な世界でもある。浅利(慶太)先生もご存命で、いつもモチベーションをあげていただきました。すてきな先輩もいたし、いろんなことを学びましたよ。怒られたときの対処法なんかもね(笑)。
何より、チーター役をつとめたこと。この作品の演出家ジュリー・ティモアも、チーターが特に好きだと話したことがあります。伸び上がりや伏せ、優雅さ‥‥豊かな身体表現ができる動物だから。私もこの役に誇りをもち、研究と練習を重ねました。「練習のし過ぎは筋肉疲労につながるよ」と先輩に怒られるくらいに。
◆ 怪我をきっかけに体の探求の旅へ
四季を退団したときは体も心もボロボロでした。痛いだけじゃなく、自分の体が自分のものじゃないみたいな感じ? 「動きたくない」という気分になったのは初めてでした。とにかく動くのが好きだったのに‥‥。
――Sumikaさんにもそんな時期があったんですね。
はい。それで、整体の学校に行ったんですよ。
――整体を受けるのではなく、学びに行ったんですね。
在団中、休演日には鍼灸師さんやスポーツトレーナーさんに体をメンテナンスしてもらっていましたが、自分でも勉強してみたくなったんです。体のことをあまりにも知らなかったから。肉離れをストレッチで治そうとしていたくらい無知でした(笑)。
いつも外ばかり意識してきて、自分の体への意識が全然なかったんですね。
その後、ピラティスや整体の資格を取得し、福岡に戻ってインストラクターの仕事を始めました。その後も、身体の仕組みを多方面から学び続ける旅は続いています。
――ステージに立って表現するお仕事から、人々の健康をサポートするお仕事への転身。Sumikaさんの中ではスムーズでしたか?
スムーズだったのかな~? 舞台に立つのもインストラクターも「動く仕事」だから、私に合っているのは確かです。
でも今、質問されて思い出しました! 実は、インストラクターになった後、ある機会に「ダンサーとして復帰しようかな?」と思ったことが‥‥。
―――まあ! そうだったんですね。
紆余曲折あって実現しませんでしたが、子どもがもっと成長したあと、いつかまた舞台に立つ機会があったりして?(笑)
――いいですねー! 人生、いろんな可能性がありますよね。
そんなふうに思えるようになったのも、ピラティスやヨガで体の調子が良くなったおかげです(笑)。
ピラティスは体のバランスを改善し、自律神経を整えてくれる。ヨガは心を穏やかにしてくれます。どちらもただの体操ではなく、病気や怪我を防いだり、症状を緩和してくれる力をもっているんです。
インストラクターとしては、レッスンが終わった後、みなさんのスッキリした笑顔を見たり、痛みから解放された喜びの声を聞くと本当にうれしくて、良いお仕事をさせてもらっているな~とありがたいですね。
今ではお付き合いが長い生徒さんも増えてきて、一番長い方は18年になるかな。「お孫ちゃん、どうしてますか?」なんて話したり、もう半分家族みたいです。
――クラスでは、生徒さんたちとの会話も大切にされている姿が印象的です。
おしゃべり大好きです! 心がほぐれますよね。コロナ禍では、会って話すこと、コミュニケーションの大切さを、あらためて感じました。
◆ 来たときよりも元気に帰れるクラス
――私も時々、Sumika先生のクラスで教えていただいています。体がすっきりするだけでなく、心まで明るくしてくれるレッスンですよね。
ありがとうございます。幅広い年代の生徒さんがいてね、70代だったかな、杖を忘れて帰られる方がいたんですよ。うれしくて。
――来るときは杖が必要だったのに、帰りは要らなかったんですね(笑)。
そうなんです。これぞ私の理想! 来たときよりも元気に帰っていただけるのが何よりうれしいです。
――レッスンがすばらしいからですね。
きっと、みなさん自分が思うよりまだまだたくさんの可能性をもっているんですよ。
「この年だから仕方ない」と思いがちだけど、そんなことない。まだまだ全然いけます!
――先生がそうおっしゃると、「そうなのかもしれない」と思えます。
たとえば、「右の腰を曲げると痛いんです」という方の動きをチェックして、しばらく一緒に体操したり、コンディショニング(整体)しますよね。それから右の腰をもう一度曲げてもらうと、「え?痛くなくなってる!」というようなこともあるんです。
――不思議!
「魔法をかけたよ」なんて言ったりもするんですけどね(笑)。
それくらい、体を動かしてあげる、メンテナンスしてあげるって大事なことなんです。
今の世の中、掃除機が掃除してくれるし、なんならルンバがやってくれるし(笑)。
便利でありがたいけれど、体を動かさないと、機能が低下してしまう。
そんな調子で何年、何十年と経つと、体はさびついてしまいますよね。
――私も座り仕事なので、体のさびつき気になります!
意識して動かしてあげるといいですよ。エミさんの年齢なら、ストレッチだけでもずいぶん違うと思います。人間は動く生き物だから、動くと活性化されるんです。
年齢を重ねると、誰でも昔と同じではいられません。それを受け入れることも大切です。
でも、怪我や病気があっても、うまく付き合う体づくりがきっとできるはず。身体の知識があると動きが変わるし、メンテナンスすると身体は喜んで応えてくれます。
ちょっと大げさに感じられるかもしれませんが、「身体が整うと、気分が変わる。振舞いも変わり、人生も変わる」! そう思っています。
◆ 「かっこいい母ちゃん」をめざして
――私生活では、小学生の息子さんのママですね。
はい。最近、とある場で「どんな自分になりたいか?」とたずねられる機会があり、「かっこいいママになりたい」と書きました。昔から、かっこいい女性に惹かれるんです。
――どんな女性を「かっこいい」と感じますか? たとえば、姿勢がいいとか、歩く姿が颯爽としているとか‥‥。
それもひとつですね。
それから、生き方。思うのは、かっこいい人はたいてい強い『志』を持っていて、その影には挫折を経験しているということ。挫折を乗り越えてきた人だから、人に優しく寄り添うこともでき、人間として深みがあるんだろうと思います。
――Sumikaさんも優しくてかっこいい人だと私は思います!
今後、やりたいことはありますか?
やりたいこと、いっぱいあります!
たとえば、新しい『オンラインクラス』というツールの可能性、昔やっていた夜のクラスの開講、福利厚生としてのピラティスやヨガなど‥‥。
将来、息子が「俺の母ちゃん、かっこよかろう?」と言ってくれたらいいな。どんな活動をしていても、そんな人になるのが目標です!
(おわり)
◆ 編集後記
「ニューヨークにダンス留学し、劇団四季で舞台に立っていた」。そんな華やかな経歴の中で、Sumikaさんが学んだのはダンスだけではないんだなと感じるインタビューでした。先生や友人たち、飛行機で隣に座ったおじさんまで(笑)、話に出てくるすべての人に対する親愛の気持ちが伝わってくるのです。それは今、インストラクターとして生徒さんに接する姿にもそのまま重なります。「優しく、深みのある”かっこいい人”」。Sumikaさんはすでにそんな人だと私は思います。
(イノウエエミ)
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