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『韓非子』クールで熱い古典が元気をくれる

尊敬する出口治明さんの「ビジネスパーソンこそ古典を」という言葉に励まされてチャレンジするの巻。とはいえ原典の逐語訳を読みきる自信はないのでビギナーズ向けでw

韓非子(かんぴし)、クールで熱い男。中国の戦国時代の思想家である。その心は、徹底的な法治主義。主従、地主と小作人、夫婦や親子ですら、人間関係の礎には利害関係がある。褒めたり優しくしたりも、結局は自分の得のため。韓非はこのクールな人間観に立って、厳格な法に基づく国家運営を主張した。 

愛情などという曖昧な物差しは言うに及ばず、君主の「人徳」すら求めない。なぜなら徳の高い皇帝として名高い尭舜にしろ、逆に暴君の桀紂にしろ、伝説級の人物があらわれるのはせいぜい千年に一度だから。九割九分以上の「凡人」の帝が世を治められるよう、法を整備すべきなのだ。

これは冷たいようだが合理的な考えで、ある意味優しい気すらする。そう、出口さんがよく言う「人間はみんなチョボチョボ」。だから五十歩百歩のポンコツたちでも回るしくみを考えようというわけです。

韓非子の歴史観も興味深い。

「昔の人が「足る」を知り平和に暮らしていたのは、人口が少なくて資源が足りていたし、そもそも全体の生活水準が低かったから。今は人口が増え生産力も上がったので、富を奪い合い争うようになったのだ」

2300年前に生きていた韓非子が、まるで現代人のような口ぶりなのがおもしろいじゃないですかw 中国四千年の歴史の迫力ですねw

さて、韓非子のように法を重視するのは「法家」といわれる。この時代はさまざまな思想家たちが活躍し、ほかに、孔子の儒家や老子の道家などさまざまな学派があった。

「諸子百家」「百家争鳴」な世の中で帝に採用してもらうため、韓非子は「話を聞いてもらうコツ」「こんなプロパーが障害になる」「フリーランスの孤独」などのライフハックにも注力している。そりゃもう縷々綿々、微に入り細を穿って書いてある。

なぜそこまで? それは戦国時代だったから。天下が麻のように乱れ、人も国も生きるか死ぬか紙一重だったからである。思想家は机上の空論に終始しているのではない。命をかけるほどの情熱がなければ言葉を発することはできなかったのだ。

実際、ここまで条々と研究分析した韓非子も、最後は非業の死を遂げる。秦の始皇帝、つまり「キングダム」で吉沢亮が演じた嬴政に会おうとしたところ、政敵に阻まれ陥れられてしまったんですね。

韓非子の話を聞いていると、マキャヴェリズムも資本論も、二千年前に既に原石はあったんだなあと驚く。時代が変わっても、人間の考えることはあまり変わらない。そして、どんな賢人でも最後は運を天に任せるしかない。

「ん? そもそもイノウエってビジネスパーソンだったっけ?」ってのはおいといて(笑)、古典の汎用性の高さに感じ入りました。なぜか元気が出てくる「韓非子」です。

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